犠牲
かつて英雄と呼ばれたひとりの騎士がいた。
数多の邪悪を打ち倒し、民を救い、勇者と並ぶとまで呼ばれたその光跡。
しかし、その騎士は魔王が復活すると、魔王の側についたのである。
人々は驚き、彼を罵った。
だが、彼は魔王の側についても決して残虐な行いはせず正々堂々と戦った。
いつの間にか人々は彼を、その全身を覆う黒い鎧になぞらえて、黒騎士と呼ぶようになっていた。
***
「もうやめてください。魔王はすでに倒れました。これ以上の戦いに何の意味があるのですか」
魔王は一週間前に勇者によって倒された。
各地では魔王の配下の魔族が次々と降伏している。
なのにその中でただひとり、掲げた旗を降ろさぬものがいた。
人類ただひとりの裏切り者、黒騎士である。
「くっくっく、意味ならあるさ」
彼は聖女である私を攫い、勇者に最期の戦いを挑もうとしていた。
全身を覆う黒い鎧の隙間から、しのぶ笑いが漏れる。それは悪人にしては、とても綺麗過ぎる澄んだ声だった。
「やっとやつと…、勇者と決着をつけることができる…」
その声は歓喜の笑いにも、悲壮の悲鳴にも聞こえる。
ただ私には剣を確かめるように握ったその全身から、並々ならぬ気迫がほとばしったのを感じた。
「なぜです…。なぜそんなに勇者と戦いたいのですか!」
この古く朽ちた城にさらわれてからも、私は一度も危害を加えられることはなかった。
この男は勇者と戦うため。そのためだけに私をさらったのだ。
それだけじゃない、魔王の側についたのもそのためだ。彼はそのせいで人類の裏切り者だという汚名をうけ、積み上げてきた名誉をすべて投げ捨てた。
一体何が、何がそこまで彼を駆り立てるのか。
「知りたいか、聖女よ…」
甲冑の向こうの優しげなブルーの瞳が私を見つめる。
「そうだな。勇者がお前を助けにくるまではまだ時間がある。それを待つのにはちょうどいい暇つぶしだ。教えてやろう。私と勇者の間に何があったのか…」
そして彼は一呼吸すると、すべてを語りはじめた。
「私とヤツとの因縁を…」
***
私は北のとある村で生まれ育った。
何もない、人口も少ない、田舎村だった。
でも、いい所だった。まわりは自然にあふれていて、空気も綺麗だった。そして日々、勢力を増していた魔族たちの手も、その村にはまだ伸びていなかった。
私には同い年の幼馴染がいた。
こんな古ぼけた田舎村には似つかわしくない、まるで白百合のような可憐な少女だった。性格も優しく、誰にでも親切で、みんなから好かれていた。
私と女の子は良く二人で遊んだ。村で同い年なのは、私とその少女しかいなかったから。
私が少女に思いを寄せるようになるまで、そんなに時間はかからなかった。
そして私は9歳になったとき、その気持ちをその子へ伝えた。
「す、すきだ。きみのことが好きなんだ!」
前の晩考えていた気の利いた言葉なんてひとつも言えなかった。
「私も好き」
でも、その子は優しく微笑んで私の気持ちを受け入れてくれた。
あの日のことは、今でも記憶に残っている。私たちを包むうららかな日差しが、それに照らされた草木が、まるで宝石のように輝いて見えた。
そしてそれよりも遥かに輝いて見えたのが、彼女の太陽のような笑顔だった。
その笑顔を見たとき私は心に誓ったのだ。この少女を一生をかけて守ろう、と。
その誓いを守れるようにと、私は翌日から剣の修行をはじめた。退役してから長い村の老人に基礎的な型を習ったあとは、毎日素振りを繰り返して自らを鍛えた。
「剣の修行なんて危ないよ?できれば怪我して欲しくないなぁ…」
彼女はそう言って止めたが、むしろ私の修行には熱が入るばかりだった。必ずこの心優しい少女を守れるような男になるのだと、私の心は燃え上がった。
やがて私たちはもうすぐ成人の儀を迎えようとする歳になっていた。
私はその頃には周辺の村でも、一番の剣の使い手となっていた。
