荘厳なる少女マグロ と 運動会
「偉業」
――が
そうである為には…――
「承認が
必要だ」
――と主張する者は
自身だけが
認める事を
社会的に
価値化しようと
画策しているのだ。
レベルは
違えど、
それは
繰り返し
現れる。
そして
”劣悪なる者”は
自身より
上の者が
為した……――
「偉業」
――を承認しない。
その
”様な”
相手を
承認してやる
必要は
無い。
―――――――――――――――――――――――――
スルースキルを
発揮させる
必要は
無い。
スルーすれば
一度は
治まるが、
根本的な解決には
なっていない。
そして
スルーした………――
「無視した」
――という
証拠が
残るだけ。
いつの時代も
繰り返される。
未来の
”卓越”
を絶望させる
必要は
無い。
―――――――――――――――――――――――――
”劣っていない者”は、
前提を
確認しなければ
ならない。
”劣悪なる者”は
前提が
立っている事さえ
理解せず、
前提の分の
高さを
差し引く事を
求める。
自分の
低い
レベルまで
後退する事を
求める。
確かに……――
前提に
穴があるのであれば
修正する
必要がある。
ただ、
穴が
無いのなら、
相手の要求に
答える必要は
無い。
相手が
下である事を
示すだけで
”良い”。
―――――――――――――――――――――――――
因みに…――
現代は、
#能力の
”優劣”
を無視し、
”優劣”を……
――<解釈>を
――通じて………
転換させ……――
「平等」
――を
徹底しようとする
”悪”
ヒューマニズムが
蔓延る時代#
であるからこそ、
”優劣”
という
基準を
導入して
<現象>
を見る必要が
あるのだ。
<ヒューマニズム原理>
が皆民に
強制されず…――
「平等」
――が
徹底されずに
”卓越”
の貶められる
”様な”
事が
無ければ、
優生学的傾向を
帯びる可能性を
十分に持った
思考を
”場”
に展開する
必要は
無い。
#”性”
の描写を
禁じられていた時代に
”性”
を描く事#は……――
「#”性”
<表現>
の禁止を
命令する
社会規範#
に反抗する」
「#<表現>
の発展を
禁止し、
文明を
更に
単調で
原始的なるものへと
促そうとする
古びたモデル#
に打ち克とう
とする」
――という意味で
文明史に於いて
必要な事
であり、
意味が
ある。
人の営みの一部が………――
「在る」
――という事を
示す
という点で
重要な意味が
ある。
ただ……――
”性”
描写が
禁じられていない時代に
”性”や
それに
付随する
行為を
描いても、
為した事には
ならない。
明らかになっている事を
明らかにしようとも…――
「偉業」
――ではない。
”性”
描写が
溢れている
時代に於いて、
”性”
描写を
重なる
という事は、
自動生成と
”同じ”
”様な”
もの。
どれだけ
繰り返すだけの
”劣る者”
が惹き付けられ、
<評価>
しようとも、
何も
特別な事は
無い。
いくら
”性”
行為時に
生じる……――
”音”
――や………
”声”
――を
擬音で
テクニカルに
捻じ曲げて
見せ、
”感情”
を滔々と
描写しようとも……――
<いくらでも
素材を
加工して
バリエーションを
提示出来る
時代に於いて>
<発表を
禁じられていない
時代に於いて>
――何も
意味は
無い。
「novel」
――は
無い。