第十七話 政略結婚
【ミリアーナ・ベル・クレッセント】
国を守る不老不死の聖女。
蜂蜜色の髪に空色のインナーカラー、桃色と空色のオッドアイを持つ美少女。
【レアンドロ・タリアーニ】
時の悪魔と契約した公爵。
金髪に翡翠色の瞳。
【アルベルト・クレッセド】
新・皇帝の一人息子であり、レアンドロの乳兄弟。
黒髪に青い目の少年。
【アルフォード・クレッセド】
新・皇帝陛下。
アルベルトの父。
【エドワード・クレッセド】
皇帝陛下を退き引退した。
アルベルトの祖父であり、アルフォードの父。
【ベアトリス・タリアーニ】
レアンドロの母で、元伯爵令嬢。
金髪に紫目の才女。
そんな仲の良い嫁姑争いがありつつも、結婚式の準備は滞りなく勧められた。大神殿で話をしている間に、実はブーケの色やら布地やら、結婚式の飾りつけに対する話し合いは終わっていたというのだから腹が立つ。あの会話でベアトリスが言った物は、すでに大神殿でミリアーナが選んだものだったのだ。その後もいたって仲良く話し合いは進み、挙式は3か月後に行われた。
会場は大神殿と皇城。今までにない盛大な結婚式に、国中が湧きたった。ここまでくると、反対する人間はいない。近隣諸国の代表も集まり、この国のより良い発展を願い祝った。
その日の夜。いわゆる初夜であったが、神殿からはそれだけは行うなとの警告があった。聖女様は神の使いであり清らかな乙女でなくてはならない。そんな彼女が体の関係を持つなどありえないというのだ。
「冷静に考えると、馬鹿馬鹿しい話よね」
二人の寝室には、約束のためベッドが二つある。その内の一つに腰かけて、ミリアーナはグラスの縁を細い指で撫でた。
「神殿で働く者達の中には既婚者もいるのよ? それが私だけ許さないだなんて抗議するの。変でしょう?」
「……まあ、建前は大事なんだろ。このベッドみたいに」
ベッドが二つあるだけで、結局監視するわけではない。その対応は何とも適当だ。
「じゃあ、どうせ建前なんだからって同じベッドで寝る?」
ミリアーナの言葉に、思わずレアンドロはワインを吹き出す。咳込む彼に、ミリアーナはハンカチを手渡した。
「……冗談よ。まあ、あなたが正常な男性のようで安心したわ。悪魔と契約してるってところ以外」
「自分を狙ってるって分かってる相手に、そんな冗談言うもんじゃないだろ」
「ベアトリスと関わってて思ったけれど、なんだか可愛くってね。あなたが狼狽えてるの」
さらっと言われる言葉に、レアンドロは喉を鳴らす。ミリアーナの服は初夜のための煽情的なものではないが、十分に薄手で体の線が出ている。揺れる髪に見え隠れする鎖骨を、レアンドロは横目で眺めた。
「顔が赤いけど、酔ってるの?」
「俺は酔わない」
「奇遇ね。私も体質的に酔わないの。もしかして、ワインよりもぶどうジュースを用意した方が、美味しかったんじゃないかしら?」
甘いもの好きなミリアーナが呟くと、レアンドロは同意するように頷いた。
「あ、そうだ。用意したものがあるの」
ふとミリアーナは立ち上がり、ドレッサーの引き出しを開ける。中には二枚の紙が入っていた。
「契約書よ。私達は契約結婚のようなものだし、色々と決めておこうかと思って」
そう言いながら、ミリアーナはペンを握った。一つ目の項目に、『体の関係は持たない』と記入する。
「それは形式上なんじゃなかったのか」
「……もしかして、希望は少し欲しい?」
レアンドロの気持ちを察し、『お互いが許可するまでは』と前の方に付け足した。それを見てミリアーナは頷く。それを確認されるということは、端から希望なんてないのだろうとレアンドロはため息をついた。どんなに好きでも、嫌がる彼女に手を出せるほど無鉄砲ではない。悪魔が欲望を搔き立てようと体の中で暴れている気がするが、レアンドロはワインを飲んで無視をした。
