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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

私ははじめて自分の意思で人を救いました

作者: あほの佐藤
掲載日:2025/12/08




「――聖女は、人間性を削って人を癒します。

 そして、あなたの人間性の寿命は……残り、三ヶ月です」


 静まり返った聖堂に、神父の声が落ちた。


 祈りの香が満ちたその場所で、私は跪いたまま、ただ瞬きを一つした。


「……そう、ですか」


 驚きはなかった。

 恐怖も、悲嘆も、ほとんど湧かなかった。

 それどころか、胸に広がったのは、妙な“納得”だった。


「今代、四百六十五代目の聖女たるあなたは、人間性を対価に癒やしを行ってきました。

 それは肉体ではなく、魂の摩耗です。

 記憶、感情、欲求、執着……それらが少しずつ削れていく」


 自分がいつから“泣かなくなったのか”を思い出せなかった。

 いつから“何も欲しなくなったのか”も。


「三ヶ月後。

 あなたは“人としての死”を迎えます。

 肉体は生きていても、あなたの心は死ぬ。そして、類いまれなる癒やしの力は次代の聖女へと引き継がれる」


 それは、死刑宣告のようでいて、そうではなかった。


「――その三ヶ月間だけは、あなたは“自由”です」


 その言葉に、私はわずかに首を傾げた。


「……自由、とは?」

「もう、癒やしを行う義務も、祈る義務もありません。

 あなたはただの“人”として生きていいのです」


 神父は、慈悲深い言葉を選んだつもりなのだろう。

 だけど私には分からなかった。


「……それは、幸せなこと、なのでしょうか」


 神父は答えなかった。

 





