第8話 求婚
マルクが切羽詰まった声を上げた。
「畏れ多くも、申し上げます。どうかご慈悲を賜りたく存じます。この子は、姉については冷静に考えられないのです。愚かですが、家族の情のためと、どうかお見逃しくださいますよう、お願い申し上げます。わが国は前両陛下並びに現両陛下の治世のもと、皆平和を享受し過ごせております。平民は王家の尊い方々を始め、深い知性と慈愛の精神をお持ちの貴族の方々に守られ暮らしております。・・・平民はまだ子どものようなもの。子どもの癇癪にどうぞ切り捨てなどせず、見守り導いてくださいますよう、心よりお願い申し上げます」
ケルネは耳を疑った。マルクが、聞いたことのない、厳めしい言葉遣いで訴えている。
「きみの名前は」
「マルク=フレイユと申します。平民でございます」
「教養の高い平民もいたものだな」
「とんでもございません。私のような者など。勿体ないお言葉です」
「・・・それで? ケルネ=オーディオ。私は、では、改めてあなたに求婚する」
「ン?」
マルクの疑うような小さな呟きが零れた。ケルネにしか聞こえないほどの音量だ。ケルネを抑えつけている手が小さくぶれる。
オーギュット様が静かに告げた。
「マルク=フレイユ。下がっていろ」
平坦な命令の声だった。
ケルネは、マルクが自分のせいで、自分たち家族と同じような目にあってしまうと、理解した。
ザァっと血が引く。喉が固まったように動かない。ケルネはグッと頭を上げた。
隣で、マルクがさらに俯き、ケルネの頭から離した手を、ゆっくり下し、握りしめる。
「ケルネ=オーディオ。今から全て包み隠さず、本心を告げよ。そうすれば許そう」
告げられる言葉を、茫然とした頭で聞いている。けれど、うまく理解できている気がしない。どこか言葉が自分の中を滑り落ちていくようだ。
「もしきみが、偽りを述べ、または心の内を隠すなら、決して許すことはない。本心こそを、ありのままに、答えるように」
何を、聞かれるのだろう。なにを答えればいいのだろう。
「きみは、私が好きなのか?」
なぜそんな問いをする。伝わっていないのだろうか。
そんな問いをすること自体が、間違っている。
「ケ、ルネ・・・」
小さく呟かれた声は、オーギュット様にまで聞こえたらしい。
「マルク=フレイユ。黙っていろ。頭を上げるな」
マルクが、まるで罪人のように、地面にひざをついて、頭を下げた。
なんで?
全身が心臓になったように、ドクドクと波打っているのをケルネは知った。
何がなんだか、分からない。
「答えを」
オーギュット様の言葉に、隣のマルクが、ぎゅっと強く両手を握りしめた。
ケルネは震えた。
マルクは、ケルネを必死に助けようとしてくれた。こんな風に頭まで下げさせてる。
何とか、しなきゃ。マルクを、この状況を、なんとかしなきゃいけない。
真っ直ぐオーギュット様を見つめて、ケルネはゆっくりと口を開いた。
「私は、あなたが、大嫌いです」
短く、けれどはっきりと、答えを返す。
身体中が焦って熱い。それなのに、頭だけは冷静でいるような気分で、妙だった。
私は、正直に、本当の事を、答えるべきだ。オーギュット様の命令だから。
一方で、私は、マルクのために、冷静に、答えるべきだ。決して喚かず、短く、簡潔に、事実だけを。
オーギュット様が、目を細めた。
・・・わずかに、嬉しそうに、見えた。
「どうしても、嫌いか? 私が、あなたの家族を、不幸にしたからなのか?」
「はい。どうしても、大嫌いです。私は、次姉を、愛しています。幸せな思い出と繋がっている、家族だから、です。でも、あなたはそうではありません」
オーギュット様の表情が、また柔らかくなった。
なぜだ。
自分が本心を語っているのが、そんなに、嬉しいのだろうか?
どうして?
そんなに、オーギュット様の周りは、嘘ばかりなの?
だから?
オーギュット様が、少し目を伏せ、少し微笑む。この状況での表情に、理解ができない。
次にまたケルネを見た時、その表情に驚いた。
懐かしそうに、求めるように、焦がれるような顔だった。
「私と、結婚してもらえませんか」
ケルネにも分かった。
オーギュット様は、イセリちゃんに向かって、言っている。
どうして。
ケルネに言ったら、ケルネの答えなど決まり切っている。問うはずもなく答えは分かるはずなのに。
え、まさか。
茫然とした。そのまま、返事をした。
「いいえ。お断りです、オーギュット様」
じっとケルネを見つめるオーギュット様の表情には代わりがない。穏やかなまま、ケルネを通して次姉を見ている。
私に返事をさせるの? 私は、イセリちゃんじゃないよ。
私の返事で良いの?
あぁ、でも。
もう、イセリちゃんは、オーギュット様を捨てて、どこかの誰かと結婚したんだ・・・。
「私はあなたとなんて、絶対、結婚なんてしません。正直に、隠すことなく、偽りなく」




