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カラスの終わらない一日・前編

 22日目の朝。


 カラスはアパートメントの一室で、目を覚ました。

 ベッドの上で上半身を起こす。


「んっ……」


 伸びをしながら、小さく吐息を漏らす。


 夜間は外出できないため、日が落ちてからできることは少ない。

 外出禁止令が発令されて以来、カラスは毎晩、朝まで気持ちよく眠れていた。


 ベッドから起き出すと、汲み溜めた水で顔を洗い、寝癖のついた金髪を解かす。

 テーブルに白パン、ハム、チーズ、フルーツを並べ、木製の杯にぶどうのジュースを注ぐ。

 黒パンのほうが値段は安く上がるが、比較的金銭に余裕のあるカラスは、小麦で作られた白パンを好んでいた。


 乾いた口内へ、ジュースを一口。

 パンをナイフで半分にすると、慣れた手つきでハムとチーズを挟み、もう半分のパンを被せてから口へ運ぶ。

 決して急がず、ゆったりとした仕草で食べる。


 食材はさして高級ではないが、優雅な心持ちで朝食を楽しむことがカラスは好きだった。

 余裕を持って一日の始まりを迎えれば、その日は順調にことが進むような気がするのだ。

 逆に余裕を失って物事に当たっても、事態は決して好転しないというのが彼女の持論だった。


 食事を終えると、麻の寝間着を脱ぎ、着慣れた衣服に袖を通す。

 さり気なく身体のラインを強調する上着は、カラスの均整の取れたスタイルを浮かび上がらせていた。


「さて」


 カラスはアパートメントを出て、行きつけの酒場を目指す。

 夜間の外出禁止令が発令されて以来、酒場はどこも午前中から営業し、日没前に閉店というスタイルだ。


 大通りを歩きながら、道行く人々をさり気なく観察する。

 笑顔を浮かべている者はほとんどおらず、不満と不安が入り混じった表情をしている者が多い。

 そしてここ数日は、不安よりも不満の割合が目に見えて増大している。

 治安の悪化における不自由な生活に対して、不満の矛先を向ける相手を求めているのだ。


「暴動を起こした人々が憲兵隊の詰め所に押し寄せるのも、時間の問題かしら」


 そんなことを呟きながら、カラスは酒場に入店する。

 視線を巡らせて目的の人物を発見すると、そちらへ向かう。


「おはよ、ハゲタカ。相席いい?」

「よう、カラス。一杯奢れよ」

「もう、朝から?」


 ハゲタカはカラスと同じく、キャルステン暗殺者ギルドの情報員だ。

 痩せた中年の男で、頭が若干薄くなりつつある。

 カラスは片手を挙げ、店員にエールを注文した。


「調子はどうよ」

「クロネコのことなら、好調よ」

「そら魔法使いまで倒しちゃあな」

「ええ。昨晩も、水を得た魚のように殺して回ったんじゃないかしら」

「最強の名に違わずってところだなあ」


 店員が運んできたエールに、美味そうに口をつけるハゲタカ。

 それをカラスが呆れ顔で眺めている。


「王城内が、ちと不穏なのは知ってるかい?」

「いいえ?」

「数日前から、軍務大臣子飼いの盗賊が、城内を嗅ぎ回ってるってえ話だ」

「城に、盗賊?」

「盗賊って言い方は、適切じゃねえかもなあ。まあ裏仕事を担当してるような連中は、城の中にもいるが、そいつらのことだ」

「そう……」


 ハゲタカはもちろんカラスも、王城内に潜り込んだ間者を使って、城内の情報を得ている。

 万が一その間者が炙り出されると、面倒なことになってくる。


「今日もこれから間者に会ってくるのだけど、注意するように伝えておいたほうがよさそうね」

「そうしろ。場合によっては、明日からしばらく会わねえほうが無難かもなあ」

「そうね」


 情報を得られなくなるのは痛いが、虎の子の魔法使いまで倒した今、軍務大臣たちは打つ手に困っているはずだ。