そして彼女は歳を重ね、より一層美しく愛らしく成長していた。
この頃、私たちの村の周辺にも魔物があらわれるようになっていた。私は幼馴染であり恋人でもある少女を守るために、現われた魔物たちと戦った。
彼女は心配そうにしていたが、私は目標としていた、彼女を守れる男になるという誓いに近づいていることを確信した。
風の伝えによると王都では、広がる魔族の勢力に対抗するために、隠れて育てられてきた勇者を召還しようという話になっているらしいが私には関係ない話だった。
彼女は私が守る。何があろうと。一生を懸けて。
それだけが私の全てだった。
そして成人の儀まで一週間に迫ったとき、その事件は起こったのだ…。
その日、私は村の近くに現われた魔物を倒し、村へと戻ったのだった。
返り血と汗で汚れていた私は、彼女に会う前に汗を流そうと村の浴場へと向かった。
服を脱ぎ、何の気もなしに風呂場へと入った私を待っていたのは驚いた声だった。
「きゃっ」
驚いた声を聞いたのは私だったが、むしろ驚愕していたのは私のほうだった。
風呂場にいたのはあの幼馴染の少女だったのだから。しかも、服など纏わずに、その身を隠すのはその手に持った小さなタオル一枚だけ…。
「ご、ごめん!本当にごめん!君が入ってると思わなくて!」
私は慌てて目をそらした。
村に浴場はひとつしかない。だが、私は油断していたのだ。この時間帯に風呂場を使うのは私ぐらいのものだから。
目をそらしながらも、私の頭には彼女の白い肌の残像が残っていた。
「あはは、うっかりやさんだね。でも、気にしてないから大丈夫だよ。汚れちゃってるみたいだね。あんまり危ないことして欲しくないんだけど…。私でるから、先に入って」
「い、いや、そういうわけにはいかないよ」
彼女は風呂からでようとしたが、むしろ出なければならないのは私のほうだった。
そう、何をやってるのだ。女の子が素肌を晒しているのだ。一刻もはやく風呂場から出なければならない。
そう考えた私だが、同時にあのときに映った彼女の白い素肌の残像が蘇ってきた。
私も年頃の少年だったのだ。
そういうことに興味がないわけではない。むしろ、興味だけならたくさんあると言っていい。ただ、少女を傷つけるような結果にならないように、それは十分に抑えてきたつもりだった。
しかし、そのとき魔が差したのだ。
覗くつもりはなかった。本当のことだ。神に誓ってもいい。
私自身に覗こうなどという意識はなかった。
ただ視線がちらっと彼女の方に移ってしまった。
私の視界の端で真っ白な素肌が飛び込んできた。私の心臓は高鳴った。
均整の取れた芸術品のような美しい体。
だが、同時に違和感にも気付く。あまり隠してるようにも見えない腕から覗く、その、女性を象徴する部分。
それは年頃の少女にしてはどうにも、盛り上がりに欠けているような気がした。むしろ真っ平らだと言った方がいい。
いやいや、そんなこと考えてはいけない。
そう、まだ私たちは年頃になったばかりだ。その年齢では、まだ成長の兆しすら迎えないものもいると聞く。
あと数年たてば立派に成長をはじめるはずだ。たとえ仮に成長しないとしてもだ。彼女の美しさや優しさ、魅力にはまったく関係ない。
そう考えていた私は気付かなかった。
「さすがにそんなに見られると恥ずかしいよ」
少女のことをじっと見てしまっていたことに。
「ごごご、ごめん!」
私は慌てた。
守ろうと誓った少女の体をぶしつけに眺めてしまったのである。彼女に傷ついた様子が無いのは幸いだったが、その内心は知れない。
不埒な心をもった人間だと失望されたかもしれない。
私が慌てて風呂場からでようとしたそのとき。
つるんっと、ぬれたとこに私の足が滑った。
そして思わず少女の方へと倒れこんでしまう。
「きゃあっ」
お互い頭を打つようなことはなかったが、私たちは風呂場のとこにもつれるように体を倒した。
