全力戦闘
クロネコの正面からリィンハルト。
左右および後ろから衛兵。
1対4ということもあり、クロネコは最初から防戦に追い込まれていた。
左右からの攻撃を、右左にステップを踏んで避ける。
即座に半身になり、後ろからの剣をダガーで逸らし、正面から来るリィンハルトの剣戟をもう一本のダガーで受け止める。
しかし剣とダガーの押し合いではダガーのほうが分が悪いため、力で押し込まれる。
その力に逆らわず後退し、後ろの衛兵の腹部に蹴りを入れる。
たたらを踏む衛兵に追撃を加えようとするが、左右の衛兵の剣が割り込んでくる。
それらをダガーでいなし、リィンハルトの斬り下ろしを横移動で避け、続く斬り上げを辛うじてダガーで弾き、軌道を逸らす。
そこでクロネコは身を低くし、下半身の空いたリィンハルトの膝に蹴りを叩き込む。
リィンハルトは顔をしかめるが、大して効いたようには見えない。
ダガーは全て防御に回さざるを得ず、蹴りでしか攻撃できない。
しかし蹴りで決定打を与えることは難しい。
長期戦は必至だった。
クロネコにとって幸いだったのは、リィンハルトが攻撃に全力を割けないことだった。
一騎打ちの時とは違い、リィンハルトが全力で攻撃すれば、左右の衛兵を巻き込みかねない。
加えてクロネコのダガー捌きと歩法が卓越しており、防御を優先すれば1対4でもどうにかなっていた。
だが、それだけだ。
攻撃に全力を割けないとはいっても、リィンハルトの剣戟は鋭く激しい。
3人の衛兵は大したことはないが、それでも左右と後ろを取られているため、意識をリィンハルトに集中できない。
何より圧倒的に手数で負けているため、攻勢に移れない。
クロネコは、ただじっと耐えるしかなかった。
カラスと相対した憲兵3人は、困っていた。
「来ないで!」
カラスが、素人じみた動きでめちゃくちゃにナイフを振り回しているためだ。
殺すなら容易い。
剣を抜いて、3人で斬りかかればいいだけだ。
しかしリィンハルト隊長からは、捕縛せよと命令を受けている。
ナイフを振り回す相手に斬りかかっては、うっかり殺してしまう可能性がある。
結果、素手で取り押さえるしかない。
「もう諦めろ! 大人しくすれば悪いようにはしない!」
説得の言葉をかけながら、憲兵たちはカラスを取り囲む。
しかしカラスは3人の憲兵たちに順番にナイフを向け、威嚇する。
近づくに近づけない状況だった。
カラスはそんな憲兵の肩越しに、クロネコの戦いぶりを観察する。
防戦一方に追い込まれ、勝機を見出せずにいるように見えた。
だがクロネコは時間を稼げと言った。
最強の暗殺者がそう言ったのならば、必ず何か策があるのだ。
カラスはそれを信じ、忠実に憲兵3人を引き付けた。
リィンハルトは、内心で舌を巻いていた。
何といっても4対1だ。
優勢なのは間違いない。
しかし目の前の首狩りは、未だ無傷だ。
ダガーの扱いが恐ろしく上手く、また独特の歩法で間合いを幻惑されるため、攻め切れないのだ。
予想以上の長期戦になっていた。
それでもリィンハルトは勝ちを確信していた。
圧倒的に人数が違う。
首狩りがどれほどの手練れであっても、逃しようのない状況だ。
リィンハルトは慢心する性格ではない。
しかし優勢を確信し、僅かに油断があったのかもしれない。
自分の身体の異変に気づくのが遅れた。
リィンハルトは、地べたに膝をついた。
額から汗が流れる。
手足が痺れて動かない。
疲労ではないことは明らかだ。
そして舌の根にも痺れを感じ、リィンハルトは思い当たった。
――毒。
初手で首筋に受けた掠り傷。
投げナイフに、恐らくは麻痺毒が塗られていたのだろう。
リィンハルトは、その可能性を考慮しなかった己の迂闊さを呪った。
相手は暗殺者だ。
なぜ、正々堂々と戦うなどと思ったのか。
「リィンハルト隊長!?」
膝をついたリィンハルトを見て、動揺する衛兵3人。
無論、その隙を逃すクロネコではない。
瞬時に間合いを詰め、2本のダガーを、まるで空気を切り裂くように滑らかに薙いだ。
2人の衛兵が、それぞれ喉を切り裂かれ、血を噴き出しながら崩れ落ちた。
残った1人の衛兵が、その光景に動揺を深める。
そして、それは命取りだった。
その衛兵も喉にダガーの刃を受け、もんどりうって倒れた。
瞬く間に3人の衛兵が倒され、後詰めとして待機していた憲兵3人は絶句していた。
誰かが倒れたら、その穴を埋めるようリィンハルトに命令されてはいた。
しかし憲兵よりも練度の高い衛兵が、一瞬で3人もやられたのだ。
憲兵たちは、逃げるべきかどうか迷った。
そんな憲兵たちに、クロネコは地を滑るようにして接近した。
ダガーが繰り出され、たちまち1人が倒れる。
「ひっ、ひぃぃ!」
2人の憲兵は、堪え切れずに逃げ出した。
だがクロネコに背を向けたのは下策だった。
身体能力に優れるクロネコは、足が速いのだ。
すぐに1人に追いつき、後ろから首筋にダガーを突き入れる。
憲兵は倒れてごろごろと転がった。
クロネコとしては、1人も逃すわけにはいかない。
顔を見られているので、明日からも暗殺を続行するためには、10人ともこの場で全滅させねばならないのだ。
クロネコは、距離の開いた憲兵の背へ、ダガーを投げつけた。
肉厚のダガーは狙い過たず、憲兵の首後ろに突き刺さった。
これで後詰めの憲兵3人も死亡した。
「に、逃げ……ろ」
痺れて動けないリィンハルトは、どうにか声だけを絞り出した。
カラスの相手をしていた、残りの憲兵3人へ向けて。
「は……はっ!」
憲兵たちはリィンハルトを見捨てることを躊躇したが、自分たちでは首狩りに勝てないことも理解していた。
首狩りは物凄い勢いで駆けてくるが、まだ僅かに距離がある。
今ならまだ逃げられる。
そう思い、走り出そうとした憲兵の1人に対し――。
カラスが、足払いをかけた。
完全に予想外だったのだろう、憲兵は見事に転んだ。
続けてカラスは、もう1人の憲兵の足に組み付いた。
その憲兵も地べたに倒れた。
「くっ、こいつ!」
残った憲兵が、カラスを蹴り飛ばした。
蹴り飛ばすために、時間を費やしてしまった。
カラスの役割はそれで充分だった。
クロネコは3人の憲兵に追いついた。
憲兵たちはそれぞれ背中や、首や、脇腹にダガーを受け、絶命した。
「よくやった」
クロネコの言葉に、カラスは親指を立てた。
そしてクロネコは、膝をついているリィンハルトの下へ歩いた。
「……」
剣を杖代わりにして、リィンハルトはクロネコを見上げた。
リィンハルトの顔には、深い悔恨の表情が刻まれている。
「わ、私と……したこと、が……」
遺言を聞いてやる義理もなかったので、クロネコはダガーを一閃し、リィンハルトの喉を裂いた。
リィンハルトは鮮血を撒き散らし、倒れた。
10体の死体が転がっている中、この場で立っているのは、クロネコとカラスだけになった。




