荘厳なる少女マグロ と 運動会
"コーチ" の声が、スペースリンクに響いていた…
――その姿は
――リンクに……
――ない。
空中をスケートする "マグロ" は
<先頭集団>に
――必死に
食らい付いていた。
まだ追い抜かれては――なかった。
必死に "姉" の背中と足さばきを見ていた
――"青年" を見る余裕はなかったが………
――それでも
「ちらちら」
――見ていない事もなかった。
"マグロ" の同年代選手は
――皆……
――既に…
<先頭集団>に
追い抜かれていた。
追い抜かれても――滑りを止める者はいない。
抜かれても――抜き返そうと走り続ける。
"マグロ" は
<先頭集団>との差を縮めようと
努力していた。
望む事は
――いつまで経っても
叶わない。
体力だけが消耗していく。
ただ――差が拡大する事はなかった。
選手達は、走り続けた。
その軌跡は、
<メビウスの輪>
の様に見える。
"コーチ" はそれを見ていた。
―――――――――――――――――――――――――
"コーチ" は
――”重力スケート”練習施設の中
――スペースリンクの隣に設置された
<ディレクション・ルーム>にいる。
からっぽの部屋。
機械はない
――映像装置もない。
窓もない。
絵や観葉植物などが飾っている事もない。
ただの四角い部屋。
そこで
"コーチ" は
――部屋の中心にて
――立ったまま……
宙を
「ぼんやり………」
と見ている
様に見えた
その焦点は合っていない。
ただ瞳孔は
――小刻みに
――上下左右
動いている。
そして虚空を睨みながら、
指を宙に彷徨わせたり
足で床を強く踏みつけたりした。
見る人が見れば
――時代が時代なら…
その姿は、
<何もない部屋に隔離された病人>
の様に見える。
ただ、実際に気を違えている訳ではない……――
"コーチ" は、選手を見ているのだ。
<選手達そのもの>を見ている訳ではない。
映像を目に映しているのだ。
目に直接当てられた光によって、
――物が何もない<ディレクション・ルーム>の中
選手達が滑っている様子が”克明に”見えていた。
[※超能力ではない]
選手の姿だけではない――選手のデータも見える。
滑走スピード、
角度、
反応、
それらを組み合わせる事で算出される選手の疲労予想度。
石の空間に於ける位置。
熱放出量。
ベクトルの方向性。
それらは
――株価の様に
常に更新を続けて
"コーチ" の目に映し出されている。
ただ――現実には何もないだけ。
"コーチ" が
――選手達の疲労予想度の変動を見ながら
「止め」
と声を出した。
自身以外は誰もいない部屋の中、
大声を出す必要はなかった。
―――――――――――――――――――――――――
因みに、
もう
”マイク(マイクロフォン)”という
<古典的音声拡張装置>
は作られていない。
壁が、マイクの役割を担っているのだから。
昔、
「壁に耳あり
障子に目あり」
という諺があったそうだが、
現在は文字通り、
ほとんどの壁は――耳の様に、周辺の音を聞き
ほとんどの壁は――目の様に、周辺の様子を見る。
壁は監視カメラであり、録音装置でもある。
市民が自身の家を建てる時や
プライバシーが必要とされる空間では
その限りではないが、
公共施設や
市街地のビルなどでは
ほとんどの壁が
<録画>と<録音>を行っている。
そして壁が、採取情報を自動的にデータ化しているのだ。
[少女 "マグロ" が同級生の "少年" と喧嘩した時、
教師は子供達から事情を聞く必要がなかった…
――壁が保存したデータを見れば
――状況はわかるのだから]
よって、
壁に保存されたデータを
加工したり
転送したりすれば良いだけの話で、
マイクや拡声器の必要はなくなったし
大声を出す必要もない。
"コーチ" が呟くだけで
音声は壁を通じて
スペースリンクへ
――ダイレクトに
――適切な音量に変換されて
送られているのだから。
―――――――――――――――――――――――――
"コーチ" の
「止め」
という言葉がリンクに響いた時、
"マグロ" は
――<先頭集団>から
――遅れてはいたが……
追い抜かれていなかった。
"マグロ" は
「ほ」
と息を付き、
掌を膝に置き
”重力ストーン”を滑るがままにさせた。
同じ場にいる選手達は皆
――命令する声を耳に受け
突然ストップ――
を、しなかった。
皆――滑りながら減速していく。
急ブレーキを掛けると、危険が大きいから。
急ブレーキをかけるには
”重力ストーン”の上で
身体全体を不自然な角度に傾ける必要があり
――その時
――石を踏み外し
地面に落下する可能性が高まる。
[ただでさえ選手は
――石の上………
爪先立ちでい続ける為
バランスを取るのが難しいのだ。
不必要なリスクをわざわざ取る必要はない]
選手達はスピードを緩やかに落としながら
――各々
スペースリンクの端に向かった。
"マグロ" や
――"マグロの姉"
――"青年" も
例外ではなかった。
"マグロ" は途中、
同じノービスクラスの選手と目が会った。
相手はすぐに視線を背けた。
"マグロ" は、
リンクの端を掴む。
"青年" を見る余裕など、なかった。
滑る者がいなくなったリンクは、
ひどく
――広く
見えた。
"マグロ" は、リストバンドで額の汗を拭った。
そして――息を整える事に集中していた。