荘厳なる少女マグロ と 運動会
多くの競争者が泳ぐ中、
"マグロ" は泳いでいた。
一心不乱に。
”重力ストーン”
無しで。
"マグロ" が進む度に
道が
出来る。
"マグロ" が
ノービスクラスという
狭い輪の中では
有名な存在である
[前年度、台乗りした]
という事情も
ある。
ただ
寧ろ
その
<真剣さ>
に、周りの者は
”居心地の悪さ”
を、感じていた
という方が
正解だろう。
そうだ…――
大勢は
<感じていた>
のだ。
<真剣な者と、自分が違う>
という事。
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"マグロ" は
――運動によって
軽く
汗を掻いた。
外からではなく――内から濡れていた。
"マグロ" は
《十分だ》
と判断し、
引き揚げた。
陸の上――動き続ける。
ただ――体調は万全ではなかった。
身体が重く思われた。
朝から続く
<怠さ>
は、改善されていなかった。
それだけではない。
朝に覚えた
<緩い痛み>
が、
下腹部に
戻ってきた
様だった。
"マグロ" は
それを
他人に見せない様に
した。
毅然と振舞い、
違和感の感じる箇所を触れたり
しなかったのだ。
医務室に向かったり
人工知能に調べさせたり
親に知らせようと
思わなかった。
人間の体調不良は
――多くの場合……
<心理的要因に由るもの>
である為に、
”それら”
に伝えても、
《しょうがない………》
と "マグロ" は
考えていた。
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人間の生活が管理された社会では
――逐一
様々な個人的な情報が
集められている。
そして
その蓄積されたデータに基づいて、
様々な
<状態>
というものが
決定されている。
そして、
そのジャッジされた
<状態>
に
――社会に於ける
妥当性が認められ、
それが
――大勢に
共有されているのだ。
その様な世の中では、
自身の状態がどの様である
と個人が考えようとも
――データに則して
――ジャッジされ
――設定された
”基準”
に満たない場合、
自身の
#感じる#
状態は
正式なものとして
認められる事は
ない。
例えば、
誰かが
「怠い……」
と感じても、
歩く速度が遅い等、
行動が
<壁の目>
によって確認されて
個人の身体能力が
”著しく衰えている”
と見做されない限り、
そして
体温が平均値を逸脱して
”発熱している”
事が人工知能に確認されない限り、
その
#怠さを感じるという者#
は
<不健康>
という事にはならず、
「怠い…」
という主張は
”信憑性がある”
と
ジャッジされない。
公的にジャッジされた
<状態>
として保証されない限り、
その
「怠い……」
という主張は
「嘘である可能性を多分に孕んでいる」
と見做され、
故に
「それを感じる」
と主張する者は
#嘘つき#
とされる事もある。
いくら本人が
「本当に感じてる!」
と信じていたとしても。
大昔では
<ズル休み>
というものが在ったというが、
個人の
<状態>
が
――外部からでも
確認できる世の中では、
「熱がある………」
「具合が悪い……」
等という嘘は、
すぐに
――そして
――簡単に
調べられ、
わかる為に
成立しない。
個人の
<状態>
は
――権限が与えられた者には…
可視的対象なのだから。
語りに対して
信頼を
――多く
置かない
世の中。
文明と技術の発展は
<最悪>
を未然に防ぐ手段を
――常に
生み出すものだが、
<最悪>
と見做されないものは
<最悪>
の
<状態>
だと認められるまで放置される――
そんな文明的社会。
"マグロ" が
いくら怠かろうが、
人工知能にとって
基準に達していなければ
問題ではない事だ。
目立った症状が現れていない
感覚的な違和感の大部分は、
人間が持つ
”自己治癒能力”
に委ねられるものだ。
それを "マグロ" は知っていた。
以前、
体調不良が
<感覚の誤謬>
と診断された事が
あった。
実際、
時が経つと、
身体の調子は
――気づかぬうちに
改善していた。
だからこそ、
"マグロ" は
その時の
<怠さ>
を
「dough」
「cough!!」
しようとは
思わなかったのだ。
その時
正式に
――専門の機械を使用して
調べれば、
<怠さ>
の原因を特定し、
試合前に
対処方法を知る事が出来た
にも
関わらず。
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