第6話 ケルネの怒り
ケルネが抑えられない怒りで赤く顔を染め、睨んでいるのに、オーギュット様は優しく見守る様子だった。
そして、少し考えるように、伺うように、オーギュット様はケルネに向かってこう言った。
「私と、結婚してくれませんか」
「!」
「・・・ぇ?」
小さく怪訝な声を上げたのは隣にいるマルクだ。
ケルネは、怒りを抑えきれなくなった。本当に、オーギュット様は、一体、何を言っているのか、と!!
「私は」
声を出すと、怒りのために声が揺れて、しわがれたようになっていた。初めから、言い直す。
「私は、あなた様と、結婚なんて、考えても、いません!!」
「それはなぜ?」
やたら落ち着いて穏やかな様子に、ますます怒りが膨れ上がる。
オーギュット様が不思議そうに真っ直ぐに尋ねてきた。
「断られる理由が、分からないのだが。私は臣下に下ったとはいえ、身分は保証されている。制限はあるが、ご家族を支えられるだけの事はできる」
隣のマルクが、オーギュット様の言葉にどこか身を引く様にたじろいでいる。
ケルネの怒りは溜まりすぎて、もう吹き出すほかはない。体の中に納まらない。
「あなたがっ! 私の、家族を、支えるなんてっ! あり得ません!」
「どうして」
「どうしてって! あなたの、せいで、私たちの、家族が、だって、皆、酷くて、イセリちゃんは出て行っちゃって、お店、お客さん、変な人しか、来なくなっ、た、」
「それは、私のせいだろうか?」
「あなたが無責任だからっ!」
ケルネは叫んだ。悔しさと怒りがまぜこぜになって、真っ赤な顔で怒鳴りながら、涙が溢れてきた。
「なんでちゃんと、来な、かった、の、ですっか! イセリちゃん待ってたのに! ずっと泣いて、私にだけ、まだ待ってるって、私にしかもう言えないって言いながら、待ってて、なのに、迎えに、ずっと来なかった!」
ケルネの叫ぶ様子に、オーギュット様が目を見開いて、言葉を失っている。顔色が変わった気がする。
「いなく、なっちゃった、連絡もないし! 手紙もくれない! どうしてるか分からない!」
ケルネは耐えられなくて、両眼を握った両手で覆った。
「オーギュット様だけが、ズルイ! 約束を、破った癖に、なんでイセリちゃんだけを皆悪く言うの!? 家族皆、酷い嫌がらせされたり、意地悪されました、クルトお兄ちゃんはいじめられたし、ウイネお姉ちゃんは結婚できなくなっちゃった! もう30歳超えちゃったのに! イクザお兄ちゃんだって、他に勤めもできないって、お店はもう無理っていうけど! お父さんとお母さんも、どうしようって、でも王都にいた方がイセリちゃんが戻ってきたときに良いからって!」
「ケルネ・・・」
隣のマルクが、泣き叫ぶケルネを慰めようとして背中をさすってきた。小声で言ってきた。
「ダメ、ケルネ、ストップだよ、それ以上言ったらダメ。出世しようよ、ダメになっちゃうよ。平民はそんな口きいちゃダメだよ!」
マルクが泣きそうに宥めてくる。
ケルネの感情がさらに揺れまくった。涙腺が壊れた。
「だって、だって、マルク、だって、酷い、この人、私たちのこと、全然、考えても無い、私だってずっと、我慢してきた、あまり泣いたり叫んだりしなかっただけだよ、だって、お母さんとウイネお姉ちゃん泣いてるんだもん、聞いてあげなきゃ、いけなくて、私が聞く役なの、慰めなきゃ、でも、私は、イセリちゃんが、いなくなったから、」
「落ち着いてよ、お願いだよ、ケルネ・・・」
「・・・彼女と私の話の時間だ。割り込まないでくれ」
オーギュット様が、マルクにどこか冷たい声をかけた。
マルクが驚き、ケルネの背中を撫でていた手がピタリと止まる。マルクはオーギュット様に何かを言いかけて、口を結んだ。
「ケルネ=オーディオ。きみは私が悪いと言うのか」
「・・・!」
その言葉にハッとした。ケルネも、まずいとやっと思い至ることができた。平民が、臣下に下ったとはいえ、王族の一人を、公の場で罵倒しているのだ。
ど、どうしよう。でも、もう、怒鳴り散らしてしまった。戻す事などできない。
「私がなぜ2年も謹慎になったと思う? 彼女の事を、諦められなかったからだ。婚約者がいながら、きみのお姉さんに恋をした。彼女こそを迎え入れたかった。私を慕ってくれていたのに、婚約者であったユフィエル様を酷く傷つけた。それらは私の酷い過ちだった。彼女にそんな傷をつけるべきではなかった。分かっている。だが、同時に、どうしても、諦められなかった」
何を。この人は、まだ言うのか。
ケルネは茫然とした。怒りと、もたらされるはずの暗い未来とで、頭がボゥっとして訳が分からなくなる。
この人は、イセリちゃんの事を諦められないと言いながら、先ほど平然と私に求婚をしてきた。
あぁ、確認した事実にさらに怒りが点火されていく。火を消さないといけないのに。
でもこの人は、私がイセリちゃんの妹だから、あんなことを言っている。ふざけている。なんて常識のない振る舞いをするんだろう。
違う。謝って許しを請わなければ。
自分だけの問題じゃない。せっかく立身出世を目指せって学校に来たのに、逆に家族をもっともっと不幸にしてしまう。それだけじゃない、マルクが不幸の道連れになってしまう。
ドクンドクン、と心臓が鳴る。
「私が彼女と一緒になる事を諦めたから、謹慎が解けた。今は国王となられた兄上に謝罪の機会が与えられた。王妃ユフィエル様にも。・・・だが」
オーギュット様が、少し俯いた。
「私が諦めたのは、彼女、イセリ=オーディオが、平民の男と結婚したと知らされたからだ。・・・約束は、彼女が破った。・・・私だって、待っていたよ。・・・それでもなお?」
オーギュット様が顔を上げて、じっと真顔でケルネを見た。




