荘厳なる少女マグロ と 運動会
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繰り返すが、
”重力スケート”に於いて
落石は
珍しい事では
ない。
"マグロ" は
――何度も
"青年" の目の前で
落ちた事がある。
それでも
――その日まで
――"マグロ" は
"青年" の視線を気にした事がなかった。
目が会っても
――風の様に
すり抜けていく視線。
俗に”視線が交差する”と云うが
――絡み合う事のない視線。
そんな以前までの日常が
繰り返される事は
――もう
ない。
その日、
息吹は吹き抜けず、
"マグロ" の意識に
<画>
として残っていた。
実際の目に映るモノは――"青年" の背中。
その背中さえ
――"マグロ" が視線を逸らすと
消えるモノ。
ただ
"青年" の目のイメージは、
"マグロ" の頭を捉えて
離さなかった。
"青年" が見つめてくる
――妄想の中で。
そして――
見つめられる "マグロ" は――
熱を覚えていた。
火が灯った木炭が
胸の内に
在るかの様だった。
以前は
冷え切って
黒さだけを見せていた
ソリッドな
無機質。
それが
――黒い筈の表面に
――白熱灯の類の
――柔い赤を宿し
明滅する。
"マグロ" の頭の中に居座る "青年" の双眼は、
"マグロ" の持つ木炭に
息吹を送り続ける。
明滅する――明滅する。
燃え上がりはしない…
――ただ
――温度を
――上げるだけだ。
赤の分布領域を
「ジワ……」
「ジワ………」
と増やし
黒を侵略するだけだ。
その色は
――決して
<心地良い”あたたかさ”>
とはならない。
暑すぎず……――寒すぎず。
ただ
――どちらかと言えば
<暑い>
に属する。
そんな――
<恥>。
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"マグロ" は、手で胸を押さえた。
"青年" に冷たくされたからではない…――
<自分の情けなさ>
が、恥ずかしかった。
ジャンプの失敗を恥ずかしく思ったのは
――”重力スケート”を専門的に始める前の
幼い頃だけだ。
競技として”重力スケート”を選び、
専念する様になってから、
失敗して
「誰かに見られて……恥ずかしい」
と思う事はなかった。
あったとしても――慣れるのだ。
抑々、
「恥ずかしい………」
などと言って躊躇しては
――練習自体
進まない。
選手なら誰でも失敗はある――
一日一度は必ず起こる程。
誰に見られようと……――
"マグロ":
《関係ない。
でもなんで…――
……何で足を踏み外しちゃったんだろ?
――普段なら………
――FJ二回転くらい……
――余裕なのに…》
頭の中にある "青年" の目は消えない。
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練習で掻いた汗は、引かなかった。
"マグロ" は震えてはいなかった。
ただ
身体の軸を揺らす様な
<カオスな熱さ>
が、身体の内側に居座っている。
そして――熱の上昇は止まらない。
”それ”は、己の肉体や精神を焦がしはしない。
蒸気が満ちたサウナの様な――暑さ。
その”内的暑さ”故に
"マグロ" は、肌寒く感じた
――練習場は
――人工知能によって
――大多数が不快にならない程度に
――場の調整が行われているにも関わらず。
陳腐な恋愛小説家が
テンプレとして使う様な
<鳥肌>
は立たなかった。
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"マグロ" は、上掛けを欲していた。
手近にないから――自身を抱いた。
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皮膚下の熱さは
<恥>
であった。
<恋そのもの>
ではなかった。
ただ――”恋”故に起こった”恥”であった。
少女は――恋に落ちていた。
単に――恋に落ちていた。
そして”恋”故に
どうでも良かった事が
どうでも良くなくなる
そんな苦しみを知ったのだ。
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熱は冷めなかった。
「ふ」
と"マグロ" は、
泣きそうになった。
身体の芯がぶれていく。
練習中の五回転SJで
失敗した時の様な
――永遠に着石出来ないのではないか?
――と不安になる様な
眩暈。
唇が歪んだ。
顔を背ける。
そして "マグロ" は――
原因の転嫁を行った。
"マグロ":
《試合前なのに……》
涙が溢れてくる。
"マグロ":
《試合の前だっていうのに!》
涙を必死に押し留めようとする。
"マグロ":
《………っ!!》
女性だからではない
――男性だからではない。
ただ――泣かない様にしているだけだ。
物理的ではなく、
意識で
現実に存在する物を
コントロールしようと
する。
それでも……――眦から零れる水を止める事が出来なかった。
視界が――ブラー。
鼻からスムーズに息を吸う事が難しくなってくる。
"マグロ":
「バカみたい…」
肺辺りが苦しくなっていた――
キツイ練習をしても起こった事がない程。
「sic……」
「sic………」
「sic……」
"マグロ" は
――しゃくりあげながら
泣く自分を止めようとした。
それでも…――
鼻から息が通る度に――濁音が伴う。
鼻を啜る度に――肩が上がった。
"マグロ" は、拭わなかった。
泣いているという事実を
「存在しない」
と主張するかの様に。
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ただ――顔を手で隠していた。
"マグロ" は
――ただ
隠していた。




