荘厳なる少女マグロ と 運動会
古代社会に
社会運動が
あった。
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θが
いた。
ωは
叫ぶ。
ω:
「わたしも
θと
”同じ”!」
共感する。
すべてを
等しく…――
「”同じ”だ!!」
――とする
<ヒューマニズム原理>
に駆られて。
そして
”共感者”
ζ1, ζ2, ζ3, ……
が現れる。
ζ:
「わたしも
θだ!!!」
ζ:
「わたしも!!」
ζ:
「わたしも!」
声高に
叫ぶ………――
声を
上げられない
という
弱者が
大声で。
大勢で。
その運動は
呼ばれる……――
<わたしはθ>。
「#」
――を
頭に
付けて…――
繰り返される。
「わたしも!!」
そして……――
「θ」
――ではないものを
含んだ………――
「θ」
――集合体は……
「Θ」
――を
攻撃する。
「Ω」
――の厚みを
否定する。
圧する。
黙らせようとする。
手を
縛ろうと
する。
それらは
”感じる”が…――
「”悪い”」
――等とは
微塵も
”感じない”。
そして
次のターンは……――
「Θ」
――に
賛同者が
現れ………――
”同じ”
モデルを
繰り返す。
ループする。
社会で
繰り広げられる……――
<運動会>。
社会運動の
集まり。
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「ω」
――も…
「ζ」
――も……
「θ」
――ではないのに。
類似した
”一部要素”や
<属
”性”>が
重なるから
と云って、
対象は
”同じ”
ではないのに。
それらは
人のモノ化………
――モノとして
――見る事……
「objectification」
――を攻撃し
個人としての
尊重を
求めながら、
自ら
<個である事>
を捨てている。
そして
現代では
それが
矛盾には
当たらない…――
論理が
<解釈>
によって
崩壊させられた
から。
わたしは……
――単に………
それら
わたし
ではない。
「わたしは
一人の……――
<人間>
――である。
ただ…――
”違う”。
繰り返すが……――
”同じ”
――ではない。
繰り返さない」
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繰り返される。
「文学は
高尚なものなんかじゃ
ない!!!」
「そう
”感じれば”
そう
なんだ!!」
「蜜柑だって
そう
”感じれば”
林檎だ!」
「絵の入っていない
本を
読めば
偉いんですか!!?」
「寧ろ、
幼稚園児に
老人………――
<老若男女犬猫>
――に
認められる
低レベルな事が
すごいんだ!!!」
「文学だと
みんなに
認められれば、
それは
文学だ!!」
「文学じゃなくても
文学なんだ!」
「赤ん坊が
寝る前に
読む
絵本だって
文学だ!!」
「子供の
落書きだって
文学だ!!!」
「漫画だって
文学だ!!」
「映画だって
文学だ!」
「アニメだって
文学だ!!」
「幼稚園児の
お遊戯ダンスだって
文学だ!!!」
「サッカーだって
文学だ!!」
「野球だって
文学だ!」
「音楽だって……
――ロックだって…
――アイドルソングだって……
文学だ!!」
「みんなに
認められない
ものは
文学だろうと
文学じゃない!!!………――
単なる
自己満足だ!!」
すべて、
”劣る者”が
”卓越”
を落とし、
<低レベル>にて
平均化させよう
とする……――
ヒューマニズム。
”劣る者”に
都合の
”良い”
モデル。
「ヒューマニストは、
そうではないものを
含む事で
<それまで
文学
であったもの>
を壊そうと
働いているのだ…――
そして
大勢は
その手下」
そして、
絵本も
子供の落書きも
漫画も
映画も
アニメも
幼稚園児のお遊戯ダンスも
サッカーも
野球も
ロックも
アイドルソングも
皆
”同じ”
<文学>
として
研究対象と
されている。
そして
”<文学>
研究者”は
#<文学>
作品#
を読みさえ
しない。
そして
誰も
それが
問題だとは
思わない。
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それらは
偉大なものを
見ないで
語っている。
高尚なものを
読まずに
主張している。
そして
<”偉大で
高尚なもの”
が含む
取るに足らない
卑小で
俗な点>
だけを
見る。
"劣る者":
「○○だって、
欠点がある
”同じ”
人間なんだ!」
――”卓越”を
”劣っている”
自身の
レベルまで
貶める為。
ヒューマニズム。
繰り返している。
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