荘厳なる少女マグロ と 運動会
”妖精”と云っても、ピンからキリまでいる。
<年配男性>の姿をした小人もいれば、
背中に羽根が生えた…
――昆虫サイズで
<少女>の肢体を持つ者もいる。
ただ、その”妖精”という比喩が
<人間>を示す時に用いられる場合、
否定的な意味で用いられるケース
それは
極端に少ない。
美しさ。
現実には存在しない様な……
――大勢が手に入れる事の出来ない………
<美しさ>。
それこそ、
”妖精”の如き "マグロ" の "姉" が
体現していたものだった。
"マグロ" の周囲では、
誰も
美への賞賛の言葉を
口にしない。
ただ無関係の者
――利害関係のない
――通りすがり
だけが言葉にする――
「本当に綺麗な子……」。
別の者はこう表現する――
「すげぇ美人…」。
―――――――――――――――――――――――――
誰かが美学的問題について話し出すと、
必ず出てくる反論が在るものだ。
即ち――
「美しさは、人それぞれだ!」
そういう意見者には、こう言えば済む。
「なら、便所の蓋だって、美しいのでしょう?」
―――――――――――――――――――――――――
平凡な誰かが「好き!!」という意味での<可愛さ>なら
――空中に浮く力を持たず
――河原に転がり
――削られる事を待つだけの
――無数の<石ころ>の様に
そこらへんに
いくらでもある。
唯一ではない……――
ただ、
この世では数少ない造形。
"マグロ" の "姉" の<美しさ>には、
そこら辺の者を寄せ付けない
力強さがあった。
古語を使えば「オーラ」とでも言えるだろう。
お高くとまってはいないが――
高貴で
高価な
輝き。
見る者を心地良くなどさせない。
男だろうが、
女だろうが
――見る者に躊躇と緊張を生み出すという点で………
同じだった。
必要があって触れなければならなくとも、
素手で触れる事を躊躇わせる――
ジェム。
言葉を投げかける必要がある時は
――挨拶でさえ
「自分の吐く言葉が
――声が……
汚れているのではないか…?」
そんな不安にさせる無言の圧力。
話しかけてみようと口内に溜まった唾液を飲み込んでも
――その前では
緊張を完全に弛緩させる事は出来ない。
"マグロ" の "姉" は
――街を歩いても
ナンパなどされない……――
あまりにも近寄り難くて。
ランニング中に身体から弾かれて飛ぶ汗さえ………――
輝いて見えた。
その”妖精”の美は、シンメトリカルな美ではなかった。
対称性の僅かなズレ。
シンメトリーを理想とする者が
穿り出す様に見つけたつもりの欠点
――ズレによって生じた破れ…
そこからさえ
国家と結婚した冷徹な古代女王の纏う
甘い
――能力のある調香師が作った
芳香が漂ってくる様な、
そんな<美しさ>。
ただ――
”妖精”は
生まれつき
そういう状態にあるのでは
なかった。
そこら辺の
「カワイー」
子は
――いつまで経っても
「カワイー」
ままだ。
そしてその「カワイー」は
――加齢し
――新たな魅力や知性を補強しなければ
――ただ
衰退していくだけ……。
"マグロ" の "姉" は
――優れた知性こそなかったが…
<努力>
によってその美を完成させ、
次々と生まれてくる<衰退させる条件>を消していた。
その長い足――長い腕。
スポーツをしているから、程よく締まっている。
筋肉質だが――筋肉質に見えない。
モデルというものは服を着て服をよく見せるハンガーであるが、
如何なる高級服も "マグロ" の "姉" が着ると価値が低く見える。
安物に見えるのではない――安物も高級服も同じ価値になる。
その――細長い首。
天然の柔らかな巻き毛をアップにすると見える
滑らかで
艶やかな
項。
毛が一二本、
解れ、
垂れ、
縺れていても、
だらしなさには見えなかった
――寧ろ
――見る者の鼓動を速めた。
"マグロ" の "姉" がスケートを滑り、
それが風に靡く時……
ウブは顔を赤くし――目を背けた。
その身体は柔軟に富み――ポジションは優雅。
気弱な人形ではなく――寧ろ強気がその表面に垣間見える。
その、化粧を必要としない肌――
化粧をすると映える唇。
その身体に、
拙い表現者が美しい少女を描く時に使うとキャラが立つとされる
<黒子>
は、なかった。
そんな小道具は、本当に美しき少女を示す時、必要ない。
将に常人の手に届かない所にいる者。
立っているだけで、
周囲に存在する人間を
――すべて
醜悪に見せる者。
それ故に………――美しさを持たない大勢に憎まれる対象。
本当にレアな美貌は、好かれはしない
――ただ、憎まれるものだ。
そして
その美しさを
「自分が手に入れる事は出来ない……」
と達観した人間だけが
――素直に
憧れる事が出来る。
そんな美しさを持つ者は
――屡
残酷である。
それが "マグロ" の "姉" であった。
"マグロ" の "姉":
「ママ!!!」
"マグロ" の "姉":
「ママ!!」
"妖精" は、
”重力スケート”練習場、
柔軟運動の為に設けられたルーム
その入口のドアを開け
――敷居に立ち
叫んでいた。
"母親" は
――既に
叫び声の許へと向かっていた。
それでも――
"姉":
「ママ! あたしの上着どこ!!?」
"姉":
「寒い!!!」
"姉":
「風邪ひいちゃう!!」
”妖精”は
オーバーに
ヒステリックに
――ジェスチャーを交えて
叫んでいた。
顔を構成するすべてのパーツを中心に集める様に、
顰めている顔が見える
――それでも、その美しさは何も汚されない。
柔軟ルームに入ろうとしていた選手がいたが
――"マグロ" の "姉" が入口を遮っているのを見て
別の方角に向かったのが見えた。
誰も”妖精”に文句は言わない…
――"マグロ" の "姉" は
――前年
――”重力スケート”ジュニアサーキットで世界を回り
――既に欧米の地方都市で一勝(優勝)
――していた。
残念な事に
次戦で訪れた
南アフリカでのパフォーマンスが
あまり良い結果とならなかった為に
本選出場は叶わなかったが、
ノービスからジュニアに上がったばかりの選手にとって、
これ以上ない
――幸先の良い
スタートと見做されていた。
"マグロ" の "姉" が求めている上着は、
シートの上に在った
――誰の目にも明らかな場所に
――目立つ色で
――在った。
"姉" はそれを探しもせず
――探すフリもせず……
ドアのところに立ち、
"母親" に向かって叫んでいた。
"姉":
「ママ!」
"母親" が上着を取って、"姉" に渡した。
"姉" は金切声を止め、袖を通した。
"姉" は
――既に気付いていたにも関わらず………
その時になって
――始めて……
"妹" の存在に気付いたかの様に振る舞った。
手を振った。
笑顔だった。
"マグロ" も釣られて笑顔になった
――そして、手を振った。
美しい "姉" にとって、
"妹" は
ライバルではなかった。
ライバルになり得るとは、微塵も信じていなかった。