策を練る時間だ
19日目。
クロネコはいつものように、昼前に目を覚ました。
ただいつもとは違い、しばらくベッドの上でぼんやりしていた。
昨晩、魔法使いに遭遇した際の動揺は、すっかり抜けていた。
ある程度、怠惰な時間を過ごして満足すると、もぞもぞと起き上がる。
宿の裏手にある小さな庭で、井戸から水を汲んで顔を洗い、寝癖を解かす。
一階の古びた食堂で、硬くて美味くもない黒パンと豆のスープを食べる。
自室に戻るとベッドにナイフを並べ、一本一本、砥石と布で丁寧に磨いていく。
暗殺者にとって、刃物とは相棒だ。
相棒の手入れを欠かしては、いざその相棒を振るう段になって裏切られることになる。
そうして時間が経つと、木製の扉がノックされる。
「開いている」
いつものように長い金髪を靡かせ、カラスが入ってくる。
「おはよ、クロネコ」
「おはよう」
そしていつも通り、断りもなく安物の椅子に腰掛ける。
つと、そんなカラスが小首を傾げる。
「どうしたの?」
「何がだ?」
「何だか疲れてない?」
やはりカラスの観察眼は鋭い。
クロネコは別段、隠すこともなく、肩を竦めた。
「昨晩、魔法使いと遭遇して、ほうほうの体で逃げ出した」
「あら。よく生きていたわね」
「1秒、逃げ出すのが遅ければ、この世にはいなかったな」
ナイフを磨く手を止めずに、会話を続ける。
「緑色の髪の少女だった。心当たりはあるか?」
「ジト目の?」
「そういえば機嫌が悪いのか、睨まれていたな」
「それはリリエンテールかしら」
カラスが、顎に指を沿わせながら回答する。
「どんな奴なんだ?」
「範囲魔法を得意とする魔法使いね。まあ、範囲魔法が苦手な魔法使いなんていないけれど」
「それはそうだ」
「王城に、3人の魔法使いが詰めていることは伝えたかしら」
「いや」
「3人いるのよ。その中で最も、広域殲滅に優れた魔法使いだったはず」
要するに、まとめて大人数を殺すのが得意ということだ。
「それは……、人選ミスじゃあないか? たった一人の賊にぶつけるには、適切とは思えない」
「たぶんだけれど、一番、手が空いている魔法使いを選んだんじゃないかしら」
「手が空いている?」
「魔法使いは戦時に活躍するものだけれど、じゃあ平時は何をして過ごしているか知っている?」
「いや……。言われてみれば、考えたこともなかったな」
「弟子に魔法を教えているの」
「なるほど。魔法使いが増えれば、それだけ国に取って有用だからな」
カラスが「その通り」と、まるで教師のように頷く。
「とは言っても、見込みのある弟子なんてごく一握りらしいけれど。ともあれリリエンテールは、その弟子の育成をしていないって話よ」
「何でだ?」
「さあ。面倒くさいんじゃない?」
「そうか」
「ともかく彼女は一番、暇な魔法使いって位置付けになっているみたい」
「なるほど。そういうことか」
結局、一番動かしやすい魔法使いを動かしたというわけだ。
すると王城のお偉方でも、魔法使いに対してはあまり命令できないのかもしれない。
仮に強い命令権があるのなら、もっと適切な人選が可能だったはずだ。
昨晩にしても、ピンポイントで一人を狙い撃つような魔法を使われれば、クロネコはあの場で命を落としていた公算が高い。
わざわざ狙いの甘い広域魔法を使う必要性はないので、リリエンテールという魔法使いは、火力は高いが大味な魔法しか行使できないと考えたほうが自然だ。
「大体わかった。助かった」
「どういたしまして。それで、どうするの?」
「今夜は何もしない」
「そう」
深く訊ねることもせず、カラスは立ち上がる。
「他にも必要な情報があれば、遠慮なく言ってね」
「ああ」
「じゃあ、また明日」
退室するカラスを見送って、クロネコは目を閉じた。
腕を組み、眉間に皺を寄せる。
ここからは策を練る時間だ。
魔法使いが動いたのは、もう仕方のないことだ。
そうはいっても、巡回に加わる程度なら何も問題はなかった。
出会わないよう気をつければ済む話だからだ。
しかしあの魔法使いは、クロネコのいる場所に忽然と姿を現した。
十中八九、転移の魔法を行使したのだろう。
何らかの目印さえあれば、遠く離れた場所にも瞬時に転移できる魔法の存在を、彼は知っていた。
不可解なのは、何を目印にしたかだ。
知っている人間がいれば、あるいは既知の場所であれば、それを目印に転移はできる。
だが今回のケースでは、どちらもあり得ない。
まずクロネコの顔は、誰にも割れていない。
体格も平均的な中肉中背であり、背格好で彼を判別することは難しい。
つまり、彼を目印にするのは不可能だ。
そもそも彼を目印に転移することができるなら、今この瞬間、この場に跳んでくればいい。
あるいは場所だけ探知して、大量の兵隊をこの宿に送り込んでもいい。
それをしないということは、目印は彼ではないのだ。
では場所はどうか。
クロネコは殺しを行う場所を、当日、町を走り回りながら選んでいる。
彼本人ですら直前まで決めていない場所を、あの魔法使いが察知できるはずもない。
となれば、場所も目印ではない。
「……」
小さく息をつく。
適切に思考しなければならない。
転移してきた方法に当たりをつけなければ、手の打ちようがない。
目印が、彼でも場所でもないことはわかった。
では条件だろう。
何らかの条件を満たしたとき、あのリリエンテールという魔法使いは、こちらの居場所を探知できるのだ。
昨晩の状況を今一度、丹念に思い返す。
「……おかしい」
一つのことに思い当たり、クロネコは呟いた。
あの魔法使いは、家人が死んだ後、あの場に現れた。
そう。
なぜ、家人が死んだ後なのか。
あの魔法使いとて、法を守り、殺人を防ぐ側の人間だ。
ならば殺人をみすみす見逃す道理などない。
家人が殺される前に、さっさと跳んでくればいい。
たまたまタイミングが悪かっただけという考え方もできる。
しかし、そうでないのなら。
家人が死んだ後でなければ、跳んでこられなかったのだとすれば。
「人の死亡を探知している……?」
言葉にすると、しっくりきた。
根拠などない。
だがどのみち、根拠を得る手段もない。
ならば、ある程度は賭けで動くしかないだろう。
いずれにせよ、あの魔法使いをどうにかしないことには、クロネコは何もできないのだ。
人の死亡を探知しているのなら、次にクロネコが人を殺したとき、あの魔法使いはその場に現れることになる。
ではそのとき、クロネコは彼女と戦って勝てるのか。
答えはノーだ。
まず火力が違いすぎる。
魔法を一撃でも受ければ、クロネコはその時点で死ぬ。
それ以上に、目に見えない魔法障壁を突破する攻撃力が、クロネコにはない。
魔法障壁を破壊できるほどの火力となれば、それはもう魔法しかあり得ない。
であれば諦めるのか。
論外だ。
依頼を達成すれば、かつてないほどの大金が入ってくる。
金のために命を賭けるのは、クロネコにとって当然の価値観だ。
なぜなら彼は金を得るために、たくさんの命を摘み取っているのだから。
「戦えば負ける」
口に出す。
当然のことを明確にすることで、思考がいっそうクリアになる。
あのリリエンテールという魔法使いを殺さねば、先はない。
そして一度でも失敗すれば、全ては終わる。
クロネコは一晩かけて、策を練った。