★ ★ ★





「……私、死にたくない」


 その言葉が口から零れ落ちた瞬間、

 胸の奥に押し込めていた恐怖が、一気に溢れ出した。


「そうだよね」


 優しい声が、すぐ傍で返ってきた。


「でも、大丈夫だよセレン。君は、大丈夫だ」


 その言葉と同時に、私の身体を、温かな波動が包み込む。

 不安と死の恐怖が、少しだけ遠のいていく。


「大丈夫なわけ……ないじゃないですか、サリエル……」


 名を呼んだ瞬間、

 胸がぎゅっと締めつけられた。


 サリエル。

 パレイド王国公爵。

 この国で、唯一――私を“聖女”ではなく、“一人の人間”として見てくれる存在。


 彼の手が、そっと私の頭に触れる。

 撫でる仕草は不器用で、けれど、ひどく優しかった。


「君には、俺がついてる」


 その一言だけで、私の世界から色が戻る。


 筋肉質な胸に顔を埋めると、そこには確かに“人の鼓動”があった。


 それだけでよかった。それだけが、現実だった。


「……怖いんです……サリエル……」


 聖女としての仮面が、音を立てて崩れていく。


 強くあらねばならない自分。

 優しくあらねばならない自分。

 誰よりも清らかであらねばならない自分。


 そのすべてを、今この瞬間だけ、投げ捨てた。


「私はまだ……自分の人生を生きたことが、ないのに……」


 涙が止まらなかった。

 子供のように嗚咽し、縋りつく。


「あと三か月しかないなんて……そんなの……たった三か月で、何が……」


 答えのない問いを、何度も投げつける。


「誰も……誰も、聖女なんてなりたくてなったわけじゃない……!!」


 それは、決して口に出してはいけない本音だった。


 だが、サリエルは、そのすべてを否定しなかった。


「……意味のない人生なんかじゃない」


 静かで、強い声だった。


「セレンの苦しみを、全部理解することは俺にはできない。……けど」


 彼は私を抱き締めた。

 逃げ場のないほど、強く。


「君が、どれだけの人間を救ってきたか、俺は全部見てきた。君は……偉い。誰よりも、頑張った」


 その言葉は、呪いのように甘かった。

 否定され続けてきた“自分の存在”が、初めて肯定される。


「……サリエルが……私を助けてください……」


 自分でも分かるほど、壊れた声だった。

 だがサリエルは、迷わず答えた。


「もちろんだ。公爵としてじゃない」


 額に、口づける。


「――君を愛する一人の男として、誓う」







★ ★ ★






 馬車は揺れながら、王都から離れていった。


 窓の外には、見慣れた石畳も、高い城壁もない。ただ、どこまでも続く草原と、低い雲だけが広がっている。


「……どこへ行くんですか」


 尋ねると、サリエルは手綱を握ったまま、前を向いて答えた。


「君の人生が無駄じゃないって、教えてくれる場所だ」

「……?」


 意味が分からず首を傾げると、サリエルは小さく笑った。


「昔、君が救った村だ。

 でもな、あそこでの“聖女”の役目は終わってる」


「そう……ですね、もう私は聖女ではなくなりました」


「ああ。だから今日は、癒やしは一切しない。

 ただ、君自身のために行く」


 その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。


 聖女が村に行く理由は、ただ一つだ。

 “誰かを癒やすため”。

 それ以外に意味などないと、ずっと思っていた。


 なのに――


「……私の、ため……」


 その言葉が、胸の奥で不思議な音を立てた。


 馬車が止まったのは、小さな村の入口だった。

 石ではなく木で作られた柵。

 畑と、低い家屋と、煙突から上る白い煙。


 懐かしい匂いがした。


「あ……」


 思わず、声が漏れる。


 この村に来たのは、三年前。

 疫病で十数人が倒れ、村が壊滅しかけた時だった。


 私は、そこで五人を救った。

 視力も、片腕も、内臓も――



「……あの時の、村……」


 サリエルは、ゆっくりと頷いた。


「覚えてるか。すごいな」


「……顔は、もう……」


 正直に答えると、サリエルは何も言わなかった。


 村に入った瞬間、子どもの声が響いた。


「……あ!」


「聖女さま……?」


「聖女さまだ!」


 走ってきた子どもたちは、私を見るなり、足を止めた。


 だが――

 跪かなかった。

