準備なくして成功はない
リンガーダブルグは王都だけあり、リンガーダ王国最大の都市だ。
リンガーダ王国の中央に位置しているため、特に商業が盛んであり、商業地区はリンガーダブルグの中で最も活気に満ちている。
他にも鍛冶や木工、革細工といった職人たちが集う職人地区。
酒場や歓楽街などが軒を連ねる歓楽地区など、いくつかの地区に分かれている。
リンガーダブルグに到着したクロネコは、まず宿を取った。
スラムにほど近い路地裏にある安宿だ。
宿泊客も怪しい風体の人間が多く、滅多なことでは目立たないだろう。
「さて、期限は1ヶ月か」
リンガーダブルグまでの道中は期限に含まれないため、今日が依頼の開始日となる。
1日目。
クロネコは商業地区を歩き回った。
何もせず、ただ歩き回っただけだ。
表通り、裏通り、店と店の間の細い路地、表から裏へ通り抜けできる店、屋根伝いなど、徹底的に地理を把握することに努めた。
1ヶ月間、同じ都市で殺しを続けるのは、どれだけ優れた暗殺者であっても難易度が高い。
まして土地勘がなければ、すぐに足がついてしまうだろう。
暗殺に適した場所や逃走経路、潜伏場所など、情報の把握という事前準備があってこそ、暗殺は成功する。
22年という人生の大半を暗殺に費やしてきたクロネコは、それを熟知していた。
2日目、3日目もクロネコはリンガーダブルグを歩き回り、地理の把握を徹底した。
そして3日目の夜。
クロネコは場末の酒場で、情報員と接触していた。
「カラスよ。初めまして」
「クロネコだ」
暗殺者ギルドは、何も暗殺者だけで構成されているわけではない。
暗殺に必要な情報を収集する、情報員と呼ばれる人材も多数いる。
「あなたがクロネコ? ふぅん……」
「何だ?」
「いえ。うちで最強と呼ばれているあなたに、一度会ってみたいと思っていたから」
カラスは、年の頃はクロネコと同じか、少し上だろう。
さらりとした長い金髪が特徴的な女だった。
リンガーダ王国において金髪はそれほど珍しくないため、情報員として潜ませておくには都合がいいのだろう。
「会ってどうだ?」
「思っていたより普通」
「そいつはよかった」
目立つ暗殺者など論外である。
普通に見えることは、暗殺者にとって大きな武器だ。
「この1ヶ月間、最大限、あなたに協力しろと言われているわ」
「助かる。リンガーダブルグにはどれくらい?」
「もう3年ほど潜り込んでいるわね」
「長いな」
「隣国の情報は重要だもの。あなたも、必要な情報があれば遠慮なく言ってね」
「ああ」
クロネコは、運ばれてきたエールに口をつける。
周囲の客はそれぞれ盛り上がっており、誰も2人の話など聞いていない。
「まず明日から一日一回、午後に、俺が泊まっている宿まで情報を持ってきてほしい」
「午後?」
「夜に活動して、朝は寝るからな」
「そう。それで何を?」
「殺人が何件も発生すれば、話はすぐ町中に広まる。住民たちの動向は毎日知りたい」
「わかったわ」
「それから、町の治安を維持する憲兵たちの動き」
「重要ね」
「それと王城に詰めている衛兵隊が動き出したら、それもすぐに」
「ええ。あとは?」
「とりあえずはそんなところだ。必要があれば都度、指示を出す」
そう言ってクロネコは立ち上がる。
エールの木杯は、もう空になっていた。
「順調に行くことを祈るわ」
「何にだ?」
「お金にかしら」
「なら、その祈りは聞き届けられるだろう」
クロネコの返答に、カラスは可笑しそうに笑った。
4日目の昼。
クロネコは大量の衣服を購入した。
怪しまれないよう、複数の衣類店から少しずつだ。
殺すときに返り血を浴びた場合、速やかに衣服を交換するためだ。
また1ヶ月にわたり、殺しの現場を一度も目撃されずに済む可能性は低い。
そして万が一目撃された際、毎日のように同じ服を着ていると印象に残りやすく、その分だけ足がつきやすいからだ。
準備は整った。