私が慌てて身を起こそうとすると、はらりっと彼女の体を守っていた最期のタオルが床に舞っていく。
もはや自分の重ねた失態に私は混乱しきっていた。
しかし、その視線はついに曝け出された彼女の全てにぐっと引き寄せられてしまった。
数々の失態に対する申し訳ない気持ち、彼女に淫猥な男だと思われてしまうかという絶望、彼女を巻き込み転倒し守るどころか危ない目にあわせてしまったという悔恨、彼女が怪我を負っていないだろうかという不安。
既に混乱していた私の頭に、さらに混乱が追加された。
私は見たものをしばらく理解できなかった。
彼女に謝ることも、風呂場から退出することも、彼女を助け起こすこともできず、ただぼーっとそれを見ていた。
それはあれだった。
なんとも説明しがたいが、彼女の美しい体にあり、それ自身も美しかったが、それはともかくとして間違いなくあれだった。
「いたた~。ん?どうしたのぼうっとしちゃって?」
いつも通りの愛らしい声でそう言った彼女は上半身を起こすと、呆然と膝立ちのまま動かない私の視線の先を見てタオルが無いことに気付き納得したように別に隠すでもなく、ちょっと照れくさい顔で頭を掻いて言った。
「えへへ、ばれちゃった?」
「実は僕、男なんだよね♪」
それから一週間後、ヤツは出生を隠していた勇者として王都へと旅立っていったのだった。
***
すべてを話し終えた、黒騎士は叫んだ。
「わかるか?!将来を懸けて守ると誓った女性が、男だったときの私の絶望がああああ!」
「は、はあ…」
「なんだその『ええ…、そんな理由だったの…』みたいな顔は!お前だって婚約した相手が、もし同性だったりしたらもの凄いショックだろう?!」
「す、すいません。ちょっと想像していたのと違ったので。はい、辛いと思います。めちゃくちゃショックだと思います」
私は重苦しい鎧が迫ってきたので、咄嗟に全面的に同意した。
「そうだ。辛かったんだ。さらにそれだけではない」
あ、まだ続くんだ…。
***
ヤツが自分は男だとばらして、笑顔であっさり村を去ってから一ヶ月。
私はどうしても割り切れない思いを抱えた私は、王都へと向かうことにした。
目的はあいつへの復讐だった。
復讐といっても暴力的なことではない。
私は騎士になり奴よりも活躍し、勇者としての面目を無くしてやろうと考えたのだ。
勇者が初の魔物討伐に行ってる間に、私は騎士団の入団試験を受けた。
若い頃から鍛えていただけあってか、私は見事に騎士見習いになることができた。
そして騎士になるために訓練の日々に明け暮れたのだ。
仲間はみんな良い奴らばかりだった。上司も尊敬できる人たちばかりだ。途中ちょっとしたハプニングがあったものの仲間に励まされ、私は見事騎士になることが出来た。
そして騎士になってからも一生懸命、人々のために仲間とともにがんばった。
いつしか私の中にあった恨みの感情は消えていた。
私は勇者に勝負を挑むことにした。
もう復讐ではない。私へのけじめとしてだった。
そして仲間たちと共に鍛えあげた力を試したかったのもある。
一度は恨んだが、それで今の私がある。この勝負に勝っても負けても、全てを水に流そう。
そう思って正式に勝負を挑んだ私に勇者は答えたのである。
「えー、やだよ。めんどくさい。っていうか君もそろそろいい歳なんだからさ、いつまでも剣を振り回してちゃだめだよ。結婚とかちゃんと考えてないの?」
***
「どのくちが言うんだあああああああああああああああああ!」
ぼろい古城に黒騎士の絶叫が響き渡った。
ちょと崩れ落ちないか心配。
「さらにその一週間後に騎士団長から、田舎に戻るように言われたんだ。理由を問いただしたら、顔をそらしながら『君も…、その…、結婚とか考えなきゃいけない年齢だろ…』と言われたんだ。絶対、奴が何か圧力をかけたに決まっているううううう!」
