悪女か、母か。
夜も更け、深夜と呼べる頃……ユーナは、こっそりと動いていた。
ザインの魔法をもってすれば、土に属するレンガや金属さえもいとも簡単に変形させ、元に戻せる。
それを利用して二階の部屋から抜け出したユーナが一番に向ったのは、裏庭にある馬小屋。
「何を馬にくくり付けているのじゃ?」
大きな馬小屋に居る一頭だけの葦毛の馬、その背に器用に白い皿をくくり付けるユーナ。
その姿をザインが不思議そうに問いかける。
「さっさと馬に乗って、逃げればいいのに」と、いった表情である。
「しっ。待って、今大事なところだから」
躾けられているからか、そういった気性だからか、暴れる事の無い馬。
大きな馬小屋のわりに、この一頭しか居ないのは、レイヴァンとスケティナが馬を使って出かけているからである。
その背につけた皿に、ユーナは両掌で触れると、小さく「補給」と、囁く。
その間、数十秒。
皿には目に見えて、何も変化起きてはいない。
けれど、ザインは、ある事に気付き驚くのであった。
「オマエ、耳が、いや、翼も少し小さくなっておるぞ」
ユーナの猫耳や翼が、半分ほど小さくなっているのに気付いたザインは、しげしげとそれを眺めた。
「……慣れないんだから、静かにしてよ。まぁ、これくらい込めればいいかな?」
いつもより若干、覇気の無い声でユーナは返事すると、葦毛の馬を馬小屋から出しはじめる。
「乗って逃げるのか?」
「鞍もつけていない馬に乗るのは無謀だ」と、小声ながらも説教しつつ、ついて来るザイン。
それにユーナは、答える事は無い。
ただ、馬を連れて歩き、塀の所まで来た所で、一言「もういっちょ、魔法よろしく」と、己の要望だけを伝える。
プリプリと文句言いたげだが、慣れた手つきでザインが塀に穴を開けると、そこに馬を連れて行き……急に、馬の尻を叩いた。
驚いた馬は、一度悲鳴の様な鳴き声をあげると、暗闇の中を疾走し、あっという間に暗闇の野原に消えていった。
「ほら、ボーっとしてないで。この音できっと気付かれるはず。ザイン、さっさと塀をくぐって」
先に塀から館の敷地外に出たユーナは、呆気に取られ動かないザインを促した。
いつの間にか、厚手のマントとフードで、耳や翼も完璧に隠している。
そそくさと、塀をくぐり、魔法で元の通りに塀を作り直したザインの体をユーナは、ひょいと抱えると、馬とは反対方向に走り始めた。
むかったのは、深夜の街。
入り組んだその街の路地で、人にぶつかるという些細なトラブルはあるも、それ以外は全く障害なく進み、人気の無い倉庫街でユーナは、やっと足を止めた。
「う……普段ならココまで疲れないのに、やっぱ疲れるわ。魔力減ると体力も減るとか、きつ過ぎ」
息を整え終わったユーナは小さく愚痴を言いつつ、ヘタヘタとその場に座り込む。
「何がしたいんじゃ? いったい……」
ユーナの腕から解放されたザインが、声色に呆れと戸惑いを表しつつ、問いかける。
「……疲れたから、朝になってからじゃ、駄目?」
いかにも面倒といった感じで、そのまま石畳に無造作に置かれた大きな木箱にもたれ掛るユーナ。
「ヒドッ、ココまで協力したのに」
ユーナの『秘儀☆貶して、持ち上げてヨッコイショw(注:単純な人にしか効かない)』(もっと短く単純に言えば『北風に太陽』とか、『飴と鞭』とか)によって、脱走計画に加担させられたザインには、事前に詳しい事は説明されていなかった。
深夜に急に決行され、言われるがまま、魔法で脱走路を確保&隠蔽をされされていた。
「まぁ~軽くだけなら、説明するわ。何が聞きたいの?」
ユーナは、もたれ掛った木箱をコンコン叩いたり、蓋を開け、中を覗いたりしつつ、返事をする。
「それじゃのぉ、まず初めって、オイ、聞いてんのか」
「ぇ? だって、この木箱、乾燥した藁入り。しかも、私が入るのに調度いいサイズ」
おそらく、この街まで高価な商品を入れて運んでいた木箱、中身の藁はクッション材であったのだろうと、ユーナは推測しつつ、「ラッキー」と、その中に入る。
小柄なユーナが丸まってはいると、ピッタリで、まるで箱でくつろぐ猫の様である。
「もう、そのままで良い、まずは、そうじゃ。あの皿は? 何故、馬の背につけたんじゃ?」
木箱の淵にヒョイッと、器用に飛び乗りながらザインは問う。
「あぁ、えっとね。館の皿には魔蓄石が入ってるから、魔力を補給して囮にしたのよ」
「囮?」
「そう、囮。レイヴァンって強い魔力を感知するみたいだから、ね」
「つまり、野に放った馬に強力な魔力を秘めた皿をつければ、彼らがソチラを追いかけるはず、と」
「なんて、ずる賢い」と、いう言葉は、ザインは飲み込みこんだ。
「それでは、そもそも何故こんな事をして逃げ出すんじゃ、あの館の方が安全じゃろって、寝とるじゃないか!?」
モフモフ体でプンスカ怒るザインの横で、ユーナはグッスリ。
何度か、怒鳴りつけるも、起きる気配も無く、安らかな寝息しか返ってこない。
諦めたザインは木箱の淵に座り、その姿を眺めた。
「……寝ている姿は、何て幼いんじゃ」
普段は、類稀なる美貌を知ってか、知らずか、それを最大限に活かしてを悪女の様に人を翻弄したり……在りし日の母にも劣らぬ、力く優しい眼とで「生きろ」と、説教したり……。
それらが、嘘の様。歳相応、否、それよりも幼く見える赤子の様な寝顔を、眠れぬ体になったザインは、独り眺めるのであった。




