荘厳なる少女マグロ と 運動会
その
スピンに…――
「蝶」
――は……
「無い」。
<バタフライスピン>
ではないのだから。
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「<バタフライエフェクト>
って知ってる?」
”劣る者”
の中にも
知っている者が
いる。
ただ………――
その
<効果>
を知らない。
<ヒューマニズム原理>が……
――強く…
働いている事を
知らない。
社会に於いて
利用される時に……――
”悪”
――に
作用している事を
知らない。
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直接的に
関連が
見えなくとも、
繋がっている。
そして
<オリジン>
がどれだけ
小さくとも、
大きな
インパクトを
発生させる。
それは
その通りだ。
ただ………――
「無関係なものは
無関係である」。
この部分だけ
消されている。
無視されている。
理論的には
成立するが、
ほとんどは
起きないのだ。
<多くの場合>
に於いて
起きない事が、
<多くの場合>
に於いて……――
「起きているかの
”様に”」
――<ヒューマニスト>は
捻じ曲げているのだ。
<解釈>
しているのだ。
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「<バタフライエフェクト>
というアイディアを
利用している」
――という
作品と、
その
社会的受容様式を
確認すれば
わかる。
テンプレが
生成されている。
「どんなに
無関係な事だって…
――どんなに
――小さなものだって……
どこかで
関わっている」
「どこかで
誰かが
助けて………
――支えて……
いる!」
「無価値なものも
役に
立っている!!」
「どこの
誰だって
何もしていない
”様で”
影響を
与えている!!!」
ここには
<ヒューマニズム原理>
が働いている。
無価値なものの
価値化。
”劣っている事”
の存在意義の
水増し。
「平等」
――の為。
「平均」
――を促す為。
”劣っているもの”を
”卓越”
と等価に
設定しようとする
社会的試み。
<バタフライエフェクト>には
ヒューマニストによって
<ヒューマニズム原理>
が埋め込まれており、
”劣る者”が
テンプレを
生成する際に…
――解凍する際に……
それが………
――大きく……
展開しているのだ。
そして
ヒューマニストが、
”<バタフライエフェクト>
の展開している対象
に於いて
発現している
<ヒューマニズム>”
を褒め、
礼讃するのは
当たり前。
”劣った”…――
「女」
――が……
「”同じ”………――
『女』
――だから!!」
「共感するから!」
――という理由で……
「女」
――を
”良く”
<評価>
するのと
”同じ”
展開。
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”親”が
いる。
”劣っている事”
が好きであった。
”劣っている事”
に感動した。
そして
その子供も
別の…
――ただ
――”同じ”……
”劣っている事”
を好む。
感動する。
「楽しい」
――過去の
繰り返し。
その………――
<現象>
――を確認した時
ヒューマニストは
叫ぶ。
「見えない糸で
繋がっている!!」
「<バタフライエフェクト>だ!!!」
繰り返される。
自動生成する。
そして
吸蔵
放出の
繰り返しによって
発生する
”劣化”が……――
”良い”
――と
<評価>。
止めようとさえ
しない。
”親”は
”子供”が
更に
落ちる事を
進めようとする。
絶滅へ
加速させようと
する。
「そして
#感動する
”親”#
は何を
為した?」
「そして
#感動する
”子供”#
は何を…――
『為す』?」
”悪”
の手下として
<社会活動>を……
――工作を………
――<破壊活動>を……
続けるだけ。
”悪”の
<ヒューマニスト>
の指先が
動く…――
「まま」
――に
繰り返す
傀儡。
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