【・】初めてのおでかけ・後編
購入した箸を風呂敷に仕舞い、雪緒は百貨店を後にしようとしていた。
「ふふ…その日、その時の気分で使うのも良いですよね」
「ユ゙ィ゙、ドレ゙モ゙」
風呂敷包みを右手に持ち、胸元で押さえ、左手で広げた扇子で口元を覆い、雪緒は微笑む。
結局、結の為に購入した箸は、八膳にもなった。末広がりを目指した訳では無い。
結が気になった物を手に取っていったら、そうなってしまったのだ。
まあ、箸は消耗品であるから、あって困る物でもないので良しとしようと雪緒は頷いた。
出入口まであと少しと云う処で、雪緒は思い立った様に足を止めた。
そこは、地階へと続く階段の側だった。
「…そうです。折角ですから、お惣菜を買って帰りましょう」
この百貨店には地階があり、そこは食品売り場になっていた。様々な店子が集まり、様々な物を売っている。近所の商店では取り扱いの無い、珍しい物もある。とは云え、珍しい食材に手を出すつもりはない。調理法が解らないし、味を知らなければ、どう調理すれば良いのか解らないからだ。
なので、ここは既に調理された総菜を買うのが吉だ。
普段、雪緒が作らない物。それらに、結が気に入る物があるかも知れない。結が気に入ったら、料理の本を買って自分が作れば良いのだと雪緒は考えた。
「オ゙ゾ?」
「結様がお好きになれる物が見つかると良いですね」
きっと、結が気に入る物が見つかる。
それを疑わず、雪緒は頬を緩ませて広い階段を下りて行った。
のだが。
「…ぺ…ぺすかとーれ? え? スパゲティではないのですか? か、かるぱちょ? ま、まりね? ど…どりあ? え? シチューではないのですか? は、はるさめ…で良いのでしょうか? の、サラダ? え? この細さは心太ではなく、白滝ですか? ぽ、ぽーくぴかた?」
雪緒は異国の料理に疎かった。
スパゲティと言えば、ミートソースとナポリタンしか知らなかったし、酢を使った物と言えば、寿司になますだったし、カレーに似た白い物はシチューしか知らなかった。
「こ…これは手強いですね…」
扇子で隠れた雪緒の喉元が大きく動く。
確かに、ここには近所の商店にはない物が売っていた。
売っていたが、店子毎に特色があり…いや、あり過ぎて雪緒は目を回していた。
ちらりと視線を隣の店子の陳列棚へと目を向ければ、目に優しい…いや、見慣れた切り干し大根や、昆布の佃煮等が量り売りされていて、つい手が伸びそうになったが、雪緒はぐっと堪える。
(これらは、僕が作る物です。僕が普段作らない物、食べない物を買いに来たのです。惑わされてはいけません! 結様の為なのです!)
「お仕事中に失礼致します。こちらの…」
風呂敷包みを押さえる手に力を込めて、雪緒は決意を新たにし、店子の店員に商品の説明を求めた。
◇
「とても参考になりました。貴重なお時間を戴きありがとうございました」
「いえいえ! ありがとうございました~!」
買った品物を風呂敷に包み、ぺこりとお辞儀をする雪緒を店員は笑顔で見送った。その店員を見た常連客は後にこう語ったと云う。
『あんな爽やかな笑顔、初めて見た…』
それはそうだろう。
『アレくれ、アレ。あん? いつも買ってるだろうが。アレだよ!』
こんなアレアレしか言えない輩はお客様でも神様でもないのだ。アレアレな輩が去った後に、店員がそっと中指を立てている事など知らない方が良いだろう。店子の店員だけでなく、この百貨店に勤める者は、皆、このような行為をする。これは、古くから受け継がれている、この百貨店の伝統芸だ。
