第三十八話 旅
数日が経った時、向こうから声をかけてきた。
「・・・本当に王都に行きたいなら、日を調整して連れて行く」
「本当に? 仕事は大丈夫?」
「大丈夫になるように調整するから、すぐには行けない」
「・・・ありがとう!」
イセリの喜ぶ様子を、ダンがじっと見ている。
「聞いて良いか。王都に行ってどうするの」
「家に帰るの」
ダンは不思議そうにした。
「どうして、ここに来たんだ」
「騙されて、ついてきちゃった」
「本当に? それシスターも知ってる?」
「騙した人の方を信じてて、私は夢見てるんだって思ってしまってる」
「心配だ」
「え?」
眉根を寄せて、本当に心配されていた。騙されやすい子だと思っているのかもしれない。
でも、王都にイセリを連れて行ってくれる。
***
結局、連れていって貰えるまで、3ヶ月かかった。
王都は遠くて、8日から10日間ほどはかかる。往復になると倍以上だから、予定を空けるのが大変だったらしい。
待っていられないなら他の人を当てにした方が良いと言われたけれど、イセリは待つ事にした。この人は信用できる。他の人に、また騙されてはたまらない。
ようやく行ける予定がたった時、迷惑をかけているのは分かったけど、イセリは本当に嬉しくて仕方なかった。思わず飛びついてお礼を言った。それからハッとして慌てて離れた。自分に好意を持ってくれている人にこんなに親しくしては期待させてしまう。
相手はイセリの様子に苦笑しながら、それでも嬉しそうだった。
ごめんなさい。ごめんなさい。
でも、本当に、ありがとう。嬉しい。
やっと旅立ちの日が来て、どうしてだか結婚するのだと思い込んでいるシスターたちに見送られて、イセリは王都に旅立った。
ちなみに、この3ヶ月、あの初老の男、グレモンドさんはイセリに1度も会わなかった。
***
異変は1日目からだった。
宿泊にと立ち寄った町で、イセリは自分が思う以上に悪名を轟かせている事を知った。
〝イセリ=オーディオは、第二王子オーギュット様をたぶらかし、ユフィエル様に酷いことしたって。オーギュット様も謹慎だ”
〝せっかく聡明だって噂だったのに、残念だね”
〝ルドルフ様とユフィエル様、今じゃ仲の良いご夫婦で、お人柄も良いしこの国は安泰だね”
〝イセリ=オーディオは王都に住んでいられなくなったって”
〝当然さ。家業だって傾けたらしいじゃないか。酷い女がいたもんだね!”
イセリを悪者にした、次期国王陛下ルドルフ様とユフィエル様の恋を題材にした歌が流行っていた。子どもたちが歌っている。
日常の罵りに、「イセリ=オーディオのように愚かで浅ましいね!」などと自分の名前が入っていた。
愕然とした。
***
私は。どうしたら良いんだろう。
イセリ=オーディオ。
その名前がこれほど一人歩きしているなんて。
とても、名乗れない。
私は、偽名で生きていく方が良いんだろうか。
オーギュット。
どうしてる?
私の事、覚えてくれてる?
もし、本名で王都に戻ったとして。
オーギュットが、本当に私をもう捨てていたら、私はどうしたら良いんだろう。
私は、今の偽名で、生きていくべきなんだろうか。
オーギュットの事は、諦めて。
王都へ向かう事を心待ちにしていたのに。
どんどん、気持ちが重く暗くなっていった。
***
旅は何日も続いた。
王都が近づいてくる。噂が無くなる事は無かった。むしろ、詳しい話が増えていく。
イセリは顔を上げられなかった。
王都に近づけば近づく程、自分の顔を知っている誰かに合う可能性が高まっていく。
こんなに悪し様に言われているなんて。
どうしよう。
戻りたくない、とイセリは思った。
戻りたくない。
もう、戻れない。怖い。
***
今日、王都に入ることができるはずの朝。
宿屋を出て、馬車に乗ろうとした時に、ダンが手招きして、イセリを物陰に呼んだ。
ずっと暗い顔のままのイセリを、ダンは、じっと見つめた。
「イセリ=オーディオ」
ダンが知るはずのないイセリの本名を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。血の気が引く思いがした。
慄いて顔を上げてダンの顔を見る。
観察しているような、ダンの表情だ。
怖くて、でも何かを言わなければと思うのに、戦慄いているイセリを見て、ダンは嬉しそうに笑んだ。
「・・・戻る場所はなさそうだ」
「・・・っ」
ダンはゆるやかな動きで、イセリを壁に追い詰めて、腕を壁につけてイセリを囲むように追い込んだ。
じっと真っ直ぐ見てくる。それでいて嬉しそうな笑みを浮かべている。
「秘密に、できる」
どういう事?
イセリはゴクリ、と緊張で唾を飲みこんだ。
「秘密にする。・・・馬車に乗って」
ダンが優し気に笑い、腕の囲いを解いて馬車へと歩く。
イセリを待っている。
何、どうしよう。でも、秘密にしてくれるって。
嫌な汗をかきながら、イセリはダンの馬車に乗り込んだ。
***
気が付いた時には、馬車は元来た道を戻っていた。
「・・・セリ=エレットだろ。村に帰れば良い」
「ちょ・・・待って、勝手な事を決めないで!」
イセリが手綱を奪おうとするので、ダンはあきれたように馬車を道の脇に止めた。
手綱を掴もうとしているイセリの手首をグッと握った。
「え、何・・・」
「イセリ=オーディオ。王都に戻れるはずが無いだろ」
ビクリ、とイセリの肩が跳ねる。
「・・・田舎町まであんなに噂される悪女。・・・人に、仕事を休ませて、旅をさせて・・・それでやっぱりサヨウナラなんて・・・信じられない」
ダンの言葉に目を見開く。
仕事を休んだのは、ダンだ。旅をしていいと言ったのも、ダンなのに。
「結婚すると思われてる。俺ときみが」
「・・・」
「だから仕事も他のヤツが、肩代わりしてくれた。宿代も祝福でもらった。調整に3か月もかかって、一緒に旅してる。その間に、きみが俺を気にかけてくれないか期待した。長く一緒にいたのにきみは。俺が好きなの、知ってるくせに」
「・・・え、あ」
「イセリ=オーディオ。村に連れて帰る。大丈夫、セリ=エレットとして、暮らそう。一緒に」
「え、」
ダンがじっと見ながら、笑みを浮かべていた。
笑んでいるのに、圧迫感があって怖い。
「王都に戻れない。さあ、帰ろう」