 泣きもしなかった。


 代わりに、一人の少女が、戸惑いながら言った。


「……今日は、誰か……死ぬの?」


 胸が、ひくりと鳴った。


「……え?」


 サリエルが、前に出る。


「今日は違う。

 癒やしはしない。誰も死なない」


 少女は、それでも不安そうに空を見上げていたが、やがて静かに頷いた。


 村の奥から、数人の大人が歩いてくる。

 その中の一人の男を見た瞬間、心臓が跳ねた。


「あ……」


 彼は、両目でこちらを見ていた。

 三年前、両目とも潰れていた男だった。


「……聖女さま」


 男は、深く頭を下げた。


 だが、その声は震えていなかった。

 祈りでも、哀願でもない、ただの人の声だった。


「お久しぶりです。

 俺……見えるようになってから、鍛冶屋に戻れました」


 そう言って、分厚い手を見せる。

 焼けた鉄の匂いがする、本物の労働の手だった。


 次に出てきたのは、若い女性。


「私、あの時……肺が潰れて……」


「……覚えて、ます……」


 口が、勝手に動いた。


 顔は、曖昧だった。

 だが、“死にかけていた命”だけは覚えている。


「今は、子どもも産めました」


 女性は、少し照れたように言った。


 さらに、片腕だった青年。

 内臓をやられていた老人。


 彼らは皆、

 “治った後の人生”を、普通に生きていた。



「……私は……」


 声が、震えた。


「……私は……癒やしただけで……」


「違う。君は、“彼らの未来”を作った」


 その言葉を、セレンは理解できなかった。


 だが――

 胸が、痛いほど締めつけられた。


 そして、なぜか、目が滲んだ。

 自分が泣いているのかどうかも、分からなかった。









 夜、村は小さな宴になった。


 特別な料理はない。

 豪華な酒もない。


 だが、笑い声だけは、確かにそこにあった。


 セレンの前に、木の皿が置かれる。


「……食べてください。

 今日だけは、聖女じゃなくて……お客さんですから」


 その言葉に、セレンは戸惑った。


「……いいの、ですか」


「もちろん」


 恐る恐る、貰ったパンを口に運ぶ。


 噛む。


「……おいしい……」


 ぽつりと漏れた言葉に、村人たちが笑う。


 ……私が嬉しい事を、喜んでくれる人がいる。


「聖女様! これ、焼けました!」

「公爵様も、どうぞ!」


 あちこちから、無邪気な声が飛んでくる。


 セレンの膝の上には、あの盲目だった少女が乗っていた。


「セレンさま、星……きれい……!」


 小さな指が、夜空を指差す。

 初めて見る星に、瞳を輝かせて。


「ええ、きれいですね……」


 ――自分は、この光景の中にいていい。


 そう、初めて思えた瞬間だった。









 村人が片付けを始めた頃、ふと隣を見る。


 サリエルが、焚き火の向こうで、こちらを見ていた。

 視線が合うと、彼は少しだけ、笑う。


 その笑顔は、奇妙なほど、穏やかだった。


「……私。今日……初めて……」


「うん」


「……“救った”って、言われて……

 少しだけ、嬉しかったです……」


 たき火を見ていたサリエルの目が、私の方に向いた。


「……でも……それって……

 聖女として、どうなんでしょうか……」


「どうして」


「だって……私は……“人を癒やすことを当たり前だと思う”べきなのに……」


 バチバチと焚き火の音が鳴り響く。


「なぁ、セレン」


「……はい」


「君は、“聖女になる前”に何をしてた」


 私は答えに詰まった。


「……覚えて……いません……」


「だろうな。人間性を人に分け与えてきた影響か……」


 サリエルは、苦笑した。


「じゃあ、今から作ればいい。

 “聖女じゃないセレン”を」


 その言葉が、心の奥に深く沈んだ。


 怖かった。


 でも、なぜか離れたくないと思った。


 焚き火の熱と、サリエルの隣の温度が、同じくらいに感じられた。


 気づかないうちに、彼の袖を、そっと掴んでいた。


 “この人がいなければ生きられない”。


 ……そんな気がした。







★ ★ ★






 それからは、残り僅かな人間性が零れ落ちていくを感じる日々だった。



 母の顔が、思い出せなくなった。



 記憶が、感情が、過去が、存在が、雪のように溶けていく。


 祈りの言葉を忘れた。

 