「大体この鎧だって、あいつが『上京&騎士団入団のお祝いだよ♪』って言って着てみたらまったく脱げないし、最初はまわりの視線が痛かったし、ご飯の時だって大変だったし」
「他にも勝手に私の楽しみにしておいたプリンを食べるし、騎士団の合宿では別の日程を教えられたし、あんなことや、こんなことだって…。それからあれも!これも!」
いやはや積もり積もった恨みは恐るべし。
「絶対あいつだけはゆるさあああああああああん!」
黒騎士は思い出しただけで怒りが頂点に達したようで、古城の中で叫び猛るのだった。
***
「へっくちゅ」
「ん、どうした風邪か?」
「いや勇者が風邪引くわけないでしょ」
「それって僕が馬鹿って意味?」
「ううん、勇者に感染するなんて命知らずな病原体はいないって意味」
「じゃあいいや♪」
こちらは勇者、とその仲間たちの魔法使いと戦士。ちょっと人の気持ちがわからないとこがあるとみんなに言われるが、正真正銘の勇者である。
「しかし、どうする?黒騎士が聖女を攫うなんて、やっこさんも大分追い詰められてるってことかなぁ」
「性格から考えて危害は加えてないと思うよ。僕に決闘を申し込むために攫ったみたいだし」
「『一週間以内に城に来て、私と戦え』か。一体どうやったらこんなに恨まれるのよ」
「う~ん、まったく思い当たるふしが無いよ」
「勇者がそういうってことは、100個ぐらいは原因がありそうね」
「ははは、面白い冗談だね」
魔法使いと戦士は「冗談じゃないけどな」と心の中で呟いた。
「で、どうするよ。一応、危害加えないっていっても聖女が攫われた以上、助けないとまずいだろう?」
勇者としての立場もあるし、万一ということもある。というか戦士、一緒に旅してきたのに、ずいぶん薄情じゃない?
すると勇者は急に真剣な表情になった。
「うーん、僕もいい加減そろそろ決着つけないといけないと思ってたんだよね。彼との関係をね…」
そうして勇者たちは、黒騎士の立て籠もる古城へと向かったのだった。
***
「というわけで、勇者たちはこちらの城に向かってますよ」
「ありがとう。助かる」
私が見たことを告げると、黒騎士はお礼を言った。
素直な人だと思う。
その体からはようやく勇者と決着をつけられるという歓喜がほとばしっていた。
そうして城に勇者がやってきた。
黒騎士はあっさりと、自分のいる広間まで勇者を通す。一対一で決着をつけるつもりなのだ。
「よく来たな勇者。もはや言葉にすべきことはあるまい。貴様から受けたあらゆる侮辱、すべてこの戦いで決着をつけよう」
そうして互いに剣を抜き、二人の最期の戦いがはじまった。
とは、ならなかった。
「あー、ちょっと待って、その前にやることが」
気合十分の黒騎士にあっさり水を差した勇者は、文字通り黒騎士に何か水をぶっかけた。
「なんだこれは!?貴様、まさか毒でも使うというのか」
面食らって叫ぶ黒騎士に、「あはは、まさか。ただの聖水だよ」と勇者が答える。
何故、聖水をかけたのだろう。
そう思っていると、黒騎士の体が崩れ始めた。
「な、なんだ。これは!?」
いや、これは黒騎士を覆う鎧が崩れだしたのだ。それとなんだか、黒騎士の体が小さくなっていってる気がする。
「く、体のバランスが保てん。まさか私に呪いをかけたのか」
鎧が外れて行き、甲冑内で篭もっていた声が、素の声になっていく。あぁ、なんというか高くて綺麗な声だなぁ。うん…。
焦る黒騎士に、勇者は笑顔で答えた。
「あー、逆逆。呪いを解いてあげてるの」
全てが終わったあと、黒騎士はしばし呆けたようにその場に座り込んでいた。
その体を覆っていた鎧はもう無い。重い鎧は消えたというのに、彼はうまく体を動かすことができないのか、その場から立てずにいる。
「い、一体何をしたんだ!体にいつものように力が入らない。それになんか声が変だぞ」
