第三十六話 罠
イセリは家族みんなに、それぞれ個別に謝り、別れの言葉を告げた。
家族は頷いて謝罪を受け入れながら、一方で、次回にあの初老の男性が来る日に向けて、本当に問題はなさそうかと、いろいろ調査を進めてくれた。
結局、やはり人柄には問題無いようだ、と分かった。
イセリはついていって大丈夫そうだった。
***
イセリは初老の男性、グレモンドさんと共に王都を旅立った。
病気の奥様も一緒で、馬車の旅だ。
酷く緊張したけれど、移動の間に少しずつ打ち解けてきた。奥様のお世話もがんばっている。
二人とも、
「ありがとう」
と穏やかに言ってくれる。
安心してきた。良い人たち。
旅の途中、グレモンドさんたちと町に寄り、宿に泊めてもらう。
とても良くしてもらっている。
グレモンドさん夫婦は、子どもはもう大きくて独り立ちしているらしくて、でもイセリの事を新しい娘が来たようだと喜んでくれていた。
町では、グレモンドさんは必ず役場に行く。手紙を受け取っているそうだ。
王都の事が気になるらしくて、奥様やイセリに、手紙でもらった王都の噂などを教えてくれた。
いくつか目の町で、グレモンドさんはイセリも連れて役場に行った。
イセリの名前を、正式に別の名前にしてくれた。名前を変えた方が安全らしい。前もって家族の前でも説明を受けていた。
新しい名前は、少しだけイセリの名前を残して、セリ=エレット。
少し感慨深い。
***
ある日、グレモンドさんはイセリだけを連れ出した。奥様は病気があるから宿で待っているそうだ。
長時間かけて、イセリたちは教会についた。
「・・・妻はしばらく、病気で動けそうにない。セリ、ここで頑張ってほしい」
「え? は、はい」
シスターが現れた。
「まぁ、なんて可愛いの!」
とイセリを見て喜び、イセリを迎えようとして抱きしめた。
戸惑って、少し目を離した隙に、グレモンドさんの姿は消えていた。
どうして。何か、おかしい。
イセリは、シスターに事情を話そうとした。
「あの、私、あの人、グレモンドさんのお家にお手伝いにって言われたんです。どうしてここに連れてこられたんでしょう」
シスターが少しきょとんとしてから、頷いた。
「あら。私たちは、お見合いで良い娘さんがいるから、お手伝いの子を連れて来るって聞いていますよ」
「え?」
話が分からない。
おかしい。変。絶対、変。
「あの、グレモンドさんのところに帰ります、すみません、すぐ帰してください」
「え・・・」
シスターが戸惑っている。
隙をついて、イセリは走った。
だが、門を出ていく馬車を目で捕えることしかできなかった。
どうして。
馬車は今ないと言われて、すぐに後を追えない。
今日泊まった町の名前はと言われて答えたら、また戸惑われる。
「少なくとも近隣に、そんな名前の町はありませんよ・・・?」
「え? あの、赤い屋根の家があって、屋根に風見鶏が・・・」
「・・・そう言われても・・・」
おかしい。
日も暮れてきて、お腹が減ってきた。
行き先も分からなくて、イセリはその教会に泊まる事になった。
胸騒ぎと緊張で、全然眠れない。
どうしよう。
***
悶々と考えているうちに空が白んできた。
同室の子はまだ寝ている。イセリはそっと部屋を抜け出した。
教会の建物には内側から閂がかかっていた。
重たくて格闘していると、昨日とは違うシスターが起きてきてイセリを見つけた。
「まぁ。あなたは、たしかセリ=エレットさん。どうしたのです」
「え、あ、あの、私、うちに帰ります!」
シスターは目を丸くして、それから言い聞かせるようにした。
「セリ=エレットさん。あなたは、お家にいられないところをグレモンドさんに引き取ってもらって、それでお見合いに参加されるって」
「そんなの、私、知りません! 聞いてません! 人違いです!」
「え・・・?」
イセリは説明しようとした。
「私、あの人、グレモンドさんの家のお手伝いにって言われて、それで王都から旅してて・・・」
「・・・少し確認してきますね。お待ちなさい」
イセリは部屋に案内された。
シスターは他の人を連れてきたようだ。扉が軽く開いてしまっていたらしく、廊下の声が聞こえた。
「・・・虚言癖があるって、聞いてるわ・・・。王子様が迎えに来てくれるなんて思い込んでいるらしいの・・・だから困ってお見合いさせようって・・・」
「まぁ。噂のイセリ=オーディオみたいな子ですね」
「ふふ、あの子は単純に夢を見ている可愛い娘さんですよ。噂の悪女とは違うわ」
足音が近づいてキィと扉が開く。
二人のシスターはとても柔らかい雰囲気でイセリに話しかけてくれたけれど、イセリの耳にはもう入ってこなかった。
騙された。
そう分かった。
どうして。
・・・貴族の嫌がらせ・・・?
どうしよう。家に戻らなくちゃ。
「家に、帰ります・・・王都に行くお金を、お願いします、貸してください・・・」
「あなたのお家は、トルゼリ村だと聞いていますよ。あなたのお名前を言ってごらんなさい」
イセリはシスターの目を見た。
イセリ=オーディオ。
言いかけて、迷う。
悪女だと、シスターがさっき言っていた。こんなところまで、自分の名前が、悪評が、届いているなんて。
黙り込んで俯き、涙目になるイセリに、シスターが優しく宥めるように言った。
「・・・落ち着いて。さぁ、暖かい白湯を持って来ましょうね。来たばかりで落ち着かないのね。でも、グレモンドさんもあなたに説明したと思うけれど・・・。明日、お見合いの人たちが来るわ。皆真面目に働いている人たちよ。あなたは可愛いから気に入ってくれる人がいると思うわ。あなたも気に入る人がいると良いわね」
どう言えば良いのか、分からない。
まさか強制的に結婚させられたり・・・?
「あ、あの。気に入る人がいなかったら、どうなるんですか・・・?」
「まぁ。大丈夫よ。何人も来るのですもの。ちょっとでも良いと思う人なら、それは神様が下さったご縁ですよ」
動揺が強くなる。
「でも、それでも、私・・・。私、王都に行きたいです!」
困ったわね、とシスターたちは顔を見合わせた。