 聖女になった理由を忘れた。


 サリエルと出会った日のことも、もう曖昧だった。


 それでも――

 「この人を守りたい」という感情だけが、異様なほど、強く、くっきりと残っていた。


 聖女じゃ無い私を、誰よりも愛してくれているから、好きだと思ったのかな。


 好き。


 それが、“何に由来する想いなのか”すら、

 もう分からない。







★ ★ ★







 夜は、静かすぎるほど静かだった。

 虫の音だけが一定の間隔で鳴いている。


 私は、客間の寝台の端に腰かけたまま、膝の上で指を絡めていた。


「……もう、今日で……終わりなんですよね」


 部屋の入口に立っていたサリエルが、扉にもたれて小さく頷く。


「ああ」


 それ以上、言葉は続かなかった。


「……明日の朝には……私は……きっと“私じゃなくなる”。分かるんです」


 言葉にした瞬間、胸の奥が、ひり、と痛んだ。


「……怖い、です」


 二人の肩が、触れるか触れないかの距離。


「……怖いって言えるようになったんだな」


「……はい……」


「それだけで、少しは生きたって言える」


 小さく首を振った。


「……私、生きたなんて言えません……ずっと……誰かのために使われて……自分で選んだことなんて……一度も……」


 声が、途中でかすれた。


「……本当は……どう生きたいのかも……分かりません……」


 サリエルは、暖炉の残り火を見つめながら、ぽつりと言った。


「それでも、いい」


「……え……?」


「生き方なんて、分からないままでもいい。

 分からないって思えるのは――

 生きたいってことだからな」


 胸が、ぎゅっと締めつけられた。


「……サリエルは……」


「ん?」


「……私が……いなくなっても……平気……ですか……」


 サリエルは、少しだけ目を伏せた。


「平気なわけないだろ」


 その言葉に、セレンの呼吸が止まる。


「……だったら……」


「それでも、前に進むだけだ」


 優しい声だった。

 だからこそ、余計に苦しかった。


 そっとサリエルの袖を掴んだ。


「……一緒に……朝を迎えたかったです……」


 サリエルは、その手を振りほどかなかった。


「迎えられるさ」


「……本当ですか……」


「ああ」


 その声は、どこか“言い切り”のようにも、“願い”のようにも聞こえた。


「……じゃあ……」


 私は、小さく息を吸った。


「……明日……私が私のままだったら……また……一緒に……歩いてくれますか……」


 サリエルは、ほんの一瞬だけ間を置いて、微笑んだ。


「ああ。約束する」


 それは、あまりにも穏やかな約束だった。


 私は横になる。


 怖いはずなのに、胸の奥が、静かにあたたかかった。


「セレン。……一つだけ、願いを聞いてくれるか」


「願い……?」




「明日、もし……何があっても」



 私の手を、両手で包み込む。




「※※※※※」




 その言葉に、嫌な予感が走った。


「……何を、言ってるんですか……」


「君は、何も間違ってない

 救いたいと思った気持ちも、逃げたくなかった気持ちも……全部、正しい」


 思わず、彼に縋りついた。


「……サリエル……」


 その夜。

 二人は、言葉少なに、互いの存在だけを、確かめ合って眠った。








★ ★ ★









 ――夜が、明けた。


「……あ……」


 最初に感じたのは、冷たさだった。


 隣にあるはずの体温が、どこにもない。




 寝台から起き上がり、隣を見る。


 そこにあったのは――

 動かない身体だった。


「……え……?」


 揺すっても、呼んでも、何も返らない。


「……や、やだ……」


 指先が、冷たい。


 胸に耳を当てる。


 ――音が、しない。


「……うそ……」






「……死んでる」







「でも……この人……」








「誰だっけ……?」






★ ★ ★








「……セレン」


 低く、抑えた声。

 教会の中、神父が立っていた。


 いつもの穏やかな表情ではない。


「……どうして……あの人は……」


 神父は私の話を聞いて、ゆっくりと頷く。


「……あなたは、“生きています”」


「……?」


「それが、答えです」


 意味が、理解できなかった。


「……何を……言ってるんですか……」


 神父は、目を閉じる。


「本来、今日の朝、この場所で動かなくなっているはずだったのはサリエルではなく、“あなた”だったのです」


 思考が止まる。


「……どういう、ことですか……?」


 神父は、重い声で続けた。


「あなたの“人間性”の寿命は、昨夜で尽きていました。それは、神の帳簿にも、はっきりと刻まれていた」


「……じゃあ……私は……」


「ええ。本来なら、あなたは目覚めることなく、“人としての死”を迎えていた」


 視界が、歪む。


「……じゃあ……なんで……私は……」


 神父は、サリエルの亡骸を一瞥した。


「……彼が、あなたの代わりに“支払った”からです」


 心臓が、強く跳ねた。


「……支払う……?」


「彼は、自分の“人間性”すべてを使って、あなたの寿命を延ばしました」


「……そんな……」


「通常なら、他人の寿命を延ばすほどの“人間性”の移譲は不可能です。ですが……」


 神父は、静かに告げる。


「彼は、“人として生きること”を、最初から捨てていた」


 喉から、息が抜ける音がした。


「……じゃあ……昨日の夜……」


「あなたが眠っている間に、彼は“すべて”を終わらせたのでしょう」



 あの、名前がぼんやりとしか思い出せない人。


 あの、約束。


 あの、穏やかな声。


 あの、「迎えられるさ」という言葉。


 すべてが、最初から“別れの言葉”だった。



「……そんな……何も……聞いてない……」


「……ああ。彼は、あなたに何も知らせなかった」


「……ひどい……」


 涙が、溢れ出した。


「……一人で……全部……決めて……」


 神父は、静かに言った。


「それが、彼の……サリエルの“選択”だった」


 私は、声を上げて子供みたいに泣くしかなかった。


 自分が生きている理由が、

 自分の知らないところで、誰かの“全人生”と引き換えだったなど受け入れられるはずがない。









★ ★ ★







 葬儀は、静かに執り行われた。


 亡くなった男は、

 名も、身分も、記録も――

 すべて、村人たちが語るだけの存在だった。


 公爵。

 英雄。

 聖女の守り手。


 けれど。


 私の中には、

 そのどれ一つとして、実感が存在しなかった。


 ただ――


 棺に納められたその顔を見た瞬間、

 なぜか、呼吸が止まりそうになる。


 理由は、分からない。


 分からないのに。


 えぐられたように、心が痛かった。







「……聖女様」


 村長が、恐る恐る声をかける。


「このたびは……その……」


「……?」


 私は、首を傾げた。


 “なぜ、こんなにも、皆が悲しんでいるのか”

