荘厳なる少女マグロ と 運動会
「無かった」
――では
観察者には
不都合
であるから…――
「在った」
――の方へ
偏って
話が
進められる。
※「在った」
――が
不都合である
という
条件設定が
なされている時は
逆。
「無かった」
――のケース
であると、
”劣る者”は……
――ジャッジは………
邪推を
働かせ、
妄想を
展開し、
拡大解釈して
<楽しむ>
事が
出来ないから。
ジャッジして、
”劣る者”が
”卓越”を
引き摺り下ろす事で
”卓越”と
肩を並べて
”場”
に平均化を
促せなくなるから。
安定の中で
”劣る”
”悪”
の……――
「幸福」
――と解釈される
<状況>
が実現出来なく
なるから。
ただ…――
書簡体
であろうが、
三人称
であろうが、
独白
であろうが、
#<手紙>
の中身#は
変わらない。
解釈しようが
変わらない。
そして
テキストに
備わった……――
「かもしれない」
――という
<属
”性”>
が消滅する事は
無い………――
どれだけ
<リアル>
に見えようと。
そして
"マグロの姉" が……――
「六回転」
――を…
「跳んでいない」
「無い」
――という事には
変わりが
無い。
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失くせば
”良い”
訳では無い。
役に
立たない訳では
無い。
ただ……――
<恋>や
<愛>は
偉業ではない。
<楽しい>事は、
尊い事でも
貴い事でも
無い。
等価と
設定する
必要が
無い。
そして………――
それが
示されようと、
”劣る者”
は変わらない。
受け入れない。
繰り返す。
<ヒューマニズム原理>
に駆られて、
機械の
”様に”
繰り返す。
"マグロの父親" は
繰り返す。
"元・外国人" を
元・外国人
であるが故に
怪しんだ
"青年"
の友人が
した
”様に”
繰り返す。
「isotopic」
それを
"マグロ" が
繰り返す……――
”作品”
――の中で。
「フィクション」
――の中で。
そこで
創られる…――
<意味>。
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「誰かが
きっと
見ていてくれる」
「報われる」
そんな事は
起こらない。
そして
起こらない中で
”劣る者”は、
”同じ”
事を
繰り返す……――
自説を
曲げない。
条件を
捻じ曲げるが………――
曲げない。
「どんなに
報われなくとも……――
『腐らずに
やっていれば』
――いつか
誰かが
見てくれる」
反射によって
違う
”様に”
見えるが…――
”同じ”。
それは……――
「IF」。
そして………――
起こらない。
見ようが
見るまいが
”同じ”。
「無い」
※ここで
用いられている……――
『腐る』
――とは
即ち…――
「捻くれる」
――という
<意味>
である。
<悲観>
の事である。
そして……――
「腐る」
――という
”劣る者”が
見る事を
欲さない事が………
――不都合が……
展開される事を
止めようと
”邪魔”
をする。
ただ
腐ろうが
捻くれようが…――
「為す」
――という事と
関係は
無い。
抑々……――
捻くれても
腐っても
いない。
そして
それらが
それを
受け入れない事は
変わらない………――
<”劣った”
自身>を
底上げして
見せる為には、
不都合
であるから。
<ヒューマニズム原理>が
作動しなく
なるから。
ヒューマニストが
ヒューマニズムの
無効化を
喜ぶ筈が
無い……――
それは
自身の
終了を
<意味>
するから。
"コーチ" が
コーチでなくなれば
存在しないのと
”同じ”。
ただ
曲げようが
曲げまいが
それらは…――
「無い」
――と
”同じ”。
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