荘厳なる少女マグロ と 運動会
ヒューマニストは
偉業の
所以を
調べずに、
偉人の
”欠点”
を調べる。
上位にある
偉人の
”欠点に
見える点”
を指摘する事で、
偉人が
他の
”劣る者達”と
”同じ”
”様に”
欠点があり、
能力が
あろうと
無かろうと
すべてが…――
「平等である」
――と
主張する為。
偉業が
偉業である事を
消す為。
<親近感>
など
言い訳。
―――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――
昔々、
或る処に
作家が
いた。
何も
為さなかったが……――
”劣る者達”を
楽しませた。
それには
子供が
いた。
作家の子供は、
無能であった。
だから、
作家の子供である無能は、
作家の力を
借りて、
インタビューアーに
なった。
そして
同時代に
生きる
偉人に
インタビューを
する。
そして
<インタビューを
する事>で………
――井戸端会議を
――する事で……
”業績”を
積み重ねた。
そして
その
”業績”
を以って、
<説得力>
を創作し、
その他を
攻撃する。
"インタビューアー":
「寄生するヤツなんて
キモチワルイ!」
<感情>。
無能な自身が
作家に
寄生している事を…
――偉人に
――寄生している事を……
無視する………――
都合が
”悪い”
から。
<感情>。
そして
多くの
”劣る者”は、
その無能に
共感し、
感動し、
無能を……――
”良く”
<評価>
――する。
”悪”
の手下。
繰り返す。
ただ
誰が
どの
”様に”
解釈しようとも、
その無能が…――
「何も
為していない」
――という事は
変わらない。
―――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――
”劣る者”には、
ヒューマニスティックな社会にて
展開する、
<インタビュー>
に於ける
#”卓越”
搾取構造#が
見えない。
―――――――――――――――――――――――――
Aという偉人が
いる。
Aは
インタビューされる。
Aに
インタビューした
インタビューアーBは、
社会的に
評価される。
「Aを
インタビューするなんて
すごい!!」
そんな
インタビューアーBが、
次に
無能Cを
インタビューした。
その時、
無能Cは
<評価>
される。
「Aを
インタビューした
Bに
インタビューされるなんて、
Cって
すごい!!!」
そして
”劣る者”は……
――ジャッジは………
Cに……――
「無い」
――<価値>を
見出す。
ここで、
AとBとCは…――
「すごい!!」
――として
<等価>に
設定される……――
BとCは
何もして
いないにも
関わらず。
ヒューマニズム。
―――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――




