荘厳なる少女マグロ と 運動会
”悪人”に
どれだけ
説明しようとも
<説得力>
を見出す事は
ない。
"鼈" には
"蜘蛛宇宙人" の
足捌きなど
見えない。
足捌きを
コントロールする
<知
”性”>
など
見ない。
そこで
展開する
<意図>
など
どうでも
”良い”
のだ。
#どうでも
”良い”と
<評価>
する
”劣る者”#
の見出す
”説得力”
こそ
どうでも
”良い”。
それらは
変わらない。
代わるだけ。
尊重しない者を
尊重しても、
”悪”
を尊重する事に
なるだけ。
そして
子供である
"蜘蛛宇宙人" は
それを…
――未だ……
受け入れない
だけ。
そして
誰が
否定しようとも………
――無為化しようと
――画策しようとも……
"蜘蛛宇宙人" が
努めた事は…――
「無い」
――訳では……
「無い」。
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条件は
”同じ”
である。
"マグロ" と
"鼈" は
”同じ”
である。
”同じ”
”様に”
出来ている………
――成立している……。
写像として
二つは
<入れ替え可能な対象>
として
設定している。
"鼈" を
<別の
”場”>で、
<別の
フィギュア>
に対応させてから
それを
"マグロ" に
当て嵌め直す事は
可能だ。
ただ…――
違う。
”場”
に於いて
"鼈" と
"マグロ" は
違う
”様に”
働く。
二つは
”同じ”
境遇を
辿る……――
"蜘蛛宇宙人" が
蜘蛛宇宙人を
繰り返す
”様に”。
ただ………――
内容が
違うのだ。
"マグロ" は
為し、
"鼈" は
為さない。
"マグロ" は
”善”
を進み、
"鼈" は
”悪”へ。
違う。
それでも
”劣る者”による
現象への
<評価>
は変わらない。
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"鼈" は
繰り返すのだ。
"鼈" は
"マグロの母親" と
”同じ”
道を
進むのだ。
"鼈" と
"マグロの母親" の
二つの間に
遺伝子的
親近
”性”
は無い。
構成要素のシェアで
重なる割合は
低い。
それでも……――
二つは
”同じ”
を見せる。
そして…――
"女王" さえも
”同じ”
を見せる。
「人それぞれ」
――でも……
”同じ”。
ループ。
ヒューマニストは
それぞれの違いに………――
「個」
――を見出す。
<”悪”
のヒューマニスト>は
それを
利用して
社会に
不利益を
齎そうと
する。
ただ……――
差は
差ではない。
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この
”様な”
状況の中…――
待つ者がいた。
それは
ずっと
待っていた。
時期が
来るのを
待っていた。
報せを
待っていた。
"外国人" の
報せを
待っていた……――
箱の中。
誰からも
気づかれずに。
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