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「それでは、ごゆっくりお楽しみ下さい」
給仕はにこやかに頭を下げると、去っていった。
「今度は何だか偉いのが出てきたな」
給仕が奥に消えてから、彼がぽつりと呟く。
円らな瞳は、まるで何かを見透かす風に湯気立つ赤い液体を見詰めていた。
「美味しそうね」
正直、一滴も口にしたくなかったが、そう応える。
流れてくる曲は、いつの間にかピアノからジャズに変わっていた。
色々な楽器がめいめい勝手に騒いでるみたいな曲だ。
「熱い内に飲もう」
彼が白いカップに口付ける。
白い地肌の色にほんのわずかに朱を含ませた、柔らかな唇。
これは化粧品では決して作れない、天然のものだ。
この唇を眺めていると、高値のルージュを引いたあたしの唇が酷く安っぽい作り物に思えてくる。
でも、あたしはルージュのうっすら移った彼の唇も好きだ。
口付ける前は、いつもこの唇の形にぴったり合わせる様にルージュの色を移したいと強く思う。
でも、いざ唇を重ねると、どんどんずれて、彼の頬や、うなじや、胸板の辺りにまで滲んだ緋色の跡を付けてしまう。
この人の体は、どこに口を付けても陶器の様に滑らかで、しかも触れると一瞬ひんやりしている様で、温もりが静かに湧き出てくる。
そして、奥深くに隠された部分に進むほど、温もりは熱に変わるのだ。