荘厳なる少女マグロ と 運動会
コバチ。
それは…――
スポーツの技。
二つの石に
乗って
宙を
上がる
”<重力スケート>
の技”
では
無い。
体操競技の技。
それも……――
宙に
釣り下げられた
二つの輪を
握って
行う
<吊り輪>
では
無い。
二本の棒を
用いる
<平行棒>
でも
無い。
鞍馬でも
床でも
無い。
重力を
操作する
段階に
なかった
古代社会では………――
「bar」
――を
用いて、
その技が
示された。
「bar」
――と云えど……
「Ag」
――ではない。
「Au」
――でもない。
「Fe」
――なのだ。
技は
為された。
現代技術から
見れば…――
極めて
原始的に。
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「1」
――を
掴む選手が……――
「1」
――を
手放し………――
「1」
――を為す……
回転しながら。
”同じ”
回転と
云えど、
それは…――
<SJ>
――ではない。
種類が
異なる。
向きが
異なる。
回転は……――
バックロール。
その技が
初めて
為された頃は………――
難易度が……
――極めて…
高く
設定されていた。
その後、
体操選手は
進歩して……
――選手なら………
誰もが
出来る様に
なり、
難易度が
下げられたが、
それでも
”努力しない
そこら辺の者”
には
行う事が
出来ない
技。
”努力”
しても……
――必ずしも…
取得が
約束されない
技。
「Ferrum」
――の
鋭い……――
<意思>
――を
必要とする
技。
"マグロの姉" が
得意とする
開脚………――
<ピーコックステイル>
――とは
違う。
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開脚は……
――程度こそ
――違えど…
誰にでも
出来る技。
踵と踵の間を
広げれば、
誰でも
出来る。
※それは……――
「E」。
最低でも
開いてさえいれば、
すべて
開脚。
或る者が
別の者の
倍を
開こうが、
倍の倍だけ
開こうが
”同じ”。
"ライバルコーチ" が
現役時代
得意だった事。
踵と踵を
肩幅まで
広げて
石の上に
立ち、
その爪先を
鷲の様に
広げずに………
――角度を
――浅く……
滑ろうとも、
"ライバルコーチ" の
それは
開脚の
一種である
<イーグル>
という技だと…
――よく……
認定されていた。
そして
ジャッジは………
――<芸術点>は……
――当時…
「より
大きく
開こう!」
「人が
可能な
限界まで
到達しよう!!」
――と
努力する者を……
――減点する事で………
貶めていた。
何をしようが
認めない事で
努力を
無為化しようと
謀っていた。
優れた者の
意気を
挫こうと
励んでいた。
優れた者の
優れている
という事を
見ず……――
「○○選手 ["ライバルコーチ"] は
戦争の
激しいところから
来た!!!」
「貧しいながら、
”頑張ってる”!!」
「可哀想!」
「”努力”
が報われる様に
認めてあげなきゃ!!」
そして
優れた者を
落とし、
優れていない
可哀想な子を
上げる事で
報われる様に
画策した。
<ヒューマニスト>
――達。
※ヒューマニズム
による
”捻じ曲げ”は、
<平等>
という
”概念”
だけに
施された…
――働きかけた……
訳では
無い。
ずっと………――
「努力」
――という言葉も
ヒューマニストが
先導し、
扇動する通り、
捻じ曲げられ、
”悪用”
されていた。
そして……――
されている。
学ばず、
鍛えず、
高まろうとはせず、
優れている事を
示そうとさえせず、
劣っている事を
共感される為に
無能に
媚を売る事を
”努力”
と呼ぶ者は
多かったし、
多い。
ただ…――
”努力”と
”追従”は
違う。
※<重力スケート>
というものは
不思議な競技で、
何故か
”長年
競技を
続けている
特に
優れた事 [難易度の高い事] を
為した訳でもない、
一選手”が
それまでと
”同じ”
事を
しているにも
関わらず、
突然……――
「素晴らしい!!!」
――と
ジャッジに
”評価”
されて
プッシュされる事が
在る。
それも………――
毎シーズン。
「E」
――と……
「H」
――を
繰り返しているから
サンプルが
大量。
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