荘厳なる少女マグロ と 運動会
"クローン":
「ボクは
<クローン>
なんです。
それも…――
<有名な人間>
のクローン。
クローンの――クローン。
<"蜘蛛宇宙人">
って名前
聞いた事
ないですか?」
誇らしげだ。
"マグロ" は――その名前を知らなかった。
世の中の
ほとんども
知らない
名前。
"蜘蛛宇宙人"。
それでも……――
知ってる人は
知っている。
ただ………――
"マグロ" には
関係のない
事。
だから無視して……――
別の事を
考えていた。
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"マグロ" は
――それまで…
クローン人間を
《……可哀想だ》
と、思っていた。
"マグロ":
《<お母さんの愛情>
を知らないなんて………。
クローンって
可哀想……》
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既に
人間個人が生誕する上で
母親の身体は
――必ずしも
必要では
なくなっている。
母親の役割をする
<母体>
というものが
――在るには…
在るが、
そこに
――ひとりの人間としての
”母親”
という存在は
ない。
それは、
<物>
であった。
そこに……――人格はない。
人権はない………――
脳がないのだから。
現代では
脳がない限り、
身体の如何なる器官も
人権を
認められて
いない。
<母体>
は
有機体そのものさえ
少ない。
故に
クローンは
――多くの場合
”人間としての”
<母親>
を持たないのだ。
[以前、
脳が欠如した肉体
――脳以外
――手足や内臓など
――すべての器官が
――備わっている
――カラダ
に人権があるのか?
という議論が
沸き起こった事が
ある。
しかし
――すぐに……
尻すぼみに
なった。
その様な例は、作られなかったから。
ただ
作られた場合でも、
人権が認められる見込みは
少ない。
さらに
<意志>
を持たない脳に
人権を認めるべきか
否か?
という問題もあった。
この場合は
認められている。
しかし、
主体性
と
生命活動
の二つが
確認される事が、
最低条件である。
<或る脳に記憶された情報を
別の所にコピーした対象
(それは意志を持っている)>
に人権はあるか?
という議論では、
<主体性>
が争点となっている。
現代では
――その場合…
コピーには
人権をフルに与えない
という処置が
取られている。
コピーが
<主体性>
を求めて
訴訟を起こす例は
――屡
あるが、
これまでの判例は
あまりコピーに
好意的では
ない。
コピーは
<主体者>
が
<主体権>
を放棄しない限り、
最低限の権利しか
主張する事が
出来ないのだ。
<クローン>
という人種は
ある種
コピーではあるが、
コピーとは違い――
創造作業が行われた後
胎児状態に於いて
脳が規定の大きさを越えた時点で
<オリジナル>
として
<主体性>
が
法的に
認められる――
他の
<主体性>
を持った
脳データを
移し替えない
限り。
その為、
クローンには
”人権がある”
のである]
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