第十一話 進展する関係
聖女様の希望通り、首と胴が離されたまま、聖水の中に沈めることになりました。いつもの大きな水槽には胴を。頭部までもを衆目に晒すのははばかられて、頭部は大神官である僕が直々に管理することになりました。小さめの水槽を用意して、聖水で中を満たし、そこに聖女様の頭を入れると、小さな傷や汚れもすっかり目立たなくなりました。しかし、あの髪は短く切られたままでした。
僕はどうしようもなく憤っていました。今まで何度も思いましたが、ここまで自分の無力さを嘆き、怒ったのは始めてです。何故聖女様が被害にあわなければいけないのか。全ての責任を取らされているのか。理解も納得も、出来るはずがありません。それでも、ただ大神官という地位があるだけで、僕には手も足も出せませんでした。
「聖女様!」
あれから3日程経った頃。僕は栓を開けて、首だけにされた聖女様を水から抱き上げました。彼女の体は水のように冷えていましたが、徐々に体温を取り戻していきます。そうしてしばらくすると、パチリとその目を開けました。
「あら? おはよう、レアンドロ」
なんてことのないように話す聖女様に、僕は酷く安堵しました。
「体が動かないと思ったら……あのまま、首だけ隔離されたのね。こんな姿になるのなんて、産まれてはじめてよ」
くすくすと笑う聖女様。その笑顔は、平和なあの頃のようでした。
「ほら、なんて顔してるのレアンドロ。見ての通り、私はこんな姿になっても生き続けられるそうよ? 安心した? それとも、幻滅したかしら?」
「いいえ……いいえ! 僕の想いは変わりません。結婚して下さい、聖女様」
「こんな姿の私に、まだその台詞を吐くなんて……あなた、なかなかの変わり者ね」
いつも通りの聖女様。それは、酷く歪で、それこそが聖女様の強さなのでしょう。こんな状況でも笑える程でなければ、千年以上を生き、国のために尽くすなどできません。
「図らずとも、こうして身軽になったのです」
不思議そうな表情で、彼女は僕を見上げます。その視線を受けながら、僕は涙がこぼれそうになるのを抑えて笑ってみせました。
「聖女様。デートをしませんか?」
✱✱✱
大きなバスケットを用意しました。そこにはたくさんの布を敷き詰めてあります。
「痛い所はありませんか? 息苦しさは?」
中に聖女様の頭部を収めると、聖女様はくすぐったそうに眼を閉じました。
「ふふっ。大丈夫よ。それにしても考えたものね。これなら中に何があるか分からないもの」
バスケットの中央に聖女様を。端の方には少し隙間を空けて、何かあった時に物を入れられるようにしました。片手で持つと少し重みがありますが、持てないほどではありません。
「一部網目を広げておいたので、少し外が見られるかと思います。このまま外出するので、自由に見て下さい」
そうして僕は何食わぬ顔で外に出ました。聖女様へ当たったことで、町内は一時的に落ち着いており、いつも通りの平和な街の様子を見せることが出来ました。戦争に負けたことで皇室は経済的損失を負いましたが、国民へその負担がかかることはほとんどないように、聖女様が準備していたおかげです。
手を繋ぎ笑い合う子供。活気のある市場。何気ないご婦人たちの井戸端会議。
「ほら、聖女様。あなたのおかげで、町は平和なままですよ」
そう小声で伝えましたが、聖女様に聞こえたでしょうか。一通り見て回ると、僕は皆へのお土産と聖女様が食べる分の菓子を買って神殿へ戻りました。皆へ土産を渡すと、神官や神官見習い、シスター達は素直に喜んでくれました。あんなことがあっても、人々は徐々に平和を取り戻せるようです。
「どうでしたか? 僕が休日の時は、こうしてまた外を見に行きましょう」
そう声を掛けながら聖女様をバスケットから出すと、聖女様は幸せそうに微笑んでいました。安心したような笑みはあまりに美しく、僕は見とれてしまいました。
「新鮮で面白かったわ。ありがとう、レアンドロ」
本当に楽しかったのでしょう。聖女様の血色は戻り、頬もピンクに色づいています。形の良い唇に口づけたくなる欲望を抑えて、僕は買ったアップルパイを聖女様の口元に運びました。
「うん。バターの風味が利いていて美味しいわ。レアンドロ、ありがとう」
聖女様は終始ご機嫌でした。そのことに安堵し、僕は再び聖水に満たされた箱の蓋を開けました。疲れたでしょうから、聖女様には休んで頂かないといけません。
「では、おやすみなさい。聖女様」
「ミリアーナよ」
突然の聞き慣れない言葉に体が硬直しました。聖女様を落とさなかった自分を褒めてあげたいです。
「ミリアーナ・ベル・クレッセント。もう誰も呼ぶ人のいない、私の名前よ」
「ミリアーナ・ベル・クレッセント……」
「ええ」
「ミリアーナ様」
「なあに?」
息が上手く吸えません。何故、そんな大事なものを僕に教えてくれるのか。真っ赤に紅潮する顔を見られないように顔を背けましたが、ミリアーナ様は変わらずまっすぐに僕を見ています。
「な、なんで……名前を」
「何故かしら。教えたいと、ふと、そう思ったのよ」
その言葉に他意はない。自分にそう言い聞かせながら、僕は大きく深呼吸をしました。
「ミリアーナ様」
「なあに?」
「結婚して下さい」
さすがに驚いたのか、ミリアーナ様は目を見開きます。
「ふふっ! こんな生首になっても死なない女と? あなた、本当に変わり者ね」
「それほど、あなたが好きということです」
「それは困るわ。私とあなたは違うんだから、ね?」
幼子に言い聞かせるように諭され、僕はしぶしぶミリアーナ様を箱へと仕舞いました。
「おやすみなさい、ミリアーナ様」
聖水の中では声を出せないのでしょう。ミリアーナ様は小さく頷いたように見えました。それから度々僕はミリアーナ様を箱から出して、共に外出をしました。
手足のないミリアーナ様は、自分で好物のデザートを食べることすらできません。その度に食べさせてあげると、嬉しそうな笑顔を僕に向けてくれます。
何度も何度も想像した、幼い頃から大好きだったミリアーナ様との時間。それがこんな形でもたらされたことを喜ぶ自分を、僕は後に後悔することになるのです。
【ミリアーナ・ベル・クレッセント】
国を守る不老不死の聖女。
蜂蜜色の髪に空色のインナーカラー、桃色と空色のオッドアイを持つ美少女。
【レアンドロ・タリアーニ】
後に時の悪魔と契約することになる少年。
金髪に翡翠色の瞳。