それから体を揺らすと、彼…いや、うん…まだ彼にしておこう…の長い髪がさらりと肩から流れてきた。青色に輝く綺麗な黒髪だなぁ…。
「こんなに髪が伸びてたのか!?ん、こんなに私の手って小さかったっけ?」
どんどん体の違和感に気付いていく。
そしてついに彼の視線が決定的なものに向く。
自分の顔の下、首の下っかわにあるもの。なかなかにふくよかな膨らみ。私より大きいかもしれない…。
「な、な、なんだこれは…」
可愛そうになった私は、近くに都合よくあった鏡を彼の前に置いてやる。
「えっ…」
鏡を見た彼は、ついにそのまま停止してしまう。
私は勇者のご本尊を拝んだ彼の話を思い出していた。本当に受け入れがたいものをみたときは、たぶんこうやって思考停止してしまう性格なのだろう。
鏡には十何年もたってようやく鎧をはずすことが出来た黒騎士の姿が移っていた。
さらさらと流れる黒い髪は東方から伝わった月の姫の童話のよう。全身を覆う鎧を着ていたせいかその肌は白く人の心を惹き付けるようだった。そして狭い甲冑の隙間からすら輝いていたブルーの瞳は、遮るものがなくなりブルーダイヤのように輝く。
ほどよい胸のふくらみは柔らかそうで蠱惑的な魅力を感じさせる。東方の血を引いているのか、その容姿は整いながらエキゾチックな雰囲気を漂わせ、見るものの心を惹き付けた。
見まごう事なき美少女である彼女が鏡の中に映っていた。
「なにが…いったい何が起きたんだ…」
黒騎士は鏡を見てすら現実が受け入れられないように呟く。
そんな黒騎士に、勇者がなんか嬉しそうに言った。
「実はね。魔族の追及を逃れるために、女の子として育てられることになったんだけど、さらに信憑性を高めるために恋人をつくろうって話になってたんだよね」
「でさ、男の子を恋人にしたら可愛そうでしょ。僕も男だし、結婚なんてできないからね」
「だからね、女の子に自分を男だと思い込む呪いをかけて恋人にすることにしたんだよ!」
「いやぁでも、君が王都まで僕を追いかけてきたときは焦ったよ。もう成長期だし誤魔化しがきかなくなってくるし、周りは男だらけの環境に入っちゃうからその点も心配だったし。なんとか脱げない鎧を着せて事なきを得たんだけど、さすがの僕も焦っちゃったよ」
そして勇者はまるで最高のアイディアだったとでもいう風にのたまった。
「そういうわけで、僕と君は結婚できるよ!ちょっと遅くなっちゃったけど、ごめんね!」
「ぎゃああああああああああああ」
勇者の言葉で一気に現実を知らされた彼女は、一際大きな悲鳴をあげると、泡を吹いて床に倒れこんだ。
***
そういうわけで気絶したままの黒騎士さんを連れて、私たちは城を出て、近場の村の宿に止まることになった。
黒騎士さんが起きることはなかった。私も攫われたせいで睡眠時間がずれていたので、一回軽く寝ることにした。
起きてみると晩御飯の時間だったようで、みんな部屋にはおらず、一階の食堂に席をとっていた。
「あれ?黒騎士さんは?」
部屋を覗いてみたが、黒騎士さんはいなかった。しかし、食堂の席にも座ってない。
「ああ、勇者に夜這いかけられて、宿を飛び出していったよ」
「なるほどね」
私は納得した。
「はぁ、このまま一気に結婚までいくつもりだったけど、なかなか上手くいかないなぁ」
どういうプランで真実の告白→夜這いで結婚まで至るのか私には理解できないが、勇者は悩むような仕草でため息をついた。
「なんでだろう…」
「子供の頃からずっと騙されて自分を男だと思い込まされて、もう26歳になった頃にようやく自分が女だと知らされて、その元凶となった奴に寝込みを襲われて貞操まで奪われたらどう思う?」
魔法使いさんが的確な突込みを入れる。
「うーん、嬉しい?」
「何でそう思うのよ」
「え、だって僕と結婚できるんだよ?」
しかし、勇者には通じない。
「それはあんたが嬉しいだけでしょ」
「ん、あれ?」
「どうしたの?」
