リィンハルト VS クロネコ
日が沈み、夜になっても、リィンハルトは自分の屋敷に戻らなかった。
人気の減った裏通りをゆっくりと歩いていた。
可能性は低いと知りつつも、首狩りに遭遇することを、心のどこかで期待していたのだ。
だから建物の隙間の細い路地に、遠く不審な人影を見つけたのは、本当に偶然だった。
ただの無関係な人間の可能性もある。
わかっていながらも、リィンハルトはその人影を追った。
入り組んだ路地裏を、右に左に進んでいく。
遠目に見える人影は、どうやら覆面らしきものを被っていた。
その時点で、首狩りではなくとも不審者には違いない。
そして追っていく途中で、その人影が、リィンハルトとつかず離れずの距離を維持していることに気がついた。
恐らくは誘導されている。
ならば、巡回中の憲兵あたりを呼ぶべきだろうか。
リィンハルトは逡巡したが、結局、単身で追うことに決めた。
下手に人を呼び、逃げられでもしたら、次の機会はないかもしれない。
リィンハルトは慢心する性格ではないが、自分の剣の腕には自信を持っていた。
ほどなくして、少し開けた空き地に辿り着いた。
人影はない。
待ち伏せされている可能性が高いが、リィンハルトは構わず空き地の真ん中まで踏み込んだ。
真ん中にいれば、少なくとも物陰からの奇襲は防げるだろうという判断だ。
不意に、背後に気配を感じ、リィンハルトは腰から剣を抜いて振り返った。
来た道を塞ぐように、いつの間にか黒い覆面を被った人影が佇んでいた。
両手にそれぞれ、肉厚のダガーを握っている。
リィンハルトはセレーネ・マクガフィの遺体を、直接目で見て確認していた。
だから首狩りの武器が二刀であることを、ある程度は予想していた。
「私はリィンハルト。騎士だ。君が首狩りだね?」
「……」
相手からの返答はない。
「大人しく捕まる気はないかい? 君のせいで王都の住民は皆、不安がっている」
無駄だと思いつつも、リィンハルトは問いを続ける。
過去に例のないほどの連続殺人犯だ。
捕まれば間違いなく縛り首だろう。
それがわかっていて、大人しく捕まる賊などいない。
返事の代わりとばかりに、首狩りが距離を詰めてきた。
リィンハルトは咄嗟に剣を構えながらも、驚愕した。
首狩りから目を離したわけではない。
にも拘らず、距離を詰めるその過程を、認識できなかったのだ。
気がついたら、首狩りとの距離が縮まっていた。
昔、リィンハルトは聞いたことがあった。
卓越した暗殺者の技術の一つに、人の認識を外す歩法があると。
理屈はわからないが、歩く過程を視認できず、まるで瞬間移動のように見えるのだと。
その話を聞いたとき、リィンハルトはまるで信じがたいと思った。
しかし、実際にその歩法を目の当たりにして、目の前の首狩りが並の賊ではないことを悟った。
首狩りが右からダガーを繰り出した。
リィンハルトにとって幸運だったのは、セレーネ・マクガフィの遺体を、直接確認していたことだった。
脇腹と首に、一撃ずつ。
恐らくはそれが、首狩りの必殺の攻撃。
リィンハルトは剣の根元で右からの一撃を受け、直後に走った喉元への次撃を、剣先で弾いた。
首狩りから、僅かな動揺が伝わってくる。
その機を逃さず、リィンハルトは一歩下がった。
これでダガーではなく剣の間合い。
「ふっ!」
裂帛の気合と共に、リィンハルトは剣を振り下ろした。
そこから流れるように、斬り上げへと続け、更に薙ぎ払いの3連撃を放つ。
そしてまだ終わらない。
剣を引き戻して稲妻のような突きを繰り出し、そこから再度、薙ぎ払いを派生させ、続けて斬り返し。
並の賊であれば一太刀で絶命するほどの攻撃を、6連続。
リィンハルトにとって必殺のコンビネーションだった。
過去にこれを最後まで繰り出して、立っていた賊は存在しない。
だが。
リィンハルトは瞠目していた。
無傷。
首狩りは、必殺であるはずの連撃を、全てダガーで逸らし、あるいは回避していた。
リィンハルトの全力をもって傷一つつけられないという事実は、彼を動揺させた。
その動揺を逃す首狩りではない。
攻守が逆転する。
首狩りが再び、距離を詰めてきた。
やはりリィンハルトは、その歩法に反応できない。
ダガーの間合い。
ダガーは間合いで劣る分、取り回しで勝る。
だからリィンハルトの剣速よりも、首狩りの攻撃はなお速い。
まして二刀。
喉へ、脇腹へ、鳩尾へ、首筋へ。
全ての攻撃が、高速で急所に迫ってくる。
リィンハルトは、たちまち防戦一方に陥った。
剣を傾けてダガーを受け止め、あるいは逸らし、弾く。
それでもリィンハルトは、じりじりと後退を余儀なくされていた。
丁寧に防御しているが、押されている。
精神的な余裕が、少しずつ削られていく。
一撃でも受ければ、そこは急所だ。
その時点で勝敗は決するだろう。
リィンハルトは、鎧を着てこなかったことを悔いた。




