暗殺開始
4日目の夜。
商業地区の裏通りを、ほろ酔いの男が歩いていた。
今日はそこそこの商談が成功して、いい気分で飲んでいたのだ。
裏通りには酒場が多い。
少し遅くなってしまったが、男は家路に着く途中だった。
赤ら顔で帰ったら、またかみさんに小言を言われるだろう。
だが小言のあとに仕方ないわねと苦笑して、きっといつものように夜食を作ってくれるのだ。
そんな小さな幸せを想像をしていたせいか、男は誰かとすれ違っても気にも留めなかった。
だから男の喉がぱっくりと切られ、真っ赤な血が噴き出したときも、男は何が起こったのか理解できなかった。
理解できないまま、男は倒れ伏し――。
意識は、そのまま闇に沈んだ。
死体となった男を一瞥し、周囲に目撃者がいないことを確認してから、クロネコはその場を立ち去った。
人を殺して心が動くことはない。
良心の呵責も、憐憫の情も、あるいは愉悦などの邪な感情も、一切湧いてこない。
幼い頃の自分はどうだったのか、それすらも憶えていない。
殺しはクロネコにとって、ただ金を稼ぐ手段に過ぎなかった。
それでも微かに陰鬱な感情が浮かぶとすれば、これが暗殺ではなく、ただの殺しであるという点だ。
報酬が手に入れば文句はないが、それでもクロネコは、暗殺者の誇りという自分でもくだらないと思うものを、少しばかり持ち合わせていた。
しかしだからといって、依頼に手を抜くつもりは一切ない。
クロネコは2人目の標的を探して、場所を移動した。
◆ ◆ ◆
職人地区の裏通り。
小間使い風の女が、買い物袋を持って小走りに駆けてくる。
雇い主の職人に、急な買出しでも頼まれたのだろうか。
クロネコはわざと足音を立て、一般人を装って歩く。
女が近づいてくる。
女は急いでいるのか、クロネコを気にも留めていない。
すれ違う。
瞬間。
クロネコの右手が、音もなく閃く。
光を反射しないよう加工された、黒塗りのナイフ。
それが女の喉を、まるでバターのように滑らかに切り裂いた。
女の喉から、鮮血が噴き出す。
女は目を見開き――驚愕の表情を浮かべたまま倒れ、絶命した。
すれ違ったはずのクロネコの姿は、すでにその場になかった。
殺人が発生したという事実が広まるのは、明日だろう。
つまり今夜が、誰にも警戒せずに殺して回れる、最後にして最大のチャンスということになる。
後のことを考えれば、住民たちや憲兵隊が無警戒である今夜のうちに、数を稼いでおいたほうがいい。
結局この夜、クロネコは10人殺した。