第十話 嫌がらせ
イセリは職員室で、途方に暮れた。
ボロボロになった教科書と参考書を、新しいものに交換してもらいにきたのだが。
「・・・あまりにも、頻繁すぎる。これ以上は、自己負担にすべきだという意見が出ているほどだ。・・・きみの、物品管理が甘いのではという指摘もあるぐらいなんだよ」
担任でもあるその教師は、苦しそうにイセリに告げた。
「・・・すみません」
イセリは謝った。
この教師は、イセリの状況を知っている。初めの交換の時に、説明を求められたからだ。
教師はため息をついた。
「・・・きみが破損しているのではないと、知っているけれど」
奨学生は、制服から教科書から、費用は全て無料で、国が支給してくれる。
ボロボロの教科書を使わざるを得なかったのを教師が見て、交換できると教えてくれたのだ。
だが、交換しても、すぐに破られ汚される。
貴族が使う書籍は、平民にとって高価なものだ。自己負担は辛い。
それに、費用を払ったとしても、絶対、またすぐに破られる。
破ったのは貴族様なのに。
イセリも注意はしている。けれど防げないのだ。
イセリの悔し気な表情に教師はまたため息をつき、新しい教科書を渡してくれた。
「・・・自分が購入したつもりで死守してみろ」
「・・・はい」
教師は、ため息をつきながら、イセリの頭にポンと片手をおくという方法で、慰めてきた。
***
交換してもらった教科書を胸に抱いて、イセリは職員室を出た。
気分が酷く沈んでいた。
どうしよう。
でも、気をつけるしかない。
学校に通えるのは、支給品があってこそ。交換してもらえるからこそ。
それが打ち切られてしまえば、学校生活を送るのは無理だと思った。
***
交換した教科書を、大事に引き出しにしまう。鍵をかける。
けれど、開けようと思えば他の鍵で開くのだろう、何度も被害に合う。でもここしかない。
貴族様なら、荷物はお付の人が管理してくれるけれど・・・。
できるだけ席から離れない方が良いのかもしれない。
だめ、無理だ、とイセリは思った。
トイレにだって行くし、移動教室だってある。お昼だってある。
どうすれば良いのだろう。
オーギュットの顔が浮かぶ。
だけど、イセリは、オーギュットから無償交換を口添えしてもらうのは、気が引けた。オーギュットの立場を利用してしまっている。それは良くないと思った。
嫌がらせそのものが止まれば良い。
けれど、オーギュットや教師にすでに相談しているのに、この状態だ。
・・・嫌がらせが止まればいいのに。
きっと、オーギュットに近づくのをやめない限り、終わらないのだ。
***
やられた。
机の引き出しが引き抜かれて、中身が全て床にばらまかれていた。机は倒されていて、椅子は別の場所に横倒しにされていた。ここまでは今までされたことがなかった。全てが破壊されていた。持参の筆記具も、自分の気休めに持っていた好みの小物も。教科書も、ノートも、全て。
イセリは扉のところでそのまま座り込んだ。
クスクス、と、笑う声がしている。
イセリは茫然とした。
ゆらゆら揺れる瞳で、周囲を見回した。貴族たちが静かに笑いながら、イセリから目をそらす。
平民は暗い顔で俯いている。
酷いと思った。
どうしよう。立てない。
こんなところ、嫌だと、イセリは思った。
全てが嫌になった。
教室の入り口で座り込んだイセリの後ろ、廊下を人が通っていく。
皆、気にしているくせに、誰も声をかけない。
酷い場所だと思った。
酷い世界。
醜い人たちばかり。
イセリはボロリと涙を落とした。皆が見ている前だけれど、限界はすでに超えていた。
食堂でオーギュットと過ごせて、その幸せで乗り越えていたけれど。
お姫様の再登校の影響か、オーギュットと一緒に食べることもできていない。
結局、婚約者は婚約者なのだ。
結局のところ、それが、事実に違いなかった。
***
次の授業を知らせる鐘の音が聞こえた。
イセリはノロノロと立ち上がり、教室を後ろに廊下を歩いた。
一番近い出入り口から外に出る。
そのままイセリは歩いた。
庭園にたどり着く。歩き回って、静かに過ごせそうな場所に座り込む。
しばらくボゥっとしていると、授業開始の合図の鐘が聞こえた。
でも、イセリは動かなかった。
イセリはゆっくりと下草の上に寝転がった。木漏れ日。顔の角度を変えると、穏やかな青空。
イセリは目を閉じた。
授業が始まったから、あたりは静かだった。
ピチュピチュという小鳥の鳴き声が聞こえる。木の葉が風に揺れるサワサワとした音。
心を空っぽにして、イセリはそこに転がっていた。
自分はどうしたいのだろう。