荘厳なる少女マグロ と 運動会
"マグロ" は…――
<女>
――になり……
「女である
という事」
――と共に………
――<意味>
――と共に……
――それまで…
歩いてきたが、
その
<"マグロ">
という
存在は、
単なる
一人の……――
「女」
――という事に
従属していない。
<カラーシンボリズム>
による
”統一化”と
”対象を
下位に
置いて
#”同”
レベル
でもない
他#と
”同”
一視させる為の
作業”は、
必要
無い。
"マグロ" は
<女>
ではあるが、
<女>
という集合の中の
#一人の女#………
――空集合に
――含まれ
――個体である事を
――剥奪され
――そして
――自ら
――そうしようする
――対象……
ではないのだ。
”共感”
――によって
自身の…――
<個>
――を
消そうと
する事は
ないのだ。
その胸に
抱かれた
二つの
<重力ストーン>
は……――
「女である
という事」
――を
<意味>
していない………――
単純で、
他と
”同じ”
様に
繰り返すだけで、
他と
代替可能な
"マグロの姉" と
違って。
劣る者大勢が
形成する
空だらけの
評価体系の中……――
”場”
の外部から
劣る
その他に
見られる事で
<価値>
が設定され、
”評価”
され、
劣る者から
求められるがままに
利用されるが、
子供を
育てる為には
何も
利用されない
二つの玉とは
違うのだ。
劣る者に
媚び、
劣る者に
都合の
”良い”…――
<ショーフ>
――となって
褒められ……――
「勝つ」
――その為の
代替物では
無い。
["マグロ" が
シニアに
上がり、
<世界選手権>
で戦う時、
”性”
の問題に
直面するように
なるが、
この時は
まだ
ジュニアにも
満たない
ノービス
なのだ。
この
プログラム・クール
にて………――
「為す」
――事に……
「<女>
である事」
――は
”要素”
として
働いているが、
"マグロ" が
それを
自らの
ボディーを
使って
<表現する>
という事は
ない]
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そこに
多くの
<色>は
要らない。
劣った者が
利用する
ディクションの…――
#個
”性”#
――という
多種多様に
見られる
<色>は……
――それが
――如何なる色で
――あろうとも………
「"マグロ" が
為そうと
する事」
――に
合わない。
[<個
”性”>
という語も
ヒューマニスト
によって
捻じ曲げられて
利用されている……――
捻じれる
必要が
無いにも
関わらず]
対象が
”場”
に於いて
適切に
展開する上で
適切な
操作
なのだ。
「点」
――として
完璧に
近づくのだ。
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