 それが、分からなかったから。


「……あの方は、聖女様の……」


 その言葉が、

 最後まで語られることはなかった。



「……やめてください!!!」



 自分でも理由が分からないまま、

 私は村長を突き放していた。


「それ以上、聞きたくないです……」


 村人たちは、息を呑んでるのが分かる。

 空気が、凍りつく。



 だけど、誰も私を責めなかった。






 サリエルの遺体が葬られていく。


 誰の目にも「尊い犠牲」として扱われながら。


 私は、その様子を、ただ呆然と眺めていた。



「……あなたは、生き残られた。それだけで、奇跡なのです」



 村長の呟いた、微かに歓喜の混ざった声に、私は何も答えられなかった。


 “生き残った”。


 その言葉が、喉に刺さる。


 それは祝福の言葉のはずなのに、

 私には――呪いにしか聞こえなかった。





 その日、国中に知らせが走った。


『聖女セレン、生存』

『護衛サリエル、殉職』

『聖女の寿命は奇跡的に延長された』


 国は、歓声に包まれた。



「よかった……!」

「聖女様は、まだ生きてくださる……!」

「これで、また多くの人が救われる……!」



 人々は、泣いて、祈って、空を仰いだ。


 私の知らないところで、私の“延命”は、祝祭に変わっていった。







★ ★ ★






 その夜は一睡もできなかった。


 目を閉じるたび、

 何かが、喉元まで迫ってくる。


 名前の無い誰か。

 思い出せない誰か。

 でも、確かに――


 「この世界で一番、自分を必要としていた誰か」。


 その幻影だけが、

 何度も、何度も、胸を締めつける。


「……寒い」


 意味もなく、そう呟いた。






★ ★ ★






 翌日。


 私は一つの“禁忌”を知った。


 ――人間性は、与えるだけのものではない。

 ――“回収”することも、理論上は可能である。


 神父の言葉だった。


「……回収、ですか?」


「ああ。だが、それは決して行ってはならぬ所業だ」


 神父の顔から、血の気が引いている。


「人に譲渡した人間性が回収されれば、その者の傷は“元の状態”へ戻る。

 失った腕は戻らぬ。

 潰れた臓器は、蘇らぬ。

 そして……多くは、死ぬ」


「……」


「聖女よ。それは“救済の否定”だ。

 君のこれまでの功績、そのすべてを、君自身が踏みにじる行為だ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 胸の奥でずっと空白だった部分が、かすかに軋んだ。


「……でも」


 声が、震える。


「もし……全部、集めたら……どうなりますか」


 神父の顔が、完全に凍りついた。


「……まあ、それだけあれば人間の蘇生すら可能だろうな」




 沈黙。




「……蘇生、する気か……?」





 理屈ではなかった。


 誰を。

 何を。

 なぜ。


 何一つ、分からない。


 分からないのに。


 ――「誰かを、取り戻さなければならない」。


 その衝動だけが、

 理不尽なほど、強く、体を突き動かす。


「……私、旅に出ます」


 私の様子に神父が何か言っているが、聞く耳を持つ気にもなれなかった。








★ ★ ★






 夜の街は、思った以上に冷たかった。


 背後では、まだ教会の警鐘が微かに響いている。

 追手が動いているみたいだった。


 それでも、立ち止まらなかった。




 目指すのは、最初の“回収対象”がいる街。


 そこは、三年前に私が癒やした街だった。


 疫病で半分が死にかけ、生き残った人々も、骨と皮だけになっていた場所。


 私はそこで、一晩で三十人を救っている。


 ――もちろん、その代償として多くの記憶と感情の一部を失った。


 その街に、最初の“返済”に行く。


「……お願い……」


 街の門が見えた瞬間、小さく息を整えた。


「……今度は、私が奪う番……」



 路地裏の簡素な家の前で立ち止まる。ここに住んでいるのは――


 三年前、疫病で内臓が腐りかけていた青年。


「……ここ……」


 扉を、叩く。


 反応がない。


 もう一度。


 すると、中から微かな足音がした。


 扉が、ゆっくりと開く。


「……誰――」


 青年は、私の姿を見た瞬間、目を大きく見開いた。


「……せ、聖女様……!?」


 震えた声。


 顔色は健康そのもの。

 しっかりと立ち、しっかりと呼吸している。


 ――三年前には、考えられなかった光景。



「……生きてて、良かったですね……」



 そう微笑った。


 青年は、涙ぐみながら言った。


「はい……!

