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逢瀬  作者: 住ノ江
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其の四


「……っはあ、……はあ、……はあ……!」


 翔太はがばりと上体を起こした。ばくばくと脈が波打ち、動悸がおさまらない。

 ここはどこだ。見回すと、板張りの剣道場かお堂のようなところにいるとわかった。

 服がじとりと身体に張り付いて気持ちが悪い。


 ――確か、あの時、蛙に首を絞められて……。

 それからの記憶がないが、おそらく湖に引きずり込まれたのではないか、と翔太は思った。

 生温く濡れた制服がそれを物語っている。


 それならば、ここはどこなのか。想像していたものとはかなり異なるが……。


「ここが……天国? それとも地獄………?」


「……てめえ、人んちを地獄呼ばわりするとは、いい度胸だな」

「うわあ、出た!! ごめんなさい!!」


 思わずがばりと土下座するが、その声には聞き覚えがあった。顔を上げると、その人物が懐かしく思えた。


「……ん? 昭彦?」

「そうだよ。せっかく人が親切に助けてやったってのに。死ね。くたばれ」

「……す、スイマセン……」


 翔太は安堵した。

 死ね、と言われたということは少なくとも自分はまだ生きているらしい。くたばれと罵られて安堵するなんて今後の人生一切ないに違いない。


 憮然とした表情で、なぜか黒の着流しを着て入口に立つ昭彦を見やる。


「……え? ここ、お前んちなの?」

「だからそうだって言ってるだろ。うちは寺なんだよ」


 めんどくさそうに昭彦は言った。


「あのさ、俺、なんでここにいるんだっけ」


 昭彦の冷たい視線が刺さる。翔太は今床にへたり込んでいるため、完全に見下ろされている形だ。


「……親父の知り合いが、湖のそばに倒れてるお前を見つけてここに連れてきたんだよ」

「あ、そうなんだ」

「そうだ。目が覚めたならすぐさま帰れと言いたいところだが、親父が風呂くらい入っていけとうるさいからな。さっさと風呂入って、とっとと帰ってくれ」

「は、ハイ……」


 なぜこんなにも嫌われているのか、と翔太はどうにも不思議だった。

 しかし言いごたえする理由も、気力もなく、よろよろと立ちあがり、風呂場を借りることにした。


「ああ、あと」

「……ん? 何?」


 ニヤリ顔をした昭彦が翔太の方を振り返った。


「お前、誰かに恨みでも買ってんのか? 首に痣、ついてるぜ」


 その上湖に突き落とされるなんてな、と昭彦はひどく愉快そうに声を上げて笑った。


 あの痣か、と翔太は苦々しい表情で首筋をさすった。

 一番自分を恨んでいそうなのは昭彦なのだが、翔太は何も言わず風呂場へ向かった。


 脱衣所で服を脱ぐと、ぎょっとした。

 首には昨日のうっすらとした帯状の痣はなく、代わりに人間の手でしめられたような痣が、くっきりと付いている。

 ――あの蛙のものか、それとも。


 背筋が寒くなり、あわてて翔太は風呂釜に浸かった。

 その温かい湯に、安堵のため息が出る。

 ……やっと、帰ってきた。


 湯につかりながら翔太は考えを巡らせた。

 あれが夢だったとは思えないのだが、どうしても現実とも思えない。


「そういえば、どうしたかな。あの子……」


 彼女のことだけが気がかりだった。


 翔太は、もう彼女が普通の人でないことは信じざるを得なかった。


 目を閉じれば、脳裏に赤い一つ目がはっきりと浮かぶ。

 ――彼女は、俺を殺すつもりだったのだろうか。


 しかし、自分が倒れかけたときの、彼女の心配そうな顔を思い出す。そのどこか悲しそうな表情も。


「ああ、もう!!」


 顔に熱い湯をばしゃりと掛けた。


「おい、風呂ぐらい静かに入りやがれ」


 戸の向こうから、昭彦のくぐもった声が聞こえた。


「今、お袋がお前の制服洗ってるから、これ着ろ。そして乾いたらとっとと帰れ。すぐさま帰れ」

「あ、わり。サンキューな」


 少し聞き取りにくいが、昭彦の口が悪いのはデフォルトだと翔太は思い、素直に礼を言う。


「……なぜ、帰ってきた」

「えー? 何、聞こえねえんだけど。もっかい言って」


 自分の声が風呂場に反響する。

 返事はなく、戸の前から人の気配が消えた。


「なんなんだよ……」


 気を取り直し、翔太は風呂に浸かり鼻歌を歌いはじめた。


 風呂からあがり、しばらくすると昭彦の母が乾いた制服を持ってやってきた。

 礼をいい、昭彦になにか言われないうちにと翔太は早々に鴨志田家を後にした。



 家に帰ると、翔太は熱を出し寝込んでしまった。

 どうやら一晩帰っていなかったようだが、昭彦の家に泊まったということにしておいた。


