デートのお誘い
12日の午後。
宿にカラスがやってきて、告げた。
「明後日から、夜間の外出禁止令が発令されるわ」
「急だな」
「緊急事態だもの。明日、王都中にその通達が出されるみたい」
カラスがいつも通り断りもなく安物の椅子に腰掛けるのを、もうクロネコも気にしなかった。
「それに急といっても、数日中に外出禁止令が発令されること自体はみんな知っていたし」
「それもそうか」
「どうするの?」
「何がだ?」
「夜の殺しは無理になるでしょ。昼間に殺して回るのかなって」
「まさか」
クロネコは、黒塗りのナイフの手入れをしながら首を振る。
「殺しは夜のみ。そう思わせておいたほうが、昼間は動きやすいだろう」
「お昼まで寝ているくせに?」
「俺じゃなく、お前が情報収集しやすいだろうと言っているんだ」
カラスは目をぱちくりした。
「私のことを考えてくれていたの?」
「当然だ。情報なくして暗殺は成功しない」
「それはそうだけれど……」
「依頼の成功には、お前の力が必要だ」
「……そう」
カラスは、どことなく嬉しそうに笑んだ。
「でも、それじゃあ、昼間は殺さないとなると?」
「手はあるから気にしなくていい」
「気にはなるけれど、わかったわ」
カラスは、金髪を片手でさらりと流す。
「ただ夜の酒場は、情報の宝庫なの。そこに繰り出せなくなると、住民たちの動向は少しわかりにくくなるわ」
「王城のほうは?」
「そっちは大丈夫。元々、間者が潜り込んでくれているから」
「ここまで来ると、王城内の情報のほうが重要だ」
「ええ。任せておいて」
カラスは軽く片目を瞑って立ち上がる。
「じゃあ、また明日」
「ああ」
立ち去ろうとして、カラスは振り返る。
「そうそう」
「何だ?」
「最強の暗殺者といっても人間なのだし、適度な休息も取ったほうがいいわ」
「それは心配してくれているのか?」
「どうかしら」
クロネコは、とっとと帰れと手を振る。
カラスもひらりと手を振り返し、扉を閉めた。
「ふむ」
クロネコは自分の身体を確認する。
なるほど、疲労が蓄積しているせいか、少しばかり手足に重みを感じる気がする。
考えてみれば、これほど短期間に大量に人を殺す依頼など、初めてのケースだ。
まして毎晩のように、町中を駆け回っている。
予想以上に疲労が溜まっていてもおかしくはない。
疲れて依頼を失敗したでは、笑い話にもならない。
幸い、現在まではいいペースで暗殺を進めている。
近いうちに一日くらい、休日を取っても問題はないだろう。
それにしても疲労が溜まっていることにいち早く気づくとは、カラスは自分のことをよく見ているなと、クロネコは感心した。
そして夜はいつも通り、人通りの多い地区に繰り出す。
普段から人の少ない職人地区などは、もはや一般人は誰も出歩いておらず、巡回の兵隊以外は見かけない状態だ。
だから自然と、足を向ける方角は歓楽地区や商業地区になる。
「ん? 今、屋根の上に何か見えたか?」
「野良猫か何かだろ?」
「そっか」
憲兵たちの会話を耳にしながら、クロネコは夜の帳をひた走る。
もう一部の地区でしか暗殺を行えないとなると、自然、殺せる数は限定されてくる。
屋根から飛び降り、通行人の首を裂き、一挙動で屋根の上に戻る。
そんな一瞬の出来事であっても、危うく兵隊たちの目に留まりそうになることもある。
巡回に加わる王国軍の数が、日に日に増えているのだ。
遠からず、屋根の上の移動すら目撃されることだろう。
そもそも外出禁止令が発令されたら、通行人はいなくなる。
暗殺の仕方を根本から変える必要があった。
そんなことを考えながら、クロネコは今夜、3人殺した。
◆ ◆ ◆