 あなたのおかげで……っ!」


 その言葉が、刃物のように胸に刺さる。



「……あの時……内臓まで、全部……治しましたよね……」


「……はい……」



「……その時に、渡した“人間性”……」



 静かに、一歩踏み出した。




「……返して、もらえますか……?」




 青年の顔が、理解できないというように歪んだ。


「……え……?」


 次の瞬間。


 手から、淡い光が溢れ出す。


 ――癒やしの光とは、逆向きの輝き。



「……ッ……!?」




 青年の体が、内側から崩れ落ちる。


 健康だった肉体が、一瞬で、三年前の“死にかけ”へと戻っていく。


「……あ、が……っ……」


 喉から、血の混じった音が漏れた。


「……ごめんなさい……」


 泣きながら、光を止めなかった。


「……でも……必要なんです……」


 やがて。


 青年は、崩れ落ちた。


 ――再び、救われなかった未来へ戻されて。


 胸の奥に、何かが流れ込んでくる。


 温度。

 痛み。

 後悔。

 他人の“人生の一部”。


「……これで……一人目……」


 震える声で、数を数えた。






「二人」





「……十人」





「……三十人」





 去り際、誰かの視線を感じた。



「……聖女、様……?」


 振り返って、善良な市民と目が合う。


 その目に浮かんでいたのは、尊敬でも、感謝でもなく。



 恐怖と、憎悪。



 何も言えなかった。


 ただ、

 その場から、逃げるしかなかった。


 夜明けの街を私は走った。


 胸が、張り裂けそうだった。


 でも。



「……これで……一歩……」



「……あの人に……近づいた……」






★ ★ ★






 次の回収地は、山間の鉱業都市グラニスだった。


 石と鉄の匂いが常に空気に混じる街。

 重労働による負傷者が絶えず、

 十年前、この街は“聖女に救われた街”として名を残した。


 癒やした命は、四十。


 いずれも、

 落盤、内臓破裂、四肢欠損――

 本来なら即死レベルの怪我だった者たち。






 街に入った瞬間。


 空気があからさまに敵意を帯びた。


 人々は、通りすがりに目を伏せなかった。


 睨み、

 呟き、

 唾を吐く。


「……あれが、聖女だ」


「命を返せって言ってる、噂の……」


「ふざけるなよ……!」


 私は、フードを深くかぶる。


 だが、視線は突き刺さるように追ってきた。


 最初の家に着く前に、すでに“それ”は始まっていた。


「止まれ」


 十数人の鉱夫たちが、通りを塞いだ。


 全員、片腕が義肢だったり、片足を引きずっていたり、胸元に不自然な縫合跡が残っている。

 全員、私が救った人間だった。


「……お前が、聖女か」


 先頭の男が、低く言う。


「俺たちは、全部、知ってる」


「人間性の回収だのと……

 ふざけた話をよ」


 男は、地面に唾を吐いた。


「――俺たちは、返さねぇ」


「……お願いします」


 一歩、前に出た。


「それは……あなたが、生きるための命じゃない……私の……あの人が生きるために――」


 言いかけて、私ははっとする。


 今、私は“奪う正当化”をしようとした?


「……違う」


 声が、震えた。


「私は……悪いことをしてるのは、分かってます……」



 次の瞬間。


 石が飛んだ。


 額をかすめ、血が流れる。



「帰れ!!!」

「これ以上、誰も殺すな!!!」

「聖女だか悪魔だか知らねぇがもう、俺たちは犠牲にならねぇ!!!」


 怒号が、雨のように降り注ぐ。


 誰かが、叫んだ。


「――殺せ!!!」


 その一言で、全員の理性が完全に壊れた。


 鉄パイプ、つるはし、鉈。

 鉱夫たちが、一斉に踏み込んでくる。



「……私は……」


 足が、すくむ。


 逃げられない。


 祈ることも、できない。






 その瞬間、誰かが私を突き飛ばした。




 鉄の棒が、空を裂いた。


 もし、あれが当たっていたら頭は確実に潰れていた。


 助けたのは、義足の少年?


 年の頃は、十五くらい。


 私が……五年前に両足を癒やした少年?



