2人で過ごす時間
14日目の昼前。
クロネコは顔を洗い、服を選んだ。
最初の頃に大量に買い込んだ服は、どれも目立たず地味な色合いをしていたが、今日はその中でもまだマシに見えるものを着た。
女性と出かけるにあたり、最低限、文句を言われないであろう意味のマシだ。
そして寝癖を解かし終えた頃に、カラスがやってきた。
「おはよう、クロネコ」
「ああ、カラス――」
クロネコは少し驚いた。
カラスは普段と異なり、水色に細かな刺繍をあしらった長めのワンピースを纏っていた。
鮮やかな金髪はいつも通りだが、洒落た髪飾りをさり気なくつけていた。
「どうかしら」
「……ああ、外見だけなら清楚なお嬢様に見えなくもない」
「一言余計だけれど、ありがと」
微笑むカラスを見て、なるほど、女は変わるものだとクロネコは再認識した。
普段は情報員としてしか見ておらず、カラスに女を意識することはない。
「クロネコは何というか、地味というか……。あなた、もしかして余所行きの服は持っていないの?」
「ないが、別に高級料理店とかに行くわけでもないのだろう?」
「まあ、そうね。あくまで身体を休めて、リフレッシュが目的だし」
「ならこれでいい」
「ええ。行きましょ」
2人は安宿を出発すると、まず表通りに出た。
繁華地区の通りは昼時ということもあり、通行人で賑わっていた。
「ほら、あれ」
カラスが指差す先、立て看板があった。
『治安の悪化に伴い、日没後の外出を禁ずる。破った者は罰に処す。
――リンガーダ王国軍務大臣 グスタフ・バーミーロン』
クロネコが周囲を見回すと、同じように、立て看板に注目している通行人が何人もいた。
当然、ぽつぽつと聞こえてくるのは不満の声ばかりだ。
しかし巡回中の兵隊たちを気にしてか、声高に苦情を述べる者はいない。
「罰とは?」
「さあ?」
クロネコの疑問に、カラスが首を傾げる。
「まあ、どうでもいいか。ところで、起きてから何も食べていないんだが」
「任せて。ちょっと人気の料理屋があるの」
「ほう」
「高級ではないけれど、それなりの平民が行くようなところ」
「楽しみだな」
2人並んで表通りを歩く。
ほどなくして、店と店の間にある料理屋に辿り着いた。
「入り口が少し小さくて目立たないけれど、中は広いから」
カラスが先導して、木製の扉を開く。
女性にリードされる形になったが、どちらも気にするような性分ではない。
「いらっしゃいませ。2名様ですか?」
「ええ」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
給仕の娘に案内され、クロネコとカラスは対面で席に着く。
店内を見回すと、決して高級ではないが、落ち着いた雰囲気の料理屋だ。
客層は確かに、やや裕福よりの平民が多い。
少なくとも貧民には縁のない場所だろう。
「どう?」
「悪くないな。高級店にありがちな静まり返った雰囲気じゃなく、そこそこ雑多なのがいい」
「そこ?」
「小声なら、俺たちの話が他の客に聞かれることはなさそうだ」
「まあ、そこは大事よね」
「しかし昼時なのに多少の空席があるな」
「だって」
カラスが物言いたげな視線をクロネコに向ける。
クロネコは咳払いをした。
「とりあえず、注文するか」
「ええ」
クロネコが片手を上げて、給仕を呼ぶ。
「ご注文はお決まりですか?」
「本日のランチは何だ?」
「小麦のパン、野うさぎの香草焼き、季節の野菜のスープです」
「美味そうだな。俺はそれを。あと水」
「私は、こっちの山羊のチーズのラザニアをお願い。それから、同じく水を」
「かしこまりました」
給仕が下がると、クロネコは正面に座っているカラスを改めて眺める。
整った容姿に伸びた背筋、小奇麗なワンピースと相まって、お嬢様然としていた。
「どうしたの?」
「いや。普段のカラスを知らなければ、うっかり騙されそうだと思ってな」
「褒め言葉?」
「ああ、よく似合っている」
「……あなたが言うと、歯が浮いてしまうわ」
言葉とは裏腹に、カラスはまんざらでもなさそうだ。
「こんな仕事じゃなくても、どこぞのお嬢様としてやっていけそうだな」
「いやよ。この仕事、稼げるんだもの」
「金のためか?」
「ええ。ダメ?」
「まさか」
カラスは肩を竦めて、言葉を続ける。
「美味しいご飯。綺麗な服。可愛らしいアクセサリ」
言いながら、指を一本ずつ折っていく。
「住まい。怪我をしたときの治療。いい職に就くための教育。全部、お金が必要だわ」
「そうだな」
「お金は必要だし、お金が好き。これを卑しいと思う人がいるなら、その人はきっとお金に苦労したことがないのね」
「そうだろうな」
異論はない。
金はいくらあっても困るものではないし、いくらでもほしいものだ。
クロネコは全くもって同感だった。
「お待たせしました」
給仕の娘が、食事を運んできた。
皿をテーブルに並べる。
「これは美味そうだ」
「本当に」
2人のその言葉を聞き、給仕の娘はにっこりと笑ってから下がった。
早速クロネコはスープから味わう。
「うむ」
続いてナイフとフォークを使い、野うさぎの香草焼きを切り分けて口に運ぶ。
「……うむ」
クロネコは頷く。
スープは野菜の味がきちんと染みており、香草焼きも香ばしく仕上がっている。
そんなクロネコを見て、カラスがくすっと笑う。
「何だ?」
「澄ました顔で食べているあなたが、可笑しくて」
「……」
カラスは、クロネコよりも優雅にナイフとフォークを使いこなし、ラザニアを切り分けている。
これを見て、暗殺者ギルドの情報員と思う者は、誰もいないだろう。
「あなたは?」
「ん?」
「お金。好きなの?」
「ああ。好きだし、必要だ」
「理由を聞いても?」
クロネコは少し思案するが、別に話してどうなるものでもないだろう。
そう考える程度には、クロネコは彼女を信用していた。




