第十六話 シナリオ
数分間、ミリアーナはベアトリスから渡された冊子を読んでいた。ペラペラとめくると、すぐに次の冊子へ手を伸ばす。そんな姿を、ベアトリスはニコニコと笑いながら見ていた。30分ほど経つと全ての冊子を読み終わり、ミリアーナは顔を上げた。
「で、どうかしら?」
ベアトリスの問いに、ミリアーナは満面の笑みを返す。
「すっっっごく……面白そうだわ!!」
その時、ベアトリスの計画通りに新聞社へと掛け合っていたレアンドロが寒気を覚えていたことを、二人は知らない。
✱✱✱
タリアーニ公爵家に着くと、ミリアーナは馬車から降りた。ベアトリスと一緒に馬車から降りたのだが、二人の表情は強張っている。
「では、お母様。先に行っていますね」
「あら、せっかく来たのに別行動だなんて。私、嫌われているのかしら? なんだか悲しいわ。ね、そう思うでしょ、ヘンリー」
「はい奥様」
ヘンリーと呼ばれた執事は深々とお辞儀をして、ベアトリスを案内する。ミリアーナは俯きながらその後を追った。執務室で待っていたレアンドロは、二人の様子を見て首を傾げる。普段見られない、よそよそしい雰囲気に不信感を持った。
「お母様、どうかしましたか?」
「どうもしないわよ? ちょーっとだけ、話が合わない所があっただけよ」
「まあ、人間だとそういうこともある……あ、ありますよね!」
ミリアーナはこの国の最高権力であり、敬語など使ったことがない。不自然に言い直す姿が不自然で、レアンドロは再び首を傾げた。
結婚式の準備について話し合うが、その間も不自然だ。ミリアーナは表情が硬く、ベアトリスはなんだかとげとげしい。
「で、ブーケはピンク色の花で纏めようと思うの。聖女様はどうお思いかしら?」
「……はい、お母様の案で良いと思います」
さすがに違和感が強すぎて、レアンドロは立ち上がった。急な行動にミリアーナとベアトリスは驚く。
「どうしたの、レアンドロ。話の途中よ? 早く座りなさい」
「いったん外に出るぞ。……お母様、少し二人で話をしてきます」
レアンドロはミリアーナの腕をつかむと立ち上がらせた。そのまま手を引いて歩き出す。
「いってらっしゃーい」
ベアトリスは適当な返事を返し、興味なさそうに書類をめくった。その口角が上がっていることには、急いで外に出たレアンドロは気付かない。
「どうしたんだ! なんかおかしいぞ」
別室で二人きりになると、レアンドロはミリアーナを問い詰める。ミリアーナは視線を逸らしながら後退するが、レアンドロは壁に手をついてそれを阻んだ。
「私が至らないだけだから、そこまで怒ることは……」
「怒ってない」
「いや、怒ってるでしょ……」
珍しく不機嫌そうなレアンドロの眉間の皺を、ミリアーナは指先でぐりぐりと押した。ため息をつく彼を見て、くすりと笑う。
「人間と親しく交流するのに慣れてないから、ちょっと失敗しちゃっただけよ。敬語は使えないとダメとか、言われただけ」
「別に敬語はいいだろ。ミリアーナには必要ない」
「そうもいかないんじゃないかしら? 実際、ベアトリス様に怒られてしまったし」
「……本当に、何もないんだな?」
確認すると、ミリアーナは体をレアンドロに預けた。見上げるミリアーナの、うるんだ瞳と目が合う。
「心配してくれるの? ありがとう、レアンドロ」
にこりとミリアーナが微笑むと、レアンドロは顔を赤くして硬直した。窓の外の木の葉が動かないのを見て、ミリアーナはちょんちょんとレアンドロを突く。
「……また時間が止まってるわよ? 動かして動かして」
レアンドロがため息をつくと、木の葉が飛んでいく。そんな様子を見てミリアーナは笑った。
執務室に戻ると、ベアトリスが腕を組んで待っていた。
「遅いわ! 私にもスケジュールがあるんだから、あまり待たせないで」
「……はい、申し訳ありませんでした。お母様」
大人しく座るミリアーナに違和感がありながらもレアンドロは彼女の隣に座る。その後もベアトリスはとげとげしい態度を取り続けた。そんなやり取りが少し続くと、スカーフの色で二人は言い合いになった。