思わず疑問符をあげてしまった私に、魔法使いさんが何事かと尋ねてくる。
「貞操奪われたって、まるで最後までされちゃったみたいな言い方だけど」
「ええ、そうね」
魔法使いがあっさり頷いた。
戦士も頷いた。
「可愛かったなぁ。人生最良の日だったよ」
勇者が妙にてかてかしてると思ったらそのせいか。
「誰か止めなかったの…?」
「だって命は惜しいし」
「命が惜しいし」
魔法使いも戦士もあっさりそう答えた。
「そんな…、だからって…」
「じゃあ、あんたなら止めるの?」
私は問い返されて、しばらく考えてから首を振った。
「だって命は惜しいもん」
「でしょ」
「うむ」
私たちは三人で頷いた。
***
魔王と勇者の戦いが終わってから数年が経った。
あれから私たちはパーティーを解散し、それぞれ別れて平和に暮らしていた。
私は聖女として、割とおっきめの神殿で働いている。
今日も私はいろいろと不幸を負ってしまった人々の悩みやら懺悔やらを、顔の見えない壁の向こう側から聞いてやる。これも聖女としての立派な仕事なのだ。
今日の相談者は、澄んだ声の女性だった。でも、その声にはどことなくやつれた、幸の薄そうな雰囲気が伝わってきた。
「神さま、私は確かに一度人類を裏切り、魔王の側につきました。あってはならないことだったと思います。
だからといって、世界で一番憎い男に貞操を奪われ、結婚させられ、子供まで生まされる。そこまでのことを私はしましたでしょうか。
そもそも、あの男が私を騙したことがすべての原因ではないでしょうか。
何故、私だけこのような目に合うのですか!どうしたら私はこの状況から救われるのですか!?」
どうやら相談者は重い悩みを抱えているようだ。
これは神の意思を背負う聖女として、彼女を救ってやらねばなるまい。
彼女を救う言葉を見つけ出すと、すっと息を吸い込んで彼女へと告げた。
「えーっと、どんまい♪」
「うわあああああああああああああああん」
私の言葉があまりにもありがたすぎたせいか、女性は感動して泣き叫びながら、席を倒し懺悔の部屋から出て行った。
そしていつの間にか現われた男が、その体をガシッと捕まえる。
「ふふふ、捕まえたよ。さすがだね。あんなに結界を張って閉じ込めたのにまさか逃げ出すなんて、騎士団の若手筆頭だったのは伊達じゃないね。正直、王都に来た君を、そのまま過ごさせたことを後悔しているよ。でも、どんなに逃げても、ちゃんと捕まえてあげるから安心してね。
そうだ、今度は次元遮断も使って出られないようにしてみよう」
熱い瞳で女性を見つめるかつては勇者と呼ばれた男。今も勇者だが、必要もないのにこれを勇者と呼ぶのは理性が咎めた。
次元操作は神によって禁じられたはずだが、たぶん私がジュゲムシャルダインと聞き間違えたのだろう。どこの国の言葉でどんな意味かは知らないが。
「あっ…あっ…あっ…」
抱きしめられた女性の体は猫に睨まれたハムスターのようにガタガタと震えていた。
「おかーさんいたー!」
「つかまえたー!」
その腕をこれまた見麗しい少年と少女がつかまえる。
何もない空間から出現したように見えたが、瞬間移動は禁呪のひとつなので私は見なかったことにした。
「ひぃぃぃ」
女性が口から漏らした悲鳴は、どう考えても子供に抱きつかれた母親が発するようなものではなかった。
「もう、なんで逃げるの~?せっかくおかーさんと二人っきりで過ごそうと思ったのに」
「おかーさん一緒に遊ぼう。できれば一ヶ月ぐらいずっと一緒に」
「こらこら、いくらお前たちでもその言葉は聞き逃せないよ。まずは僕のだからね」
「はーい」
「ごめんなさーい」
力関係ははっきりしてるのか、子供たちは父親へとあっさり謝る。
「誰か、誰か、たすけてえええええ」
柱の陰や、椅子の陰からなりいきを見守っている神官たちに、ついに女性は泣き叫びながら助けを求めたが、誰も助けるわけがない。
