第十五話 嫁と姑
「聖女様との結婚が決まりました。お祝いして下さい、お母様」
ベアトリス・タリアーニは一見儚げな美女である。しかし、彼女が才女として名高いのには理由があった。
「……やっ」
ベアトリスはこぶしを握り締め、目を爛々と光らせる。そのままの勢いで、文字通り机の上まで飛び上がった。
「やったわね! これで私もお姑さんというものになるのよ! 聖女様のお姑さんよ⁉ これじゃどっちが上になるか分からないわね? すっごく面白いじゃない! ね、レアンドロ。私にはどんなお姑さんになって欲しい⁉ 私、一度嫁姑争いと言うのをしてみたいのよ! でもやりすぎると聖女様に嫌われちゃうし、あなたにも迷惑がかかるわよね? どの程度なら許してもらえるかしら⁉」
とんでもない好奇心と、それを実行してしまう行動力。それと、どんな状況になっても慌てることの無い精神的なタフさが、彼女があらゆることに挑戦し、成功をおさめ、才女と呼ばれるようになった由縁だ。
本当に文字通り飛び上がって喜び、机の上で小躍りするベアトリス。普通ならば聖女様を嫁にするなど言われれば、アルフォードのように泡を吹いて倒れてもおかしくない。
さすがな彼女の様子を見て、レアンドロはため息をついてから笑ってしまった。笑いながら、机から降りられるように手を伸ばす。
「お母様はお母様のままで良いと思いますよ。聖女様も、あまり物おじしませんので」
「あらそう? それじゃ、一緒に嫁姑争いを演じてもらえるようにシナリオを準備しておくわね。内容は伝えないから、あなたをびっくりさせてあげるわ!」
見た目は儚げな美人のはずなのに、明るく快活に笑う母。彼女を死なせずにいて、レアンドロは心の底からほっとしていた。ベアトリスの死も、聖女を破滅まで導く1ピースとなっている。それもあるが、何よりこの母と幸せに暮らせることをレアンドロ自身が望んでいた。
父の浮気を母へ伝えたのは、レアンドロが6歳の頃。浮気の証拠をある程度まとめ上げて、母へ申告すると、母はすでに父の浮気を知っていた。
「まあ。6歳の息子に知られるなんて、馬鹿な人ね?」
父をそう断じてしまえるのだから、さすがにレアンドロも驚いた。話を聞くと、どうやら父の浮気は結婚前からのもの。いつものことだからと、母は特に気にしてはいなかった。浮気相手との子供も出来たようだが、父は元来、頭も気も弱い人間である。そんな彼が子供を引き取って母と対面させるなんてことは無いだろうと、そう高をくくっていたようだ。
しかし、後1、2年で父は母を殺す。そして公爵家を牛耳り、浮気相手の子を公爵家の跡継ぎにするのだ。
もし母が事故で亡くなってしまったら? もし父が誰かと手を組み、調子に乗ったら? 危険な芽は早く摘んでおいた方が良いと、レアンドロは母を説得した。
「そうよねぇ。確かに、その可能性もあるわ。別にただの政略結婚で愛情なんてないし、何より愛する息子のお願いだもの」
こんな軽い口調の後、まさか1週間で母が父をボコボコにするとまでは、レアンドロも予想しなかった。
「多少のおいたは男性だもの、するわよね? だから見守っていたんだけど……さすがに量が多くなっていたから、良いきっかけだったわ」
父がやっていた不正やら税収のちょろまかし。それらも全て母は知っていた。ここまで知っていて慌てもせずにいたのは、さすが母といったところ。いや、だからこそその裏を取られて消されたのか。
母はローゼ様へ相談し、父の不正を提出し皇室を味方につけた。他の貴族、家門も味方につけていた母は、公爵家は自分と息子に任せて欲しいと涙ながらに訴えていた。その外見を活かして、社交界では大人しく優しい華を演じていたのだから、父への社会の風当たりは強い。今までは父に脅されて公に出来なかった不正を、勇気を出して訴えたけなげな女性を演じた。
