荘厳なる少女マグロ と 運動会
言い換えると…――
「人生には
意味が
あるか?」
――に於ける
<意味>を
<価値>
と設定してから……
――即ち………
「人生には
価値が
あるか?」
――としてから
該当する
問題らしき
問題に関して
議論を
進め……――
「人生には
価値が
無い」
――という
テンポラリーな
帰結に
到達し、
それから
再び
<価値>を
<意味>
に移し替えて…
――戻して……
「人生には
意味が
無い」
――と主張しても………
「人生には
意味が
無い」
――という事には
ならない。
<意味>は……――
「在る」
――のだから。
”或る
評価体系”
が用られて
”或る
大きなグループに
含まれた
小さなグループ”
で否定されようとも、
#”その
小さなグループ”
を含む
”大きなグループ”#
で肯定されれば、
それは
”場”に…――
「在る」
――事が
示される。
[e.g.:
或る
大きな袋の中には
小さな袋と
林檎が
入っている。
小さな袋の中は
空っぽ。
しかし、
如何に
大きな袋と
小さな袋が
似通っていようが、
小さな袋に
林檎が
入っていないから
といって
林檎が
無い事には
ならない]
”解釈”
によって
<意味>
が転移した形である
<目的>
の場合も……――
”同じ”。
#解釈#は、
対象の
意味領域を
拡大させて
見せたり、
縮小させて
見せたり、
領域そのものの
属性や
内容を
操作して
見せようとする
試みであり、
有無の問題とは
何も
関係が
無い。
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"蜘蛛宇宙人" が
導いた
”声”は………
――フラグは……
"マグロ" が…――
「為す」
――という事に
役に立つ訳では
ない。
"コーチ" が
設定する
障害は、
"蜘蛛宇宙人" が
手を
下さなくとも
障害で
在り続けない。
ただ、
"蜘蛛宇宙人" が
フラグを
立てた帰結として
発生した
”声”には……――
<意味>
――が………
「在る」。
目的は……――
「在った」。
そして
価値に関しては、
在ろうが
無かろうが
問題では
無い。
見出されようが
されまいが
関係が
無い。
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ここでは…
――比喩的に……
言い換えている
だけ。
言い換えは
いくらでも
可能。
要素を
抽出して
それを
元に
再構築を
<自動生成>
すれば
”良い”
だけ。
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「"コーチ" から………――
『コーチである事』
――という意味が……
――仮定が…
無くなった後、
浮遊する
空集合的対象を……
――適切に………
本来
いるべき場所へ……
――『在る』
――べきではない
――場所から…
導く」
――のだ。
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「無い」
――にも
関わらず……――
「在る」
――という
ルール
を用いて
”悪”
が示されようとした
写像の
本来の
<状態>
を取り戻させる
だけだ。
”悪人”が
ヒューマニズムの
勢いに乗って
行ってきた
<捻じ曲げ>
を元の
<状態>
に戻すのだ。
「それを
しようと
している」
――という
<意味>が
そこには………――
「在る」。
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