「…ふう。良い買い物が出来ました。食べるのが楽しみですね」
一か所だけでなく他の店子も周り、その全ての店員を笑顔にした雪緒は、重さの増した風呂敷包みを右手に持ち、帰宅すべく階段を目指していた。
「ミ゙タコ゚ドナ゙ィ゙、イ゙ッ゙バイ゙」
人の通りが少なくなって来た処で、雪緒の頭の上で大人しくしていた結が口を開いた。
「ああ、ごめんなさい、結様。結様のご意見を…」
「ア゙ヤ゙マ゙ル゙、ダメ゙。ユ゙キ゚オ゙、ヷル゙、ナ゙イ゙。ニ゙ゲン゙、イ゙ッ゙パイ゙。ユ゙イ゙、ジズカ゚、ジダダケ゚」
総菜を扱う店子は何処も人が多くて、結の希望を聞く事が出来なかったと雪緒は肩を落とすが、それを結は即座に否定した。
結の言葉に雪緒は胸の痛みを覚えたが、直ぐに穏やかな笑顔を浮かべる。
「そうですね…ありがとうございます。結様は聡明ですね」
雪緒が怪しまれない様にと、結がした判断は間違いではない。
ただ、そうしなければならなかっただけだ。
誰もが、結を…幼体とは云え、妖を受け入れてくれる訳ではないのだ。
幾ら結が人を襲わない、食べないと説いた処で耳を傾ける者はいないだろう。
それ程に長い永い時の中で、妖は人を襲い、殺め、屠って来たのだから。
「ゾメ゙?」
結が頭の上で身体を傾けたのだろう、さわさわと髪が擽られて、雪緒はふっと笑う。
「立派…偉いと云う事ですよ」
「ウン゙、ユ゙イ゙、エ゙ラ゙イ゙!」
瑞樹と優士が遊びに来た時に、偉いと言われたと結は雪緒に嬉しそうに語っていた。
だから、褒める時はその言葉を使おうと雪緒は思ったのだ。
そして、左手にある扇子に視線を落として、雪緒はそっと微笑む。
この扇子は瑞樹と優士からの贈り物だ。
扇子を使おうとなった時に、雪緒が止める間もなく、我先にと、食事を終えた瑞樹が飛び出して行ったのだ。
代金を支払うと言う前に、自分達が言い出した事だからと瑞樹に言われ、優士から無言の圧を受けた雪緒は大人しく、二人の厚意に甘える事にしたのだった。
「ああ、いけません!」
「ユ゙キ゚オ゙?」
突然声を上げた雪緒に、結がびくっと身体を震わせた。
「瑞樹様と優士様へのお返しを忘れていました! 申し訳ありませんが、売り場へと戻りますね」
「ウン゙、ユ゙イ゙、ダマ゙ル゙、ズル゙」
結の返答に、雪緒は小さく笑って目の前に見えた階段に背中を向けた。
さて、二人への返礼は何が良いだろうか。
最初は雪緒と同じ様に遠慮するだろうが、最終的には受け取ってくれる筈だ。
きっと、わたわたとする瑞樹を見かねた優士が助け舟を出してくれる事だろう。
そんな二人の姿を脳裏に描いた雪緒は、また頬を緩ませるのだった。
☆おまけ☆彡
そして、買い物を終えて今度こそ帰ろうとした時。
ふんわりとした甘い匂いが漂って来た。
雪「これは…」
結「ユキオ?」
雪「結様、少々休憩をしましょうか」
そう結に声をかけてから向かった先は、いわゆるフードコート。その一角にあるクレープ屋だ。
バナナとチョコのクレープを買い、壁際近くにあるベンチに腰をおろす。
雪「懐かしいですね」
一口食べて、懐かしい味に目を細める雪緒。
そして、結に胸元へ降りて来る様に声を掛ける。
扇子で胸元を隠すついでにクレープも隠す。
雪「こちら、とても美味しいのですよ。結様もどうぞ」
結「ウン」
☆彡それを見ていた人々(勿論、結は見えていない)☆
「おじいさんがクレープ食べてる」
「美味しそう…」
「可愛いおじいさんだなぁ」
雪緒(ほぼ結)が食べ終えて帰ろうとする頃、クレープ屋には長蛇の列が出来ていましたとさ。