【・】大福・中編
「ア゙ア゙…ッ…!!」
嫌だ嫌だと、意地悪するつもりは無かった、知らなかったと、雪緒の胸の中で結は泣きじゃくる。
「結様は、素直ですね」
結の背中を撫でながら、雪緒が目を細める。
「スナ゙…?」
「ええ、それがいけない事だと理解して、悪い事をしようとした自分を恥じて、反省しています」
「ハン゙…?」
「はい。悪い事をしようとした時、または、してしまった時。それが悪い事だと知らなかった時もあるでしょうが…そう云う時はごめんなさい、と謝るのです」
「ゴメ゙…?」
首を傾げる様に身体を傾ける結に、雪緒は柔らかく微笑む。
「ええ、ごめんなさい、です。結様がいらしたのは、どちらの方角でしょうか…そちらに向かって、ごめんなさいと頭を下げましょうね。僕も一緒に謝ります」
そう言うと雪緒は、結をそっと卓袱台の上へと下ろした。
もぞもぞと動いて、結が雪緒を見上げれば、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「エ゙ド…ア゙ッヂ…」
悪い事をしたのに、結は雪緒からぽかぽかとした物を感じていた。ぽかぽかは消えていない。
ぽかぽかに安心と勇気を貰って、結は瑞樹と優士が並ぶ、その隙間に手を向けた。
「ごめんなさい」
そうしたら、雪緒が座布団から降り、畳に両手の指をつけて、頭を下げた。
それを見た結も、ぽてんっと卓袱台から転げ落ちて、こちんっと畳に頭をつける。
「ゴメ゙ナ゙サイ゙」
さて。
結が示したのは、瑞樹と優士が座る方である。
つまり、雪緒と結は、二人に土下座する形になっているのである。
(ぎゃあああああああっ!!)
二人、いや、一人と一匹に頭を下げられた瑞樹は、盛大な悲鳴を心の中で上げていた。
「ゆっ、雪緒さんっ! 結君もっ!! か、顔っ! いや、頭を上げてっ!!」
瑞樹は、人として雪緒に惚れ込んでいる。そんな雪緒が自分にではないが、頭を下げているのだ。
心の中では叫んだが、声には出さずに済んだ事を褒めて欲しい。ついでに、この状況をどうにかしてくれと、瑞樹が隣に座る優士を見れば、それは岩塩になっていた。
(かっ、固まってるっ!!)
それもそうだろう。
瑞樹は優士の伴侶である。
雪緒は、その伴侶が惚れ込んでいる相手であるし、優士も雪緒を人として尊敬しているのだ。
その相手から頭を下げられては、普段から冷静沈着を貫いている優士とて、どう反応を返せば良いのか刹那には判断出来なかった。
その結果が無表情のまま、岩塩の様に固まると云う事だった。
役立たず等と瑞樹は思ったりはしない。ただ、助けが期待出来ないと云う事に理解して絶望する。
「ああああああああっ、もうっ!! 許す! 許すからっ!! その人の代わりに、俺がっ、俺達が許しますからっ、だからっ、顔を上げて下さいっ!!」
「ありがとうございます、瑞樹様」
泣きたい気持ちになりながら、瑞樹が両手を肩の高さまであげて振りながら言えば、雪緒が静かに顔を上げた。
(…あれ? もしかして、これが狙いだった…のか?)
安堵した笑顔を見せた雪緒に、瑞樹はそう思った。
「結様、お許しを戴けましたので、結様もお顔を上げて下さい」
呆けた表情を浮かべた瑞樹に、雪緒は軽く肩を竦めてみせてから、隣で小さくなっている結に声を掛けた。
「ア゙…デモ…チガ…」
ここに謝る相手が居ないから、せめて気持ちだけでも届いて欲しいと、相手が居るであろう方角へと頭を下げたのではなかったのか? なのに、何故か目の前の二人に謝った事になっているし、その二人の内一人は泣きそうな顔をしているし、もう一人は怖い顔のままで固まっているし、と、結は拙い言葉と身振り手振りでそれを雪緒に伝えた。
「ええ、その時の方と瑞樹様は違う方ですね。ですが、その時の方はこちらには居ません。ですから、その時の方の代わりに、瑞樹様がお許しを下さったのです」
そんな結に雪緒は柔らかく微笑み、畳の上に居る結を両手で掬い、再び卓袱台の上へと戻した。
「それに…ほら、こちらの大福は瑞樹様が、結様の為に作って下さった物なのです。ですから、横取りにはなりません。何も怖くはありませんよ? 石なんて飛んで来ませんから、戴いてみませんか? 瑞樹様がお喜びになりますよ」
「…ユ゙イ、ノ゙…タメ゙…?」
涙で濡れた紅い眼を向けられて、瑞樹は慌てて答える。
「おっ、おお! 結君が好きな物…好きになれる食べ物…うん、好物を探したいって、雪緒さんが言っててさ」
「ズギ?」
身体を傾ける結に、瑞樹は頬を綻ばせた。
「うん。ちょっと元気が無い時とか、食欲が無い時とか…そんな時に食べると元気になったり、それだけは食べられたり、特別な日にそれが出されると無性に嬉しくなったりしたり…う~ん、難しいな…ま、まあ、結君だけの特別な食べ物って事だ!」
「ユイ゙、ダケ゚ノ゙…ト゚グ、ベツ゚…」
「乱暴だな」
どう言えば結に伝わるのか解らなくて、無理矢理に話を纏めた瑞樹の耳に、固まっていた筈の優士の塩塗れな声が届いた。
「優士! ま、とにかく! これ、食べてみてくれよ。朝、早起きして作ったんだ。食べてくれたら嬉しい」
そう思うのなら助けてくれと云う言葉を飲み込んで、瑞樹は結に大福を勧める。
結に食べて貰うのを一度諦めたけれど、雪緒の気遣いを無駄にする訳にはいかない。それに、大福は怖い物ではないと教える必要がある。雪緒は、結の心的外傷を取り除こうとしているのだろうと瑞樹は思った。
「ああ。俺の朝食を忘れて没頭していたからな。結君が食べてくれれば、朝の俺の胃袋が報われる」
「ごめんって、謝っただろ!」
それなのに、優士は要らない事を口にする。他に言い方があるだろうが、それをしないのが優士と云う男なのだ。
「ふふ。仲が宜しくて何よりです。ほら、結様。こちら大福と云う名の甘味です。お餅の様な食感で、中には餡子と呼ばれる甘い物が詰まっているのですよ」
そっと雪緒から大福を手渡された結は、それを両手で持って、じっと見詰めた。
「ダイ゙、フグ…イ゙ダグナ゙イ゙…コ゚ヷグナ゙イ゙…」
大福はとても柔らかくて、丸っこかった形がむにゅりと潰れて楕円形になってしまったけど、石なんて飛んで来なかった。
だから、結はそっと口を開いて大福に噛み付いた。