荘厳なる少女マグロ と 運動会
それらは
どれだけ
親切にしてやろうが
繰り返す。
どれだけ
親切に…
――わかりやすく……
教えてやろうが
感謝しない。
ライバル視する。
貶める。
認めない。
受け入れない。
そして
問題点を
指摘されると
腹を
立てる。
”感じる”。
繰り返す。
それらの
認識は、
<偉業>
を保証しない。
”劣る”………――
「auto……――
rité」
――は
”劣っている”。
「それらは
自ら
<個>
を放棄している。
集合に
取り込まれて
消される事を
求めている。
ひとりの
<個>
であるよりも、
”共感”
を通じて
自らを
他と
”同じ”…――
『ω』
――と
設定しているのだ。
写像の
”様に”
代替可能な
対象と
なる事を
選んでいるのだ。
<現象>
として
それが
社会に
示されている。
それらを
<個>
として……
――他と
――違うと………
尊重してやる
必要が
あるのだろうか?
『1』
――である事を
認める必要が
あるのだろうか?
それらの
望み通り、
それらの
個の
放棄と
脱落という
選択を
それそのもの
として
尊重し、
人間扱い
しない事に
問題が
あるのだろうか?
<人それぞれ>
を否定する事は、
それらを
尊重する事では
ないのか?
一人の人間として
扱わない事こそ……――
『ω』
――になろうと
している
それら
にとっての
願望成就…――
”幸せ”
――なのでは
ないのか?
『その通り。
あなたは
終わった……――
「θ」
――と
”同じ”
です。
あなたは
存在
しないのです』
『”共感”
するのですか?
他の人も
”同じく”
”共感”
しています。
”同じ”
事です。
わかりやすく、
代入しましょうね。
繰り返しに
過ぎないのだから。
省略しましょうね』
それらが
自動生成し続ける
論理無き
論理が………
――尊重しない事を
――尊重する事が……
本当に
間違って
いないのなら、
そうされる…――
『冪』
――なのでは
ないか?」
―――――――――――――――――――――――――
無論、
そうされる……――
「冪」
――ではない。
が、
それは………――
<理想>
――である。
理想論は
軽視されている。
「現実を
見てみろ……――」
――フィクショナルな
現実を。
―――――――――――――――――――――――――
無論…――
それらは
受け入れない。
自分に
都合の
”良い”
時だけ
個として
尊重される事を
求め、
別の時は
集合に
含まれて
”同じ”
である事を
求める。
”卓越”が
受け入れられる事を
求める必要は
無い。
認められる
必要も
無い。
それらが
否定しようが
否定されない。
「自己満足」
――と
謗られようが、
”卓越”は
”卓越”。
※抑々、
すべての
為される事を……――
「自己満足」
――と
わかりやすく
片づけるのも
<ヒューマニズム>
故である。
※※偉人が
偉業を
為して、
満足した事は………――
「自己満足」
――である。
無能が
無能と
井戸端会議をし、
満足した事も……――
「自己満足」
――である。
二つは
”同じ”でも
”違う”。
ただ
二つを
”同じ”
として
”卓越”
を下げ、
井戸端会議を
上げ、
偉業の
上回っている部分を
<無価値化>
しようと
するのは
<ヒューマニズム>
である。
”劣っている者”に
認められる事が
<評価基準>として…
――<価値>として……
設定されているから
である。