【四】お豆
「ン゙、ヴゥ゙…ン゙ン゙ッ゙!!」
ぷるぷると震える指先に力を籠める者が居れば。
「お、お、おぉ…っ!! やったな、結君!!」
両手を拳にして応援する者も居るし。
「結様はとても器用なのですね。素晴らしいです」
頑張った者を穏やかな笑顔で褒める者も居たりして。
「………」
ただ無言で、何処か遠くを見詰める者も居る。
その様な者達が集うここは、何時も通りの高梨家の茶の間である。丸い卓袱台を囲んでいるのは、家主の雪緒と、その雪緒の友人である瑞樹に優士だ。
そして、卓袱台の上で右手に箸を持ち、えへんと胸(多分、胸。腹ではない。多分)を張っているのは、妖である結だ。
「凄いな! もう、豆が摘めるなんて! な、優士!」
「…………………ああ」
隣に座る瑞樹が、バンバンと優士の左肩を叩きながら笑う。
自宅へ帰ったら覚えておけとの言葉は口に出さず、優士は頷く。
頷きながら、自分達は何を見せられているのだろうとも思う。
『お二人のお蔭で、無事に結様がお気に召したお箸を購入する事が出来ました。ありがとうございました』
『ク゚レ゙ブ、パル゙ザメ゙ザラ゙ダ、エ゙ビドラ゙ア゙、ア゙ド、ナ゙ン゙カ゚、オ゙イ゙ジカ゚ダ! ア゙イ゙ア゙ド! ユ゙イ゙、フーフーズル゙!』
そんな電話を貰ったのが一週間前だった。
そして、休日に瑞樹と優士は大福を持って高梨家に来たのだが、何時も通りに茶の間に通され、用意されたふかふかの座布団に座り、大福を渡す前にお茶を出されて、良し大福をと言う前に、唐突に卓袱台の真ん中に小鉢に盛られた艶々の黒豆が置かれ、雪緒に『見ていて下さいね』と言われるがままに黒豆を見ていたら、雪緒が肩に乗せていた結を卓袱台の上に乗せ『はい』と青空の様な模様が描かれた箸を結へと渡したと思ったら『ユ゙イ゙、ガバル゙!』と、謎の黒豆摘み遊戯大会が始まったのだった。
つやつやすべすべと逃げる黒豆に奮闘する結に、気が付けば瑞樹は応援を送り出し、雪緒は胸の前で両手を合わせて、はらはらと見守ると云う構図が出来上がっていた。
(……何だ、これは……)
いや、文字通り小さい身体で、その身体と同じくらいの箸を持って奮闘する姿は可愛い。
可愛いのであるが。
(…完全に、我が子や甥を見る父親と親戚の叔父の姿…)
と、ここで優士が「もう、深く考えるのはやめよう」と、遠い目をしたのである。
「ユ゙ジ、ア゙イ゙!」
「ん?」
そんなこんなで傍観者を決め込んでいた優士の目の前に、箸に摘まれ、ぷるぷると震える黒豆が現れた。もちろん、それを差し出したのは結だ。
「フーフー、ジダ!」
「結君が冷ましてくれたぞ」
「あ、ああ…」
(冷ますも何も既に冷えて…いや)
結は箸を使いたいと言った時に『フーフーする』と言っていた。それは、雪緒がしてくれた事と同じ事をしたいと云う事だ。
それは、つまり。
(…お返しの気持ちだ)
「有り難く戴こう」
「言い方っ!」
上から過ぎる物言いに瑞樹が注意をするが、雪緒は『優士様らしいですね』と穏やかに微笑み、結は細い目をかまぼこの形にしたままだ。箸を持つ手は、ぷるぷると震えているが。
黒豆が箸から逃げてしまう前にと、優士は僅かに身を屈めて口を開いた。
そうすれば、ぽてんっと舌の上に黒豆が落ちて来たので、軽く歯を立てた。やや弾力を残したそれは、噛んだ場所からほろりと崩れ、ほのかな甘みを口の中へと広がらせた。
甘過ぎず、かと言って醤油もそこまで主張はしていない。それでも、豆だけの味ではない。素材の味と調味料の味が、喧嘩せず、仲良く共存していた。
(雪緒さんらしい、素朴で何処か懐かしさを感じる味付けだ。昆布も使っているのか?)
「…ああ、優しい味だ。ありがとう、結君」
僅かに。
ほんの僅かではあるが、優士はゆるりと目を細め、頬を綻ばせた。
この僅かな変化に気付くのは、瑞樹ぐらいだろう。現に今、視線が泳いでいる。
「お返しと云う訳ではないが…瑞樹、いつまで大福を隠している」
とは云え、それを指摘する優士ではない。
せっかく作った大福を何時までも眠らせる訳にはいかない。結と二人で出掛ける事が出来たと、そのお礼に雪緒名義で百貨店から小豆が届けられたのだ。成る程、考えた物だと優士は思った。これでは、受け取らざるを得ないではないか。しれっと、小豆と一緒に酒が添えてあっても。穏やかで謙虚で優しそうに見えるが、雪緒は中々に強引な処もあるのだ。
「は!? か、隠している訳じゃ…っ…! ちょっと渡しそび…」
「前回は瑞樹の偏見と好みでつぶ餡になったが、今回はこし餡にしてみた。つぶ餡の様な食感はないが、生クリームをどっしりと重くした様な感じだ」
「作ったの俺! って、偏見って何だよ!」
「言葉の通りだが? 結君が気に入ってくれたから良かったが、自分の好みを押し付けるのは関心しないな」
「うぐぐ…」
押し付けた訳ではないが、そう言われてみれば確かにそうだと思うので、瑞樹は項垂れただ唸り、恨みがましく上目遣いで優士を見た。
だが、それで優士は怯んだりはしない。
(…可愛いな)
塩な表情のままで、内心ではそんな事を思っていたりするのだから、始末が悪い。
「ふふ。お二人共、本当に仲睦まじいですね」
二人を良く知る雪緒にすれば、これはただのじゃれ合いに見えるのだ。
朗らかに笑う雪緒を見上げ、次いで顔を赤くした瑞樹とやはり塩な優士を見た結は、ぱちぱちと瞬きをした後に、こう口にした。
「ダイ゙プグ、ダべル゙!」