 寝込んでいる間は、あの赤い目や大きな蛙にうなされ、寝苦しい日々を過ごした。

 そして悪夢の最後には、彼女の寂しげな顔が浮かぶのだった。


 寝込んで三日目の朝、やっと熱が下がり翔太はリビングへと下りた。

 父も母も、神妙な顔をして新聞の小さな記事を見ている。


「ん、なに? どうしたの、二人して怖い顔して」

「それがね」


 みず江は頬に手をあてて溜息をついた。


「翔太と同じくらいの高校生が、行方不明になったって。ほら、あんたが鴨志田くんの家に泊まったっていう日から姿が見えないらしいのよ」

「夜遊びしている子だったらしいからな……。夜中に出歩いて、野犬にでも襲われたのかもしれないな」


 父も溜息をつき、新聞を閉じた。


「翔太も、泊まりに行くならちゃんと先に連絡しなさいよ。もうとやかく言う歳でもないけど、やっぱり母さんは心配よ」

「……うん、わかった。ごめん」


 その事件は、どこか翔太の心に引っかかったのだった。


 昭彦に話を聞きに行こう、と翔太は決意した。昭彦なら何か彼女について知っているかもしれない。


 まだ本調子ではないため、今日も学校を休んだ。

 放課まで待ち、翔太は昭彦の家へと向かった。


 昭彦の家を訪ねると、昭彦の母が玄関先に現れた。


「昭彦は今お堂の方にいるんじゃないかしら? 呼んできましょうか」

「あ、いえ。いいんです。そちらにお邪魔しますね」


 会釈して翔太はお堂へと向かった。


 お堂の中をのぞくと、着流し姿で胡坐をかく昭彦の後姿が見える。

 おずおずと、翔太はその後姿に近寄った。


「……昭彦」


 ゆっくりと振り返った昭彦は、露骨に嫌そうな顔をした。


「最近お前の顔を見ないで済んでせいせいしてたってのに……。人んちまできて、何の用だよ」

「それは悪うござんしたね。……ちょっと聞きたいことあんだよ」


 昭彦は片眉をあげた。


「あの鬼のことか?」

「う、うん……」


 翔太はまた、自分と彼女以外誰もいなかったあの日のことを思い浮かべる。


「それと、お前は信じないかもしれないけど、俺、この前変なところにいたみたいなんだよ」

「はあ」


 胡散臭そうに見やる昭彦にくじけそうになるが、翔太は意を決して言った。


「なんか、この町と同じなんだけど、同じじゃない……みたいな。うまく言えねえんだよ。でも、町の人も、動物も、誰もいなくて……」


 あの蛙はおそらく動物の類ではないだろう。


 しかし、自分は同級生に何おかしなことを言っているんだろう、と翔太は不安になってきた。

 頭がおかしくなったと思われるだろうか。

 そんな翔太の不安を知ってか知らずか、昭彦はふむ、と思案顔をした。


「……それは、鬼の棲む世界だな」

「へ?」


 まともに取り合ってもらえるとは思わず、翔太は素っ頓狂な声を出した。


「生けるものが棲む世界とは少しずれたところに、鬼の棲む世界があるという。この世界と酷似しているが、生きるものがいないんだ」

「ええと、あの世、ってやつ?」

「それとは違う。平行世界ってやつだろうな」


 昭彦は翔太を見て、意地悪く笑った。


「で? お前はそこへお招きいただいて、のこのこ帰ってきたのか?」

「ええと、そうみたい……」

「馬鹿か」


 冷たく言い放つ昭彦に、翔太はびくりとした。


「あの女とずっと一緒にいたいなら、そこへ行けばいいだろう」

「で、でも……! あ、あの世界だと、ふらふらしてまともじゃいられなかったよ」

「そりゃそうだ、生きるもののための世界じゃないからな」

「そ、そうか……」


 昭彦はゆっくりと翔太に歩み寄った。

 その目のあまりの冷たさに、翔太は後ずさりするが、壁に行く手を阻まれた。

 昭彦は翔太の胸倉をつかみ上げる。


「なら、死ねばいい」

「……えっ?」

「死ねば未来永劫、あの世界で鬼と一緒に面白おかしく過ごせるだろうよ!」


 あはははははは、と声高に笑う昭彦の目は正気ではなかった。

 翔太は、はじめてこの友人を恐ろしく思った。

 ――こいつは、俺を殺す気なのか?


 昭彦は、翔太の服をつかんだ腕を投げやりに振った。

 その勢いで翔太は床に身を投げ出される。


「あ、昭彦……」

「話はそれだけか?」

「え、と……」

「なら、とっとと帰ってくれ」


 昭彦は後ろを向き、翔太から離れた。


「待ってくれ、あとひとつだけ」

「……なんだよ」


 翔太は、唾をごくりと飲んだ。


「あの子は、本当に鬼なの? ……人間を食うの?」

「……言った通りだ。あとは、自分で判断しろよ」


 昭彦はそっぽを向いたまま、お堂の真ん中で座禅を組んだ。

 もう話は聞けそうにない、と翔太はお堂を後にした。

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