荘厳なる少女マグロ と 運動会
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その頃…
――即ち
――"マグロの姉" が
――外国人に
――<好印象>
――を与えた後……
"マグロ" も
身体を温めていた。
<シュヴィメン>
で。
水泳ではない………
――水がないのだから。
<宙泳>
とでも
云えるだろうか……。
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以前も
短く
メンションしたが、
ここで
より詳しく
しておこう。
古代社会に於いて
――即ち
――空間をコントロールする技術が
――進んでいない頃…
<マラソン>
を行う者が多かったという。
単純に
長距離を
――足を使って
走る競技だ。
この
<マラソン>
は
――競技そのものとして
――成立していただけでなく
他の競技の練習にも
活用されていた。
選手が
どの様な競技を選択するにしろ――
”アップ”
や
”足腰の強化”
や
”体形維持”
の為に
有効な方法として、
<マラソン>
によく似た
<ランニング>
が
――全世界的に
――多くのスポーツに於いて
推奨されていた事が
記録として
残っている。
[※主に
マラソンとは、一スポーツ競技の事を指し、
ランニングは、競技ではない運動の事を指す]
ただ、
練習に
その様な
<ランニング>
を導入する育成法には
#問題点#
があった。
足の関節を酷使するのだ。
人間には身体が在り、
身体には重さが在る。
<ランニング>
というものは
交互に足を上げて
――下ろし
軽くジャンプする様にして
前に
――速く
進む運動だ。
それを行う時
――即ち
――人間が
――前進する為に
――軽くジャンプして
――着地する時……
足には
人間の身体の重さ以上の
負荷が掛かる。
足の関節は
一重に
その衝撃を
受け止めている。
如何なる有能な緩衝材であろうとも、
衝撃を受け続けては損傷する
――それは自明だ。
酷使し続けると、
人の重みを支え続けて
くたびれた
<クッション>
の様になり、
すぐに
役に立たなくなってしまう事は
想像しなくとも
わかる事だ。
以上の事は
少しでも考えれば
当たり前の事だと
わかる筈なのだが………
――特に
――古代社会に生きた
――重量級のボクサーは
――軽量の身体で競技を行う選手と違い
――その事を
――いち早く認識する機会が多かった為だろう……
――トレーニングに
――<シュヴィメン>
――即ち
――<水泳>
――を取り入れていたのだが…
考える頭のない者は
いつの時代にも
――大勢
いるものだ。
長年、
スポーツ選手は
<ランニング>
によって
足腰を痛めつけられていた
という事実が
歴史に
残っている。
他にも、
野球に於いて
「肩は消耗品である」
という指摘こそ
――古代でも
早い時代から
湧き出したが、
「膝や踝辺りの関節も消耗品である」
という考察が
あまり為されない時代が
あまりにも長く
続いていた。
その為、
野球教育者は
プレイヤー達に
<投げ込み>
をさせず
<走り込み>
ばかりをさせ
――結果として
野球選手は
引退後に
足の負傷を抱えて
――苦しみながら
生きていく
そんな傾向が
強くあった
――そんな時代も
――在った。
最新の研究で
”ランニングをアップに選ぶ者”
と
”シュヴィメンをアップに選ぶ者”
のスポーツ人生を追うと――
競技の結果では
”ランニングを選ぶ者”
の方が、
<好成績を残す>
傾向にあるが、
<競技寿命が短い>
傾向にもある
――事が指摘されている。
さらに
”ランニングをアップに選ぶ者”
は――
<競技中に負傷する可能性の高さ>
や
<競技を終えた後の人生に於ける
関節損傷率の高さ>、
そして
<壮齢を通過した後に設定された
ライフステージスに於ける
”GIVS”
の着用率の高さ>
――等が
”シュヴィメンを選ぶ者”
よりも
顕著である事も
データとして
出ている。
それでも
――いつの時代も
――何に関しても
大勢が
”事実や本質”
を理解するには
ひどく時間が掛かるものだ。
古代でも
警鐘を鳴らす者が
多くいた事は
わかっているが、
警鐘を鳴らす者と同時代に住む大勢は
その警告を
本気に取らなかった事も
わかっている。
<マラソン>
は、古代から続く
”伝統ある競技”
であり、
それにはそれとしての
<魅力>
があるのだろうが、
現代の様に
<個人の安全>
と
<人間の尊厳>
を優先するスポーツ界では
――<マラソン>
――や
――<ランニング>
――より
――足を痛める事のない
<競歩>
の方が
主流である。
肉体を痛めつける事を目的として
発展した
<ボクシング>
でさえ
――パンチによる
――脳への悪影響が
――市民によって
――声高に叫ばれ……
拳を
――実際に
肉体に当てずに
バーチャル空間に置き換えて
仮想キャラクターを用いて
殴り合う
――格闘ゲーム形式の
競技となっている――
そんな時代なのだ。
現代社会に於いて
スポーツは
#選手が実際に行っている競技期間だけ#
を考えれば良いものでは
ない。
選手が引退した後の人生を含めて
#トータル#
に考察されるものだ。
”人生全体”
という観点から見ると、
多くのスポーツ選手が
自身のスポーツ人生の寿命を長くする為
――それは
――幸福の指数上昇と
――直接的に
――結びついている………
そして
自身の引退後の生活を快適にする為、
<シュヴィメン>
を
――"マグロ" の様に
<アップ>
の一方法として選んでいる事は
不合理とは
言えないだろう。
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