荘厳なる少女マグロ と 運動会
ただ、
現代にいる
ほとんどの
#描写を
最小限に
している者#が…
――”劣る者”が……
行っている事は………――
「reduction」
――である。
作業は……――
「retraction」
――である。
それは、
対象を
分析した結果から
導き出された
手法
その展開
ではない。
単に
描写を
少なくすれば
”良い”
という問題では
無い。
それは、
流れの中で…
――その手法が……
<”場”
をコントロールする者>
に都合が
”良い”
為に
そうされただけ。
テンプレ化しただけ。
対象が………――
「そうである」
――から
そうしている訳では
無い。
”読者”や
”観察者”の
<想像>
で埋める為。
「個人」
――と
想定された者が
自分勝手に
対象を
捻じ曲げて、
自由に……――
<解釈>
――しながら…
「楽しむ」
――”様に”
する為。
最早、
その
”様な”
手法は
テンプレ化されて
ループする
構造が
出来上がっている。
自動化されている。
その程度は、
”卓越”
が繰り返さなければ
ならない事では
無い。
出来上がった
フェーズを
コンパクトに
纏め、
テンプレ化し、
ループする時に、
<ループが
生成しない
ケース>の
生じる……――
「現象」
――を
見つけ、
分析する必要が
あるのだ。
それこそが………――
「次」
――のレベル
なのだ。
そして
”劣る者”
には
それが
わからない。
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”劣る者”:
「劣ってたら
楽しんじゃ
いけないのか!?」
「”劣る者”が
楽しむ事を
禁止する
必要が
ある」
――と
主張している訳では
無い。
”劣る者”は
”優れたもの”を
楽しむ事が
出来ないのだ。
受け入れないのだ。
認めないのだ。
出来ると
勘違いしなければ
”良い”
だけだ。
自身が
理解出来る
レベルが
素晴らしい等と
錯覚しなければ
”良い”
だけだ。
”劣る者”:
「本当に
優れていたら
他が
放って
おかない……――
『筈』
――だ!!」
それは
間違っている。
他は
放置する。
”劣っている者”は
”優れたもの”
を放置する。
それらは
能力に於いて
理解する事が
出来ないのだ。
そして
それら
”出来ない者”が
<邪魔>
をしているだけだ。
”<邪魔>
する者”
が必要無い
だけだ。
”悪人”が
捻じ曲げなければ
済む話である。
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キャラクターだけではない。
「プロット」
――の
構成要素
に関しても
”同じ”。
具体を
羅列する事は
出来る。
遺伝子配列の
<親近
”性”>を
指摘する事で
"少女" と
"外国人" が…――
「<”同”
一人物>
である」
――と
する事は
可能だ。
二つの関係が……――
「<家族>や
<親戚>」
――と設定する事は
可能だ。
「"外国人" が………
――国籍を
――代える際に……
顔を
微調整して
"少女" の顔を
利用した」
――という
設定でも
問題は
無い。
ただ
その
”様な”
作業は
必要無い。
その作業は…
――単に……
”劣る者”を………――
「楽しませる」
「驚かせる」
「興味を
抱かせる」
――という事を
導く程度しか
意味は
無い。
その程度は……――
<大昔の
推理小説>が
繰り返した事
なのだ。
そして
その作業は…――
”人ではないもの”を
”人”とする事なのだ。
ここで
展開しているものは……――
「次」
――のレベルなのだ。
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