公爵領と息子だけは守りたいと涙ながらに訴えた母は、皇室を味方につけていたこともあり無罪。父だけが牢に入れられ奴隷落ち。女性は家督を継げないため、俺がタリアーニ公爵家を継いだ。
これが、わずか1週間で起こったことだった。浮気相手とその息子は実家のある国に逃げたそうだ。我が母ながら恐ろしいと、改めてレアンドロは思い知ったのだった。
報告の後、ベアトリスは落ち着いて計画を立てていた。神殿に反対をされては、せっかくの息子の結婚が水の泡だ。神殿の中の人物との繋がり。貴族達や平民の社会情勢。用意できる資金と人材。それらを上手く回しながら、資金は盛大な結婚式の資金にまで回すつもりで用意していた。一通り計画を立てた後、ベアトリスはレアンドロを見ながら嬉しそうに笑う。
「これで準備万端ね! ……ふふっ、あなた、昔から聖女様が大好きだったものね。本当に良かったわ」
それから紅茶を飲んだ後、執務室の机に突っ伏したまま眠り込んでしまう。そんな母に、レアンドロはそっと上着を掛けた。
✱✱✱
ミリアーナが目覚めたのは、戦勝パーティの翌日だった。こんな早いスパンで起こされたことはない。何事かと思っていると、すでにタリアーニ公爵家は動き出した後だった。
「今日は何で起こされたのかしら?」
「あの……ベアトリス・タリアーニ様が大神官様の下へ訪れてお話をしていったようです」
早朝やって来たベアトリスが、すでに一戦交えた後だというのだ。それを聞いて、本気でミリアーナは驚いていた。ミリアーナが知っているベアトリスは、パーティで挨拶した時の気弱で儚げな女性のイメージでしかない。
「聖女様がご結婚なされると聞いたのですが、本当ですか⁉」
「え、ええ……昨夜、そういうことになったわね。大神官はどうなったの?」
「何やら嬉しそうにして、去っていきました……」
「ええ……」
あんな女性が一体どう交渉したというのだろう。不思議に思いながら、彼女が呼んでるというので客室へと向かった。
「おはよう、タリアーニ公爵夫人」
挨拶をすれば、すぐにベアトリスは顔を上げた。その美しい顔はレアンドロによく似ている。
「おはようございます、聖女様。我が愚息と結婚なさるとのことなので、色々と準備をさせて頂きました。その報告に参りましたの」
客室には二人のみになるよう、シスター達は下がらせた。向かいのソファに座ると、ベアトリスはニコニコと人懐っこい笑みで語り始める。
「そうなの。ありがとう」
「いえいえ。障害はきちんと取り払っておかないと。祝い事なのに、邪魔が入ってはなりませんもの」
曰く、国内すべての教会と孤児院へ資金を贈ったらしい。それだけでなく、今後も神殿や孤児院を運営する際に資金に困らなくするための手段、手法。それらを最初は公爵家主導で手伝うと大神官に交渉したとのことだ。それを結納金として支払い、社会的にもこの結婚が認められやすいようにする。また、常に聖女様が起きているため、何か国に危機が起きてもすぐに相談しやすい。より密接に国民を守ってくれる。また、レアンドロの片想いを美談として伝え、それを叶えた聖女様の慈悲深さを新聞にまで掲示するとのこと。それを、早朝から大神官へ交渉の材料として伝えたと。
笑顔でなんてことのないように語るベアトリス。ミリアーナも、昨日の今日でここまで動けたのには恐れ入った。しかも、大神官にも個人的に望むものをプレゼントしたらしい。
「さて、ここからが本題なのですが」
ベアトリスは目の前のテーブルに何冊かの冊子を置く。
「これ、どう思われますか?」
促され、ミリアーナは首を傾げて冊子の一つを手に取った。
【ミリアーナ・ベル・クレッセント】
国を守る不老不死の聖女。
蜂蜜色の髪に空色のインナーカラー、桃色と空色のオッドアイを持つ美少女。
【レアンドロ・タリアーニ】
時の悪魔と契約した公爵。
金髪に翡翠色の瞳。
【ベアトリス・タリアーニ】
レアンドロの母で、元伯爵令嬢。
金髪に紫目の才女。