第1話 ひとりの理由
俺には、優しい祖父が居た。
いつも笑顔で、でも時には厳しくて。俺はそんな祖父が好きだった。
……いや、祖父だけが好きだった。
小学校に入学した頃、初めて祖父に川に連れて行ってもらった。車で十分ほどのそこは、釣りをするには最適の場所だと祖父は言った。初めて、竿を持って餌をつけて釣りというものをした。初めは全然釣れなかった。でも、祖父は沢山釣っていた。俺は二匹しか釣れなかったが、祖父が俺のバケツに魚をそっと入れてくれていたらしい。家に帰った時に見たら、五匹に増えていた。
三年生の夏、縁側でスイカを食べていると、祖父は竹とナイフを持ってきて竹とんぼを作り始めた。慣れた手つきでそれを作る姿は、同年代の少年を見ているようだった。ナイフを貸してもらって俺も作ってみたが、上手く作れなかった。やはり祖父は凄い。
五年生になると、授業で戦争のことについて学んだ。「お家にお爺ちゃんやお婆ちゃんが居る人は、聞いてみてください。もしかしたら、戦争のことについて何か知っているかもしれません」と先生が言っていたので、俺も祖父に聞いてみた。やはり祖父が若い頃は戦争中だったらしく、色々な話が聞けた。祖父が小さい頃は食べるものもほとんど無く、おやつなど食べたことが無かったという事。祖父のお父さんが赤紙で徴集され、戦争に向かったという事。空襲がいつ来るか分からず、怯えながら生活していた事。結局祖父のお父さんは帰ってこなかったという事。原子爆弾が落とされ、日本が降伏したという事が伝えられると、祖父のお母さんが静かに涙したという事。どれも今の日本では考えられない事ばかりだった。話していた祖父も、苦しそうだった。
六年生の夏、祖母が脳梗塞で倒れて病院に送られた。お見舞いに行く間もなく、祖母は亡くなった。祖父は一筋涙を流していた。
中学一年生になった四月、祖父は脳梗塞で倒れた。祖母と同じ病名だった。救急車で運ばれた祖父を見送ると、涙が出た。祖父も祖母を同じように直ぐに逝ってしまうのかと思うと、涙が溢れてきた。一日中泣いていると、母や父から「まだ死んだわけじゃないんだ、うるさいから黙っていろ」と言われた。俺の両親は俺に冷たかった。両親に可愛がられているひとつ下の弟は、運動神経が良くて、成績が常に良くて。勉強もスポーツもそこそこにしかできない俺になど、関心が無いようだった。祖父が入院した病院は家から大分離れていたところにあったので、あまりお見舞いに行けなかった。
その年の秋、文化祭が終わってほっとしていた頃、祖父の容態が急に悪化しだした。俺は直ぐに病院に駆けつけた。最後にお見舞いに来たのは二ヵ月前、その頃から比べると大分痩せ細っていた。それを見て泣きそうになると、祖父が「お前は泣き虫だな、男なら泣くな。お前は、笑顔のほうが似合う」とほとんど聞き取れない、枯れた声でゆっくりと言った。その声を聞いてまた泣きそうになったが、何とか堪えて無理やり笑顔を作った。それを見て祖父も笑った。実際は泣いてしまっていたのかもしれない。目の前がほとんど見えなかった。
俺の両親は来なかった。俺と病院の医師と看護婦さんに見守られて、祖父は亡くなった。
今度は泣かなかった。お葬式の時でも泣かなかった。祖父が、男なら泣くなと言ったからだ。そのほうが、祖父も悲しまないと思ったからだ。
両親と弟は、葬式で泣いていた。何故泣くのだろうか。日頃祖父とはほとんど話さなかったくせに。祖父の死に際にも病院に来なかったくせに。祖父が死んだと分かって、笑っていたくせに。その涙はどうせ嘘なんだろう。思っていたのに、口に出して言おうとしていたのに、結局できなかった。
葬式は無事に終わった。そして俺は、“独り”になった。