闇討ち
「解錠」
クロネコは裏口の鍵を、魔法で開ける。
「……あなたって、魔法を使えたのね?」
「一つだけな。それより入るぞ」
驚くカラスを尻目に、クロネコは音もなく裏口を開け、家屋に侵入する。
カラスも足音を忍ばせて、それに続く。
「これを」
裏口を閉じると、クロネコは被っていた覆面を脱いでカラスに放る。
今日のカラスは、彼と同様、薄黒い色の服を身に着けていた。
そのため覆面を被ると、ぱっと見ではカラスが首狩りに見える。
唯一、身長差はあったが、それも厚底ブーツのおかげで緩和されている。
覆面を被ったカラスを上から下まで眺めると、クロネコは頷いた。
「居間に2つ、それから2階に1つ気配がある。上のは静かだから、恐らく寝ている」
「子供かしら」
「恐らくな」
囁くように会話を交わしながら、2人は音を立てずに廊下を移動する。
クロネコほどではないが、カラスも足音を忍ばせる訓練は受けていた。
2人は居間の入り口でいったん立ち止まり、頷き合ってから、踏み込んだ。
「ひっ、誰――」
「声を出すな」
若い夫婦だった。
クロネコとカラスが、それぞれ抜き身のナイフを突きつけると、夫婦は顔を恐怖に染めて硬直した。
「俺たちが誰かは言うまでもないな。騒ぎ立てれば、2階で寝ている奴も一緒に死ぬことになる」
「なっ、こ、子供だけは……」
「では動かず静かにしていることだ」
声を引きつらせて懇願する夫婦に、低い声を返すクロネコ。
彼は今、覆面を被っていないため、素顔を見られているが、大した問題ではない。
「俺たちの目的は、お前たちの命ではない。大人しくしていれば生かしておいてやる」
「……わ、わかった」
恐怖に震える若夫婦に、覆面を被ったカラスがナイフの刃を、ことさらに見せつける。
夫婦は抵抗する気力をすっかり失っていた。
クロネコはそれを確認すると、ふわりとテーブルの上に立つ。
楔を3本取り出し、小さな鉄の槌で、しっかりと天井に打ち付ける。
そしてクロネコは身軽に天井まで跳躍し、両足と片手の3点をそれぞれ、3つの楔で支えるようにして、天井に張り付いた。
その曲芸のような身軽さを見て、夫婦だけでなく、カラスも内心で驚嘆していた。
「灯りを消せ。その後、月明かりが入ってくるよう、窓を少し開けろ」
「ええ」
壁の燭台に灯っていた灯火をカラスが消し、続いて窓を半開きにする。
居間は薄暗く、しかし物を判別できる程度の明るさに落ち着いた。
クロネコたちの最大の武器は、リリエンテールを待ち構えることができるという点だ。
そもそもクロネコは暗殺者であり、騎士や戦士ではない。
そして暗殺者の本領は戦闘ではなく、暗殺にこそある。
逆に魔法使いは、暗殺者のように、周囲の気配を敏感に察知することはできない。
あくまで本分は戦闘なのだ。
魔法使いと戦っては勝てない。
だから、勝機があるとすれば暗殺をおいて他にない。
それも全ての人間にとって死角となる、頭上からの奇襲だ。
「行くぞ。カラスは何もしないことに努めろ」
「ええ」
下手に予想外の動きをされては、例えそれが援護であったとしても、奇襲の足を引っ張りかねない。
カラスの役目は、ただ立っていることだ。
転移した先に、前回同様、覆面を被った一人の人間がいるとなれば、リリエンテールの目にはそれが首狩りのように映ることだろう。
まして室内の明かりを制限し、わざわざ物の判別を困難にしたのだ。
周囲の気配を察知できない彼女には、天井からの奇襲に対応するすべなどない。
準備は整った。
クロネコは当然、若夫婦の命を助ける気など毛頭ない。
天井に張り付いたまま、ナイフを2本、投擲した。
人を殺すのは暗殺者である彼の役目なので、カラスにやらせることはない。
ナイフはそれぞれ、狙い過たず夫婦の喉元に吸い込まれた。
夫婦は、恐怖と苦悶の表情を浮かべたまま、絶命した。
――唐突に。
何の前触れもなく、緑色の髪の少女が居間の真ん中に姿を現した。
身に着けているローブがふわりと揺れる。
魔法で転移してきたのだ。
リリエンテールの睨むようなジト目が、覆面を被ったカラスを捉える。
一瞬の間もなく、彼女が口を開く。
前回と同じ轍を踏む気はないらしい。
魔法を行使しようとしているリリエンテールの意識は、もはや完全にカラスのほうへ向いている。
頭上への警戒心など微塵もない。
綱渡りではあったが、奇襲は完璧に成功した。
クロネコは天井から落下した。
「クエ――」
流れるような動きで、ナイフがリリエンテールの頚動脈を裂いた。
そのまま彼は、彼女の背後に着地する。
首筋から血を噴き出しながら、リリエンテールは背後を振り返った。
信じられないものを見たような表情をしている。
彼女の青ざめた唇が震える。
もはや魔法障壁を展開する力すら、残っていないように見えたが、いずれにせよ彼は一言も喋らせるつもりはなかった。
立て続けにナイフを、リリエンテールの喉に叩き込む。
魔法使いの少女は鮮血を撒き散らしながら、仰向けに倒れて動かなくなった。
「ふう……」
クロネコは息を吐き出した。
気負いはなかったが、それでも魔法使いを仕留めたことで、安堵の気持ちが漏れたのだ。
「やったの?」
「ああ」
「……まさか、本当に魔法使いを倒しちゃうなんて」
カラスも感嘆の言葉を口にした。
クロネコの策を疑っていたわけではなかったが、それでも熟練の暗殺者の仕事を目の当たりにして、驚きと尊敬が混じったような表情を浮かべていた。
「それにしても、勝てたから言えるセリフだけれど……何というか、意外とあっさり殺せたわね」
「暗殺というのは、基本的に一瞬で終わるからな」
「そうだけれど」
「それより、少し待っていろ」
「どうしたの?」
「2階にまだ一人、残っているだろう」
「ああ……」
クロネコは音を立てずに廊下から階段を上り、寝室と思しき部屋へ踏み入る。
暗い部屋。
柔らかそうなベッドで、幼子が眠っていた。
ベッドに近づき、見下ろす。
幼子はすやすやと寝息を立てている。
クロネコは幼子の温かい首筋に、冷たいナイフを押し当てる。
そのまま引き裂いた。
ベッドが真っ赤に染まった。
クロネコとカラスを除けば、この家で動く者は、誰もいなくなった。




