荘厳なる少女マグロ と 運動会
喧嘩両成敗という結果となった帰り道、"マグロ" は駅を訪れた。
その日は
――"マグロ" にとっての習い事
”重力スケート”
その練習日であった。
試合前――最後の練習。
駅で”トランスポート”を待っている "マグロ" は、興奮していた。
頭の中で
"少年" との喧嘩の情景が
エンドレスリピート。
《ムカつく…》
《ムカつく》
《ムカつく!》
言葉を――反芻する。
興奮して、
ただ茹る意識の片隅で、
冷静になろうとする作為が在った。
《落ちつけ》
"マグロ" は音楽プレイヤーを皮膚に密着させた。
耳栓を耳に入れ、外部の音を遮断する。
骨伝道で――音楽が身体に満ちた。
それは――
クラッシックであった。
ジャイコブズキーの『ピスタチオ割り人形』
に登場する
<林檎飴の妖精>の
”コーダ”
であった。
”重力スケート”競技者なら
幼少時に誰もが
――いち度は
使う曲だ。
勿論、少女が演じやすいという理由もある。
ただこの曲は――
ノービスクラスの演技時間に尺がぴったり合うのだ。
そして誰もが使うからこそ――
実力がすぐにわかる。
皮膚の下――
骨に伝わる旋律は――
喧嘩の強烈な思い出を――
奥へと――
押しやる――
完全に消し去る事はない……。
音楽の力。
"マグロ" の頭の中では、
<試合>のイメージトレーニング
が展開する割合が多くなっていた。
"マグロ" は、演技の構成をイメージする。
《此処で
――アクセルで
フォーロールを入れて
――フォーロールは得意だから絶対に失敗しないハズだし………
そのまますぐにタノの構えでループポジションに……》
ただ――
未来に展開するだろう
自身の理想的演技イメージ
その中に挿入される――
"少年" との喧嘩という過去。
《落ちつけ…》
《落ちつけ》
《落ちつけ!!》
そして――過去の記憶。
喧嘩とは無関係の過去。
"マグロ" は
――それまで
いつも試合になると
失敗していた。
緊張して、自分の思った様に動けなくなるのだ。
何度も試合で転んだ
――そのシーンが記憶の底から戻ってくる……。
それに………――
"マグロ" は
<姉>
の姿を
頭の中に思い浮かべていた。
その時だった。
「ぱぁん!!!」
と破裂する様な音が響いた。
"マグロ" は身構える――
耳栓を外した。
"マグロ" が生活する国は
――世界的水準から見れば……
極めて安全
――安全すぎる程…
であった。
が――
だからといって、犯罪や危険がない訳ではなかった。
邪魔のない "マグロ" の鼓膜に、声が届いた。
"女":
「あんたって、サイテー!!」
それを耳にした時、
"マグロ" は、
<緊急用アラームがすぐ手の届くところにない>
事を反省していた。
そして――
誰かが発した「サイテー」という台詞は
――"マグロ" の頭の中
"少年" のイメージに結びついた。
"マグロ" は腹が立った。
"マグロ" が音のある方を見ると――見知らぬ女がいた。
"女" の声:
「あんたってホントに甲斐性ない!」
"女" の前に、男がいた。
顔を背けていた。
"女" の手の位置と
"男" の顔の背け方から
<"女" が "男" を平手打ちした>
それを推測する事が容易な状況であった。
それは――いつの時代にもよくあるシーン。
ただ、時代は変化していた……
――最早
――男は
――黙って耐えなど
――しないのだ。
横を向いていた "男" が正面を見据え、
"女" を殴った。
勢いをつけて。
"女":
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
醜い声だった。
"女" の身体は、"男" が働かせた力の方向に沿って、流れた。
そして………――
立っていた場所より少し離れた場所まで滑って行った。
"女" の身体は壁に当たり――止まった。
"女" は――倒れたまま。
スカートを押さえる余裕もない様だった。
それに向かって、
ヒステリーを起こした "男" が叫んでいた――
"男":
「お前自分が浮気しておいて、何が『サイテー』だよ!!!
お前が最低だろうが!!
この――○○○○○○!」
極めて下品なスラングであった。
それは
「口にしてはいけない」
と "マグロ" の両親が命じた言葉だった.
地面に横座りをした "女" は
――肉体の上
殴られた場所に手を当てていた。
"男" に睨みを返していた。
立ち上がった。
続けて――"女" は走り出した。
蹴りで "男" に抵抗しようとした。
"女" の蹴りが――クリーンヒット。
"男" は、"女" の蹴りを受け――
蹴りを返した。
別の男が仲裁に入った。
そして……――
警察が呼ばれた。
"男" は、ヒステリックに喚いていた。
"女" は、被害者のフリをしていた。
駅にいて、
現場を目撃した者は
誰一人として、
その "男" に同情しなかった。
しかし…――その "女" にも同情しなかった。
"女" が先に手を出し、
"女" がさらに暴行を加えた事を
誰もが
目撃していた。
"マグロ" も同じであった。
"マグロ" は、その "女" に共感しなかった。
同じ女であるからと云って、共感はしなかった。
"マグロ":
「弱いから……」
強さ。
"マグロ" が思う”強さ”とは、
男が下手に出ている事に胡坐を掻いた――
「女は強い!!」
「母は強い!!!」
――というテンプレとは違った。
人生を生き抜く
<したたかさ>
や
<メンタルの強さ>
や
<決意の固さ>
という点での
”強さ”
ではなかった。
肉体的な意味で、
女が<強くある>事を
社会が求めていた――
そんな時代であった。
女だけではない。
肉体的な意味で、
<誰もが強くある事を求められていた>
そんな時代であった。
勿論
――"マグロ" と同時代に生きていた
<過去の教育だけを受けた年配達>は
まだ
同じ性別としてカテゴリー化されている者を
そうであるという理由で
――無条件に
守る気配があった。
<それら>は過去の教育的遺物に固執する………
――そして死ぬまで変化しない。
ノスタルジー。
ただ、
時が過ぎて変化した教育の下で育った者は、
性別を理由とした判断に
何ら妥当性を見出さなかった。
もう――時代が変わったのだ。
警察と共に、
駅から
"男" と "女" は消える……
――別々に。
駅構内の喧嘩の所為で緊急停止していたトランスポートの運行が再開した。
出発する…――"マグロ" を乗せて。
女になる前の子供……――"マグロ" を乗せて。