「……逃げて」



 少年は、震えながら言った。


「あなたが悪いのは、分かってる」

「でも……それでも……」


 必死に歯を食いしばる。


「それでも……

 僕は……生きてて欲しい、聖女様に……」


 その言葉で、鉱夫たちの怒りは“殺意”に変わった。


「裏切り者!!!」


「こいつも殺せ!!!」


 その瞬間、私は呟いた。


「――回収、します」


 私は震える手で祈った。



 四十人分の命。



 一斉回収。



 それは――

 癒やしではなく、“虐殺”だった。



 悲鳴が、重なった。


 腕が、砕ける。

 胸が、潰れる。

 脳が、出血する。

 心臓が、止まる。

 叫びが、途切れる。


 数分後。


 通りには、動かない肉の山が四十積み上がっていた。



 少年だけが、残った。


 彼だけは、“回収対象外”だったから。


「……」


 この少年だけ自分のエゴで生かして。

 ……一体私は何がしたいのか。





 私は、そこに立ち尽くしていた。


 血の匂いに、

 吐き気が、込み上げる。



「……私……正しいこと、してるんですか……」


「それは……」



 少年は、答えてくれなかった。







 その夜。


 初めて自分から“死にたい”と願った。


 でも、その逃げ道の先に彼はいなかった。







★ ★ ★








 次の街は、霧に包まれた水都リュネ

 川と橋で構成された、静かな交易都市だった。


 ここで私が救ったのは、七人。


 溺死寸前、毒殺未遂、自害未遂。

 いずれも「生きたいと願えなくなった人間」ばかりだった。




 最初の対象は、

 川沿いの宿屋で働く女だった。


 二十代半ば。

 薬で何度も自殺未遂を繰り返し、最後に川へ飛び込んだところを私が癒やして救った。



 部屋の扉を叩く。



 返事がない。


 鍵を壊して入ると、中は静かだった。



 そして、女は天井から“ぶら下がっていた”。



 縄が、きし、と鳴る。


 紫色の舌。

 突き出た眼球。

 床に散らばった、薬の空瓶。


「……あ……」


 喉から、空気の抜けた音が漏れた。



「……回収……」


 ――違う。


 これは、回収じゃない。

 “間に合わなかっただけ”。


 次の対象も、同じだった。


 川に浮かぶ、女性の遺体

 服毒して冷たくなった老人

 手首を切って血が干上がった青年


 私が来る前に、彼らは自分で命を“返して”しまった。


「……みんな……

 もう、生きる意味を失っていたんですか……」


 震える声で尋ねても、何も返ってこない。


「違う……私が救ってしまったから……」


 声が、掠れる。


「私は……“生かして、殺した”ってことですか……」


 この町の回収対象は一人を残して、すでに自ら死んでいた。。


 最後の一人の男は、私の手を見て、笑った。


「……やっと、終われるんだ」


 その声は、救済を受け入れる殉教者のようだった。




 回収が終わった後。


 私は川のほとりで、動けなくなっていた。


 水面に映る自分の顔が、知らない人間のように見えた。



「……サリエル……」


 かろうじて思い出せた名前を呼ぶ。


 返事はない。







★ ★ ★








 その村は、地図にもほとんど載らないほど小さな場所だった。


 森に囲まれ、

 交易路からも外れ、戦争とも、疫病とも、遠い静かな村。


 子供たちが笑い、大人たちが酒を酌み交わし、誰もが私を「聖女」ではなく、「セレン」として迎えた場所。

 そして、サリエルと最後に“穏やかな時間”を過ごした村。


 村の入り口に立った瞬間、私の足は震えて止まった。



「……ここだけは……」



 逃げたかった。


 この村だけは、

 最後まで“思い出のまま”にしておきたかった。



 だけど、サリエルを蘇らせるために必要な“人間性”は未だ足りない。



「……ごめんなさい……」



 私はフードを外し、そのまま村へと足を踏み入れた。



「……せいじょさま……?」


 最初に彼女に気づいたのは、

 村長の娘だった。


「……どうして……こんなところに……?」


 その瞬間、

 村の空気が、凍りつく。


「……嘘だ……」


「……偽聖女……?」


「……人を、殺すって……」


 ヒソヒソと、声が広がる。


 それでも――


 村長だけは、震える足で私の前に立った。


「……それでも……お前は、わしらを救ってくれた……」


 その言葉に、胸がぎりと軋んだ。


「……ええ……だから……」



「……返してください……」


 最初に回収したのは、足を失っていた少年だった。

 あの日、事故で砕け散ったはずの脚を、私は確かに治した。


「……嫌だ……」


 少年は、泣きながら後ずさる。


「……また……歩けなくなるの……?」


「……ごめんね……」


 光が、逆流する。


 次の瞬間、少年は地面に崩れ落ちた。

 脚は、“失ったままの形”に戻っていた。


「ぁああああああ!!!」


 母親の悲鳴が、村に響き渡る。


 二人目は、疫病で肺を焼かれていた老婆。


 三人目は、内臓が潰れていた青年。


 四人目は、顔を失っていた娘。


 ひとり、またひとり。


 “救われなかった未来”が、次々に、この村に戻されていく。


「……なんでだ……」


「……なんで……聖女が……」


「……返せ……返せ……!」


 思い出が、敵になっていく。



 村長が杖をつきながら、静かに手を差し出す。


