荘厳なる少女マグロ と 運動会
実際…――
<犬や猫>は
<人>
としての定義を……
――多くの場合………
満たす。
<犬や猫>
には……――
手足が
在る。
頭が
在る。
二足歩行で
歩く事が
ある。
服を
着る。
飾る。
腹を
空かす。
感じる。
共感する。
欲する。
考える。
学ぶ。
自ら
<表現>
する。
レベルが
違う。
ただ…――
”同じ”。
[人工知能による
外見認証も
人と
犬猫を
分けない。
それぞれの
ひとつは、
ひとつの
個体として
扱われる……――
差別無く]
ヒューマニズムの
潮流の中で、
多くは
<犬や猫>が………――
「人ではない」
――と
断言する事は
出来ない。
定義に
絶対的な
厳密さは
無いし……――
#個人解釈#が
#統一的に
設定された…
――狭義の……
意味#
よりも
優先される
社会に於いて、
ペリフェリは
拡大している。
そして
この………――
「断言できない」
――という点を
以って
ヒューマニズムは
その領土を
拡張する……――
<人ではない者>を
<人>
として
含む為に。
「最早…――
人は
人では
ないのだ」
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ヒューマニズムによる
平等理念は、
<犬や猫>の
”人化”
に加担する。
<犬と猫>は
<人>
に含まれ……――
ひとりの
<人>
として
認められる。
そして………――
画一化と
低レベル化が……
――”卓越”
――排除傾向が…
更に
加速する。
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<犬の遠吠え>は
#外国語#と
”同じ”
である。
#翻訳機を
持たない
”劣る者”#
にとって
”同じ”
である。
「わからない」
――という点で
”同じ”
なのだ。
そして……――
”同じ”
なのだ。
#翻訳機#
#解釈機#
を介して
出力された
<表現>は
”同じ”
なのだ。
オリジンに
差異が
在ろうと、
<”同じ”
「わからない」
という事>
として、
無い事に
されるのだ。
人が
話そうが、
<犬や猫>
が話そうが
”同じ”
なのだ………――
違うにも
関わらず。
「わからない」
――それら
にとって、
犬も
猫も
人も
”同じ”
なのだ。
わかる事だけ
識別し、
わからない事は
すべて
纏める……――
三行に。
三行にも
満たない形で
纏める…――
「わからない」。
この
#”様々な具材が
持つ
そのままの形”
を留めながら
煮込んだ
<鍋>#
というより、
#ミキサーで
食材の形を
粉砕し、
色も
形も
一緒くたにした
ペースト#
の様な……――
「わからない」
――による
単純化
によって
<人ではない者>が
<人>
となり………――
<人である者>が
<人>
ではなくなる。
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”劣る者”は
<個
”性”>
を見分けられないが故に
<個
”性”>
を見出さず、
<個
”性”>
を見出さないが故に
<尊重>
などしない。
そして
<人ではない者>は……
――自ら…
自身が……――
「人ではない」
――という事を
示す。
「人類が
ヒューマニズムを
通じて
向かう………――
<非人間化>
<脱人化>
――という道だ」
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