13日目の午後。
「明日は休日にする」
「何で?」
カラスは首を傾げる。
「そもそも休めと言い出したのはお前だが」
「それは、そうだけれど」
「確かに、少々疲労が溜まっている気がしてな」
「なるほど。一日休んで、心身ともにリフレッシュしたいのね?」
「そういうことだ」
「それなら……」
カラスは人差し指を、自分の顎に沿える。
「もしよければ、私と出かけない?」
「お前と?」
「ええ。ゆっくりしたいんでしょ?」
「まあ」
「じゃあ決まり。明日はお昼頃に、迎えに来るわ」
「あ、ああ」
強引に決められた気もするが、確かに、宿で一日寝そべっているのも芸がない。
まあいいだろうとクロネコは納得した。
「でも明日は、夜間の外出禁止令が発令される日だけど、いいの?」
「なおさらいい。明日はこれまでに一番、兵隊たちが気合を入れて警戒に当たる日だろうからな」
「暗殺が一件も起こらなくて、安心するでしょうね」
「だからいいんだ。安心は油断を生む」
それより、とクロネコはカラスを見る。
「ちゃんとリフレッシュできるプランを、考えてくれるんだろうな?」
「あら、普通は紳士が淑女をリードしてくれるものじゃなくて?」
「淑女……?」
「……紳士なんて存在しないから、私が考えておくわ」
「……頼んだ」
そしてクロネコは、催促するように顎を動かす。
「ええ、情報ね。騎士が動くわ」
「何? 騎士団が動く可能性は低かったはずだが」
「騎士団は動かないわよ」
「……どういうことだ?」
カラスはどう説明しようかと、しばし逡巡する。
「外出禁止令が発令中は、住民の監視のために、地方から呼び戻された王国軍が王都中に配備されるわ」
「そうだろうな」
「その王国軍は、何隊かに分けられて動くんだけれど」
「ああ」
「その各隊の隊長に、騎士が割り当てられるの」
「……なるほど。騎士団は動かせないが、一部の騎士を動かす苦肉の策と」
「そうなるわ。何せ騎士がいないと、あなたとまともにやり合えないんだもの」
「となると、あのリィンハルトとかいう騎士も出張ってきそうだな」
「たぶん」
とはいえ、見つからなければ問題ないだろう。
あるいは発見されたとしても、さっさと撒けば問題ないのだ。
「……念のために、確認なんだが」
「うん?」
「まさかとは思うが、王城詰めの魔法使いは出張ってこないよな?」
「……さすがに、それはないと思うけれど」
「あれは無理だぞ。一対一でも勝てない」
「えっ、魔法使いと戦ったことが?」
「ないが、会ったことはある。普通の人間とは、存在からして異なる人種だ」
カラスは足を組み変えながら、思案する。
「一国に数人しかいない、国にとっての最終兵器みたいな人たちよ?」
「いち犯罪に動員させるような人材じゃない、か」
「少なくとも私はそう思うわ。魔法使いの真価は、戦争のような大規模戦で発揮されるって話だし」
「そうだな。考えすぎか」
カラスが立ち上がったのを見て、黒猫が軽く手を振る。
「また明日」
「ええ。また明日」
その夜は、明日から夜間の外出禁止令が発令されるとあって、ここ数日では一番通行人が多かった。
主に、酒場に飲みに行く人々だろう。
通行人が多ければ、暗殺の難易度も下がる。
しかし無論、それを警戒して、巡回の人数もますます増えている。
どこを見回しても、兵隊の姿を見かけない場所はないほどだ。
通りがかった酒場を窓からこっそり覗くと、店内にまで憲兵が立ち入っていた。
それでも明日から夜の酒場が禁止となるせいか、それなりの盛り上がりを見せていた。
クロネコはこの夜、3人殺した時点で引き上げた。
<用語解説>
王国軍 …… 国の軍隊。戦争における主力。