「後はそうね。過去を詮索しない、とか?」
「聖女になる前の?」
「私の場合はそうね。レアンドロなら、悪魔と契約する前や、時を逆行して変えたこととか」
自分の過去を思い出し、レアンドロは頷く。ミリアーナ自身、自分がいずれ死ぬなど全く予想していないし、想像したいことではないだろう。こんなものは、知らなくて良い。
「それで大丈夫だ」
「他には、何かあるかしら」
「……俺のことが好きになったと思ったら」
静かに言う言葉に、ミリアーナは思わず振り返る。気付けばレアンドロがすぐ後ろに立っていた。後ろから抱きしめるように腕を回し、そっとミリアーナの手からペンを取る。
「ミリアーナの方から俺にキスをすること」
「はっ⁉」
ミリアーナは止めようとするが、気付けばもう記入してしまっていた。抗議するように見ていると、こちらを見たレアンドロが小さく舌を出す。
「一生来ないわよ、こんな日……」
恨めしそうに契約書を見ていたが、レアンドロは何も言わずにミリアーナの頭を撫でるだけだった。
✱✱✱
「おはようございます。坊ちゃま、聖女様」
翌日、侍女が部屋に来ると、ミリアーナは静かにするよう合図をした。
「珍しいですね。坊ちゃまが眠ってるなんて……」
悪魔になってから、レアンドロはろくに眠れていなかった。公爵家の人間は、不眠症だと心配していたのだ。
「やはり、好きな方の傍だと安心するんでしょうか」
ミリアーナに膝枕され、外は明るいというのに熟睡している。その穏やかな寝顔に、侍女は微笑んだ。
「そういえば、聖女様は眠られましたか?」
そっとカーテンの隙間を閉めて調節し、部屋の暗さを保ちながら侍女は尋ねた。
「それが、ずっと聖水の中で寝ていたから……聖水に浸かっていない状態で、どうやって寝れば良いのか忘れてしまったのよ」
困ったように言うミリアーナを安心させるように、侍女は笑いかけた。
「じゃあ、聖女様も坊ちゃんのように眠れるといいですね」
「……ええ、そうね」
結婚生活は、基本的にはミリアーナが公爵家で過ごし、月に一週間程は大神殿へ戻ることに決まった。お布施が減ってしまうと神殿側は不満そうにしていたが、逆に起きている聖女様に会えるかもしれない貴重な機会だと、この町を訪れる人間が増え、町は活気であふれた。
人が増えれば、自然とお布施も増える。すぐに神殿側も文句を言わなくなっていった。ミリアーナは社交界へ呼ばれることが多かった。まだレアンドロに未練のある令嬢も少なからずいたが、さすがは元王女。礼儀作法はばっちりで、気品漂うミリアーナの姿勢に、誰も口さがないことを言う人間はいなかった。
人に関しては、ミリアーナは高位貴族のことしか知らない。そこはベアトリスが助けになってくれた。さすが長らく社交界の華をやっていただけあり、顔は広いし知識も豊富だ。立派にミリアーナの補助をしてくれていた。
「それで、聖女様の義母になるってどんな感じですの? 私、想像も出来なくて」
「本当に。うちの息子がそんなことを言って来たら、卒倒してしまいますわ」
少し慣れてきてミリアーナが一人で他の人の相手をしていると、同年代くらいの貴婦人達と会話をするベアトリスの声が聞こえてきた。
「別に変ったことはありませんわ。……だって、本当に好きだった方と結ばれることほど、喜ばしいことは無いでしょう? 息子が好きな相手なら、誰であろうと私は歓迎しますわ」
「……ああ、ベアトリス様は」
「ちょっと!」
女性が何かを口走りそうになり、他の人が慌てて止める。
「……なんでもありませんわ」
「そうそう。貴族なんて政略結婚が多いんですもの。恋愛結婚が出来るなんて、羨ましい話ですわ」
ベアトリスは穏やかな笑顔を浮かべているが、少しだけその表情が曇る。それをミリアーナは見逃さなかった。