だってみんな命は惜しいもの。
「それじゃあ帰るよ。僕らの家へ」
「いやあああああああああああ」
まだ泣き叫ぶ女性を愛しげに抱きしめ、はた迷惑な家族たちはようやく姿を消してくれた。
「あれ、何かありましたか…?」
みんながほっとしていると、ちょっと場違いなのんきな声が聞こえた。
「あ、なんでもありませんよ」
私はやってきた白髪の青年に特に気にすることはないと告げた。
青年はちょっと不思議そうに首をかしげたが、気にしないことにしたのか、もってきた袋を私に差し出してくれた。
「巷で美味しいって評判のプリン屋さんが開いてたので買ってきましたよ」
「わぁ、美味しそう!お茶入れますね。一緒に食べましょう」
私は懺悔部屋を閉じて、テーブルを出し、お茶を入れ始める。今日の業務は終了である。
「聖女さんの好きないちごプリンを買ってきましたよ。それからカラメルソースのも」
「さすが魔王さんわかってる!」
はしゃぐ私に白髪の青年は照れくさそうに笑った。今日は不吉な光景をみてしまったが、青年の買ってきたプリンのお陰でそんなこと吹き飛ばせてしまえそうだ。
「魔王はやめてくださいよ。もう昔のことですから」
「うふふ」
この白髪の青年こそ魔王だった人である。つまり元魔王というわけだ。
ちなみに白髪なのは魔族だからではない。勇者と戦った恐怖で一日にして真っ白になってしまったのだ。
かわいそう。いつか戻るといいんだけど。
勇者家族が立ち去ったので、神殿はもとの様子を取り戻していた。
私は香りたつ紅茶をゆっくりくゆらせながら、ぷりんを一口食む。
う~ん、甘い。うまい。
神殿の窓の向こうでは、今日も平和な景色が広がっている。
「平和っていいですねぇ」
もと魔王だった青年が、私が淹れた紅茶をゆったり飲みながら呟いた。
「そうですねぇ」
私も頷く、今日も平和な午後のお茶が始まった。
***
私は夢を見ていた。
そこでの私は神さまの一員だった。女神さまという奴だ。
彼女は私の同位体というやつで、人間の私と、神の私は別の存在でありながら、お互いに繋がっているのだ。
そして私は神さまである私が見た光景を、時々見ることができる。
それが聖女の力の正体である。
「ふう、なんとかなったのう」
私の目の前で、いい仕事をした~っといった感じで白髪のじいさんが汗をぬぐっていた。
このじいさんこそ恐れ多い最高神さまである。
「いくらなんでもむちゃくちゃすぎると思うんですけど。魔王を勇者に指名するなんて…」
私の白眼視を伴った疑問の声に、じいさんさまは手をひらひらさせて答えた。
「仕方ないじゃろう。あやつが魔王として覚醒してたら、世界はおろか天界まで滅ぼしかねなかったんじゃから。わしもお前も皆殺しじゃよ」
「それが代わりに魔王になってしまった魔族の青年と、村の女の子一人の被害ですんだんじゃ。わしグッジョブ!もっと褒めていいのよ?」
私はじいさんを褒めることはなかった。
なんか喋り方がむかついたからだ。私もまったくもって同意である。
「本当にいいんですかねぇ。これで…」
「ほっほっほ、いいんじゃよ。ほら、世界は平和じゃろ?」
確かに神の目で見る世界では平和な光景が広がっていた。ひとりの女性が泣き叫びながら、また脱走を企てているのを除けば。
もういい加減に諦めればいいのに…。
「うーん…、ま、いっか」
まあ神さま的には最終的にOKの判断らしい。
聖女としては従うばかりである。
***
夢から覚めた私は考えた。
平和とはいくつかの犠牲の上に成り立つものであると。
現にこの世界の平和は今、ひとりの女性の犠牲によって成り立っている。
じゃあ、平和な世界で暮らす私たちにできることは何か。
それはもたらされた平和を精一杯、満喫することではないだろうか。
そう思った私は、明日、白い髪のおひとよしな彼に告白しようと決めたのだった。
勇者の愛が世界を救う。
イイハナシダー。