荘厳なる少女マグロ と 運動会
それは
<クラインの壺>
でありながら…――
クラインの壺
ではない。
そこに
そのままは
提示されない。
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繰り返す。
「”醜いもの”が
美しい」
「”表現していないもの”に
<表現力>
がある」
そういう
逆説的
社会認識が
共有され、
その
<ジャッジ>が……
――社会に於いて………
優先的に
働いている
時代なのだ。
論理破綻に
<説得力>
という名の
好悪偏向
が見出されるが故に……
――逆説的に…
「論理的だ」
――と
”劣る”
大勢に
<評価>
される
時代なのだ。
繰り返す。
「”評論家ではないもの”が
評論家である」
「”読者ではないもの”が
読者とされている」
「”文学ではないもの”が
文学と
呼ばれている」
「”<人>
ではないもの”が
人である」
「”キャラクター
ではないもの”に……
――<キャラクターが
―― 「無い」
―― もの>に………
キャラクターが
見出されている」
ルール。
「”マグロではないもの”が
"マグロ" である」
「”コーチではないもの”が
コーチ」
――と
”同じ”
”様に”
成立している。
そして……
――その
――基本ルールを
――踏まえた上で…
ルールを
応用する
必要が
ある。
次の為。
「”母ではないもの”が
母である」
”劣る者”には
わからない事。
予想も
付かない事。
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見返る……――
立ち返る。
"マグロの母親" は
<"マグロ" の母>
である………――
"マグロの姉" が
<"マグロ" の姉>
である
”様に”。
そして
"マグロの姉" の
母も……――
「ママン」
――も
"マグロの母親"
である。
即ち…――
"マグロの母親" は、
"マグロの姉の母親"
でもある。
そして、
"マグロ" と
呼び名は
違えど、
”同じ”
”母”
を持つ
"マグロの姉" は
<見返り美人>の
”様に”……
――"マグロ" の
――”様に”………
見返ったが、
<見返り美人>
ではない。
いくら
見返ろうとも……――
「美人」
――と
<評価>
されようとも
違う。
それは
それ
ではない。
ただ…――
<見返り美人>
――である。
そう
見做されている。
「”そうではないもの”が
そうである」
そんな
”<見返り美人>
ではないが
<見返り美人>
であると
見做される
"マグロの姉"”は……――
<母>
――である。
子供は………
――未だ……
いないが、
"マグロの姉" は、
<母>
である。
"怪人" の…――
「ママン」
――である。
その……――
「figure」
――である。
"怪人" が………――
「ママン」
――と言う時の
対象は、
それ
である。
ただ……――
それではない。
"マグロの姉"
そのものが
"怪人" の
”母親”
なのではない。
"怪人" に
”母親”
はいない。
"マグロの姉" に
埋め込まれた…――
「1」
――”要素”
だけを
見出して
"怪人" が
<解釈>
した結果、
そう
なっている。
そう
見做されている。
「=」
――ではないが……
「=」。
そして
それが
成立している。
認められている。
そんな時代………――
そんなルール。
その中……――
見逃しては
ならない事。
「”敵ではないもの”が
敵である」
「”仲間ではないもの”が
仲間である」
”劣る者”
には…――
「何の話を
しているか?」
――が
わからない。
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