第15話 クララ=リェマ
オーギュット様は、本日はご不在だという。
正式な訪問は別に行われていた。
今のヒューエン様とケルネの訪問は、あくまでオーギュット様とご婚約された、目の前の彼女にだけ、会う事。
クララ=リェマ。
オーギュット様とは9歳違い。現在25歳の平民。
もともと、オーギュット様の身の回りのお世話にとつけられた両親の娘だ。両親は平民だが、代々王宮勤め。
だが、臣下に下られたオーギュット様に仕えだして数年後、両親共に病気に倒れて伏しがちになってしまった。だから娘であるクララは両親の代わりとして、14歳という若さからオーギュット様に仕え始めた。
ヒューエン様のお仕事は、彼女の身元が書類と齟齬が無いかの確認と、人柄の確認。
ケルネも連れて来たのは、本当に退職祝いなのか、上層部の指示なのか。
とても物静かな内気そうな人だった。
顔だちも、優しそうではあるけれど、華やかさは無かった。
でも、よく見れば美人かもしれない、とケルネは思う。
でも、イセリちゃんの面影は、どこにも無かった。
面影と言っても、もう15年も会っていないから、ケルネの記憶だって曖昧だと自覚はあるけれど。
とはいえ、次姉の特徴として記憶に強く残っている『人を引きつけて止まない魅力』は、目の前のクララ=リェマにはない。
ヒューエン様が、オーギュット様とのご婚約の経緯を質問している。
クララ=リェマは、目を伏せて恥ずかしそうに答える。
「・・・いつも沈んでいらして・・・。私、精一杯お仕えしたいと、お慰めしたいと思っておりました・・・」
長い時がオーギュット様の癒しになったのだろうか。
ヒューエン様が尋ねていく。
オーギュット様をどのように思っているのか。お立場の事をどう考えているのか。
オーギュット様がこのような暮らしになられた原因についてどう考えているのか。
子どもが生まれたらどうするつもりでいるのか。
クララ=リェマは、聞かれたことに静かに答えていった。
全て控えめで。
オーギュット様を立てる、まるで淑女の見本のような人だとケルネは思った。
自ら決して口を挟まず、粛々と、主に従うような。
オーギュット様の女性の好みが、変ったのだろうか、と、ケルネはどこかぼんやりと思っていた。
オーギュット様は、イセリちゃんの事が、あれほど好きだった。ケルネに求婚して断られることで諦めようとしたぐらい。イセリちゃんの事を想い続けていた証拠だったのだとケルネは思っている。
クララ=リェマは、恥ずかしそうに頬を染めて、まるで少女のようだった。
オーギュット様を本当に慕っているのだろうと思った。
・・・オーギュット様はここにおられないけれど。
聞けば不遇で苦労した様子の彼女が、幸せになれればと願う。なお、母親の方は亡くなってしまっている。
オーギュット様は、本当にこのクララ=リェマを見ているのだろうか。だったらいいのだけど。
他人事だけど、心配になってしまう。
「きみから質問する事はあるか」
ヒューエン様が、ケルネに話を振ってきた。
「え、と、そうですね・・・」
きっと二度と会わない。与えてもらった、質問の機会。ケルネは機会を逃すことはしない。
いくつかしても、ヒューエン様は見逃してくれると言った。
だから、聞きたい事を、今、聞けるのなら。
「差支えなければ、教えていただきたいのですが」
ケルネは聞いた。
「オーギュット様は、あなたにどのように応えられたのですか?」
「応える・・・」
「いえ、失礼ながら・・・ひょっとして、クララ様の方が、先にオーギュット様をお慕いになられらのでは、と思ったので。オーギュット様は、クララ様の気持ちに誠実に、どのように応えてくださったのかしら、と」
ケルネは微笑む。
クララは目を伏せた。
「あの方は、ずっと、長く、あの人を想っておられました。ただ、ある日から徐々に気持ちを変えようとなさっているのを、感じておりました。気晴らしに・・・私を町に誘ってくださったり、少しずつ、私にも、笑ってくださって・・・。笑いながら他の方を見ておられたのが、私に・・・」
「・・・不躾な質問をして申し訳ありませんでした。私は、ケルネ=レイトと申します。レイトは夫の家の姓です。旧姓はオーディオ。私は、かの悪女『イセリ=オーディオ』の妹です」
「え」
クララが驚いて目を上げる。ケルネを見つめる。
「あなたが、あの」
ケルネは肩を竦めて笑ってみせた。
「姉妹ですが、全然似ているところがないのです」
「一度、オーギュット様が、あなたに会ったと・・・嬉しそうに。求婚を、なさったと。断られたと・・・」
まさかそんな話までしていたとは。ケルネは苦笑した。
「あれは・・・私への求婚のようで、あれは私への言葉では無かったと思っています。・・・オーギュット様は、姉イセリとの事を、考えての事だったかと。・・・ただ、ですから・・・私は、クララ様。あなたが幸せになられると良いと思うのも、事実なのです」
クララ様が言葉を失ったように、ケルネを見つめている。
失敗したかもしれない。決して傷つけたいわけではない。心配しての質問だったのだが。
「姉イセリの行方は、しれませんが、田舎で平民の人と結婚したとだけ、聞いています。・・・ですから、どうか・・・皆様も幸せになられればと、願っております」
頭を下げたケルネに、クララ様が尋ねた。
「あなたは、私と、オーギュット様の婚約を、認めてくださいますか・・・?」
この言葉に驚いた。真意を確認しようと顔を上げると、クララ様は心底不安そうにしていた。
認められないと、思っているのだと、ケルネは気づいた。
この人は、オーギュット様をずっと慕い、支えてきたのだと、ケルネは知った。
オーギュット様は、ケルネには、理解に苦しむほどのものを感じてしまうお方なのだけれど。
このクララ様にとっては、お仕えし、幸福を願ってやまない対象だったのだ。
「・・・私が認める認めるという権限を持っているはずはないのですが、それでも」
ケルネは言った。じっと目を見て、伝わるように。
「私は、姉が巻き起こした事柄に関わる全ての人が、囚われることなく、それぞれ幸せであってほしいと、願います。・・・私自身も、今、幸せに暮らしていますし。ですから、あなたにも」
「・・・本当に?」
「本当です。本心です。あなたの幸せをお祈りいたします」
正直者のケルネには、オーギュット様の幸せはまだ心から願えそうにない。イセリちゃんびいきな上に、個人的に直接被害をこうむったからだ。
でも、関係者が幸せになって欲しいというのも本当の事だ。
もう15年。それぞれ、次の幸せを掴んでいたっていいと思う。その範囲には、オーギュット様も含まれている。心から積極的に祈るのは嫌だけれど、それでも幸せになっていていいと思う。
ケルネが許す許さないの話ではないのだけれど。
「・・・オーギュット様との結婚を、認めてくださいますか。ケルネ=オーディオ様」
「・・・喜んで。私の許可など不要なお話ですが、いくらでも。認めます。どうぞオーギュット様とお幸せに。クララ=リェマ様」
「ありがとう、ございます」
クララ=リェマが、ワッと泣きだしたので、驚いた。
「あーあ、泣かした。きみのせいだね」
「そんな、ヒューエン様! そんなつもりで話したのではありません!」