「だから、スカーフの色味は青で統一しましょうって言ってるじゃないの! 何が不満なの⁉」
「青ですと神殿の色味と重なってしまいますから! 神官達も招くのに良くないですよ」
「じゃあ、何色が良いって言うの⁉」
珍しくベアトリスが声を荒げる。それに対し、上手く思いつかないのかミリアーナは視線を泳がせた。隣のレアンドロの腕を取り、背後にそっと隠れる。
「そんなことしても、大事な話は終わらないわよ!」
「お母様!」
ベアトリスが指を突き付けたことで、とうとうレアンドロが大きな声を出した。
「あまりカリカリしないで下さい。昨夜まで結婚を喜んでくれたじゃないですか」
「公爵家の式なのよ? 好きな人と結ばれるのは歓迎するし、私も嬉しいわ。でも、それとこれとは話が別」
「もういいです」
低い声を出して、レアンドロはベアトリスを睨みつけた。ミリアーナの手を取ると立ち上がる。そのまま歩き出し、執務室のドアを開けた。そこには、一人の侍女が立っていて、手紙を差し出してくる。
「こちら、奥様と聖女様からです」
不意を突かれ、驚いてついレアンドロは手紙を受け取ってしまう。ちらりと背後のベアトリスを見るが、彼女は視線を逸らした。開けた手紙の中にはメッセージカードが一枚。
『妻を守るなんて男前ね!
良い男に育ってて安心したわ!
ベアトリスより』
「…………はい?」
ミリアーナの方を見ると、口に手を当てて笑っていた。ベアトリスも楽しそうに笑いだす。
「……お母様、これ、もしかして」
思わず持っていたカードを握りつぶした。侍女は静かに床に落ちたカードを片付ける。
「昨日言ってた嫁姑争いのシナリオなんじゃ」
「大正解よ! 聖女様も名演技ね!」
「途中で笑いそうになるのを我慢したわよ。だって、レアンドロったらベアトリスの予想通りに動くんだもの」
「……お母様、どこまで予想してました?」
「んー……たぶん私達がこんな言い争いをしたら、聖女様の肩を持つんだろうな、とか。聖女様と二人きりになって甘えられたら照れそうとか?」
そこまで言われて、レアンドロは微妙な表情を返す。その様子を見て、立ち上がったベアトリスは腰に手を当てた。
「何よ、違うって言うの? あなたにヒーロー願望があって、好きな女の子は自分の手で守ってあげたいタイプだってお母様はちゃんと知ってるんだから!」
そう言いながらびしっと指を突き付けてくる。そうだった。
「本当は聖女様に頼られたり抱き着かれて嬉しかったくせに……」
母はこんな茶番にすら力を入れる、ちょっと面倒な人だった。恐らく馬車を降りた直後からシナリオはすでに始まっており、従者たちにも伝えてあったのだろう。道理でヘンリーが落ち着いているはずだ。
「感謝しなさいよ? その辺りもシナリオに組み込んで制作したのは、私なんだから!」
自信満々に言うベアトリスに、レアンドロは頭を抱えしゃがみ込む。
「まあ、そうだったわね」
(時間を止めちゃうくらいには、照れたみたいだし?)
ミリアーナの心の声が聞こえるようだ。完全に二人に揶揄われて遊ばれたと、レアンドロは自覚した。ミリアーナ達は仲良く手を繋いでいる。
「面白いから、次も何か用意するわね! レアンドロの好みそうな甘え方とかを織り交ぜて!」
「ええ! うろたえる様子が面白いので、お願いしますお母様! 良い暇つぶしになりそうだわ」
「こんな二人、出会わせるんじゃなかった……」
顔を赤くしながら呟くレアンドロ。そんな彼に、執事のヘンリーも同情する視線を浴びせたのだった。
【ミリアーナ・ベル・クレッセント】
国を守る不老不死の聖女。
蜂蜜色の髪に空色のインナーカラー、桃色と空色のオッドアイを持つ美少女。
【レアンドロ・タリアーニ】
時の悪魔と契約した公爵。
金髪に翡翠色の瞳。
【ベアトリス・タリアーニ】
レアンドロの母で、元伯爵令嬢。
金髪に紫目の才女。