「……わかっておる……わしの番、なんじゃろう」


「……」


「……お前が来た日……わしは、もう死んどった……」


 村長の胸には、いつの日か私が癒やした“致命傷”の痕がある。


「……それでもな……わしは……あの時間を……後悔しとらん……」


 そう言って、微笑った。


「……お前たち二人が……本当に、幸せそうに笑っとったからな……」



「……やめて……ください……」


 この老人の言葉を止めないと、壊れてしまう。



「……良いんじゃ……」


 村長は、胸を張る。


「……蘇らせてやれ……あの、不器用な男を……」


 セレンの手から、震える光が溢れた。


「……ごめんなさい……本当に……ごめんなさい……」


 光が、逆流する。


 村長は、静かに倒れた。


 私の中に、温かい人間性が流れ込んだ。




 村は、完全に沈黙した。





「……もっと……」



 呟いた声は、本当に私のものだろうか。





「……もっと……もっと欲しいの、人間性が……」



「あの人の……言葉、未だ思い出せなくて……」






 その瞬間


「……あ……?」


 胸の奥に、熱いものが広がる。


 振り返ると、そこには、かつて救った青年が立っていた。


「……返せ……」


 歪んだ目で、震える手で、刃を握ったまま。


「……全部……返せ……」


 私は、ゆっくりと崩れ落ちた。


「ごめんなさい」


 どの口で謝っているのか、分からない。


「……それでも……私は……」


 血に濡れて、やっと皆と同じ立場になれた気がした。

 温かい鮮血に、安心感に包まれる。



「……あの人を……救わないと、いけないから……」








★ ★ ★







 地面に倒れ、視界が横倒しになる。

 空はやけに青くて、その青さが、ひどく遠かった。


「……あ……」


 息が、うまく吸えない。


 胸の奥から、熱と、冷たさと、赤いものが一緒にあふれていく。


 刺した青年は、もうそこにいなかった。


 逃げたのか、倒れたのか、もうどうでもよかった。



「……まだ足りない……のに……」



 震える声で、呟く。


 あれだけの人間性を、あれだけの人生を、あれだけの地獄を。

 すべて集めてきた。


 サリエルを生き返らせるだけの“量”は、足りているのだろうか。


「……蘇生、試さなきゃ……」


 でも、もう動けない。


 指先一つ、

 言葉一つ、

 命一つ。


――足りなくなる。


 意識が、ゆっくりと沈んでいく。


 その中で、声が聞こえた。


『……やっぱり、こうなったか……』


「……え……?」


 懐かしい声。


 忘れたはずの声。


 忘れたくなかった声。


『……本当に、無茶ばかりだな……君は……』


 暗闇の向こうに、彼は立っていた。


 生きていた頃と変わらない姿で。

 優しく、困ったように微笑って。


「……サ……リエ……ル……?」


 喉が震え、

 名前が、かすれて落ちる。


「……やっと……会えた……」


 涙が、頬を伝う。


『……会えた、じゃない』


 サリエルは、そっと首を振った。


『……君は、最初から俺の隣にいた』


「……それでも……」



「……私は……あなたを……失ったままだった……」


 サリエルの表情が、少しだけ曇る。


『……だから、言っただろう……』


 彼は、静かに言った。


『……俺を、生き返らせようなんて考えるな……』


 その言葉で、すべてを思い出した。


 あの、最後の夜。


 あの、抱きしめられたまま聞いた“最後の言葉”。



『……君は、自由に生きろ……』


『……誰かのためじゃなく……』


『……聖女としてでもなく……』


『……ただ、セレンとして……』


『……それだけで、いい……』




「……思い出せた……!!」


 胸の奥が、音を立てて壊れた。


「……それ、でも……」


 私は、血に濡れた口元で笑顔になる。


「……私は……あなたを……救いたかった……」


「……あなたが……私を……救ってくれたように……」



 目の前のサリエルは、目を伏せる。


『……それは……』



「……私の、エゴでも……」


「……間違っていても……」



 セレンは、最後の力で言った。



「……私は……あなたと……生きたかった……」



 沈黙。


 そして、

 小さな、ため息。





 最後に見えた光景は、確かに“彼”だった。


 それだけで、

 全部が、報われた気がした。



「……よかっ……た……」


 声にならない声で、笑った。




「私の何もかもあげるから……サリエルを、生き返らせて……」




 私の言葉を合図に、体中の人間性が暴れ出す。




 意識が消える、その直前。


 私は、心の底から言った。




「……私は……はじめて……」





「……自分の、意志で……」





「……人を……救いました……」





 その言葉を、

 サリエルは、確かに聞いているはずだ。






















★ ★ ★





 後に。


 教会は、“聖女の消滅”をもってこの一件を封印し、“蘇生の奇跡”は公式には存在しないものとされた。


 だが、ただ一人。


 パレイド王国の公爵サリエルだけは、そのすべてを否定した。


 彼は、生き続ける。


 あの少女が、命と引き換えにくれた“生”そのものとして。



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