 一日を争うような緊急度の高い情報は、もうあまり出てこないだろう。


「そういやあ知ってるか。本国の動きが活発化しているぜ」

「うちの?」

「暗殺者ギルドの話じゃねえよ。キャルステン王国のだ。具体的には、軍だな」

「というと?」

「このリンガーダに攻めてくるんじゃねえか」


 王都リンガーダブルグは混乱の渦中にある。

 地方に配備していた王国軍の一部も、そのせいで王都に呼び戻されている。

 確かに、攻め入るにはいい機会だろう。


「それはクロネコに伝えたいわね」

「暗殺の役に立つ情報かよ?」

「立たないかもしれないけれど、念のため」

「ほほお」


 ハゲタカが、からかい半分の目を向けてくる。


「前から思ってたが、おめえ、奴に惚れてるのか?」

「私が……? そう見える?」

「見えなくもねえ、ってところだなあ」

「……」


 指摘されて驚いたが、不思議とカラスは否定の言葉が出てこなかった。

 自問自答してみる。

 自分は、彼に惚れているのだろうか?


 概ね、好意的な目で見ているという自覚はある。

 彼は腕のいい暗殺者であり、そして自分の仕事に誇りを持っている。

 人殺しに誇りなどど、一笑に付す者もいるだろうが、カラスは仕事に誇りを持つ人間というものに敬意を表している。


 頭の中にクロネコを思い浮かべる。

 彼はどんな人物か。

 見た目は平凡だが、その中身は紛れもなく変人で狂人だ。


 まず、自分の武器にいちいち名前をつけているような人物が、変人でないわけがない。

 そして狂人の部分だが、彼は良心の呵責なく人を殺す。


 例えばカラスとて、暗殺者ギルドに所属する身だ。

 人殺しに対する忌避感は薄い。

 目の前で人が殺されても、大して良心の呵責を感じることはない。


 だが、ゼロではない。

 仕事への慣れや自分の置かれている環境のせいで、良心の呵責が薄まっているに過ぎず、どれほど慣れてもそれはゼロにはならない。


 なぜなら同族である人を殺すことは、人間が持つ絶対的な本能に反するからだ。

 だから、人を殺すことに対する忌避感はどうしたってゼロにはならない。

 その点でカラスは狂人ではないと言える。


 ならばクロネコはどうか。

 彼には根本的に、人殺しはよくないという価値観が欠落しているように見える。

 薄いだのゼロだのという水準ではなく、良心の呵責が、始めから存在していないのだ。


 そうした人間は例外なく狂人と呼ばれるし、彼らの大半は殺人鬼として犯罪者リストに名を連ねることになる。

 クロネコはたまたま暗殺者として才能があったため、つまらない殺人を犯して捕まることもなく、暗殺者として大成しているのだ。

 人を殺すことに忌避感を覚えないというのは、ある意味、暗殺者における最大の適正だ。


 ここまで考えて、カラスは自分がわからなくなった。

 狂人を好意的な目で見ている自分は、果たして大丈夫なのだろうかという思いだ。


 とはいえ、カラスも特殊な環境に身を置いて仕事をしているため、恋愛経験は豊富ではない。

 彼の役に立つと嬉しいという感情は、確かにある。

 しかしそれが、彼の仕事が成功すれば自分の給金が増えることに由来しているのかどうか、判断がつかなかった。


 考えた末に結論が出ず、カラスは長い吐息を漏らした。


「ずいぶんと考え込んでたなあ?」

「ええ。正直、よくわからないわ」

「そうかい。まあ仕事さえちゃんとしてくれりゃあ、俺はどっちでもいいんだがなあ」

「仕事はきちんとするわ」

「ならいいさ。まあ、おめえも男の一人や二人、作ってもいいと思うがな」

「二人はよくないでしょ」


 カラスは金髪を揺らし、立ち上がる。


「また明日」

「おうよ」


 ハゲタカと別れ、カラスは酒場を出た。

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