【二】大福・前編
「うっわ、本当に妖だ」
「瑞樹、雪緒さんに失礼だろう」
「いえ、本当の事ですから、お気になさらないで下さい」
「ア゙ァ゙…」
ここ高梨家の、茶の間にある卓袱台の上で、結は海苔が巻かれた煎餅を手に固まっていた。
それも、その筈で。
結は、雪緒以外の人間から、こんなにまじまじと見詰められる事が無かったのだ。
卓袱台に居る結を正面、いや、上から見下ろしているのは、雪緒の亡き伴侶の部下であり、また友人である、橘瑞樹と橘優士だ。雪緒より八つ下の五十四歳で、敬語を使っているが偶にそれが崩れたりする。雪緒は気にしないのだが、それを崩し捲る瑞樹は気にしてしまっていたりする。職務時は、首元までかっちりと閉められた詰襟を着用しているが、普段は雪緒と同じく着物で過している。
二人は、朱雀と云う名を持つ、妖と戦う事を専門とした国の機関に所属している。そんな訳で二人共、妖は見慣れているし、討伐対象なのだが、幼体となれば話は別だ。因みに、雪緒の亡き伴侶は、そこの司令にまで上り詰めた男だった。
また、瑞樹と優士の二人は、兄弟や親戚等ではなく、れっきとした夫夫だ。この国で同姓婚が認められて久しく、今では珍しくも何ともないし、雪緒もそうだ。
「お手玉ぐらいの大きさだと聞いていましたけど…」
特に何の表情の変化を見せずに、疑惑じみた声を上げたのは優士で。
「お手玉って、両手で持つ物だったっけ?」
その言葉尻を捉えたのは、寝癖が特徴である瑞樹だ。今日も、後頭部の髪が一部ツンと跳ねている。
「ええ、お話しました時はそうだったのですが…結様は育ち盛りですから」
緩く目を細め、照れくさそうに笑う雪緒に、優士が心の中でツッコミを入れる。
(育ち盛りで済ますな)
「そうかあ。たくさん食べるって話でしたよね!」
(お前も納得するな)
優士は片手で口を覆い、溜め息を隠して結を見る。固まっていた結だったが、瑞樹と優士に悪意は無いと理解したのか、両手に持っていた煎餅をばりんぼりんと食べ始めた。
雪緒から、新しい家族が出来たと電話で連絡を貰ったのが、一週間前だ。
その時には、片手の掌に乗る大きさで、お手玉ぐらいだと、雪緒は言っていたのだ。
だが、今、卓袱台の上に居る結は、片手の掌に収まる大きさではなく、両手の掌を合わせなければならない程の大きさになっていた。
(育ち盛りにも程があるだろう)
と、優士は思うが、相手は人の理から外れた存在だ。人とは違う、不思議な生き物なのだ。
だから、そう云う物なのだと、納得するしかない。たとえ、納得していなくても。
「…で、俺、大福作って来たんですよ!」
優士が眉間の皺を解している間に、何やら話が進んでいたらしく、瑞樹が持参した風呂敷を卓袱台に乗せ、結び口を解き始めていた。
「雪緒さん、チョコレートは好きだけど、餡子ってあまり好きじゃないですよね? だから、結君はまだ大福を食べた事が無いんじゃないかって思って!」
「ああ…お恥ずかしながら図星です」
雪緒は、瑞樹達に話していたのだ。
何でも食べてくれるのは嬉しいが、好きな物を食べて欲しいと。だが、それが解らなくて困っていると。雪緒自身ばかり嬉しくては駄目なのだと。結にも嬉しくなって、喜んで欲しいと。
「ビッ゙!!」
和やかな雰囲気だったが、風呂敷が広げられ、重箱の蓋が開けられて、そこから現れた白い物…大福に、結はボッと全身の毛を逆立て、食べかけの煎餅を卓袱台へと落とした。
「結様?」
結の異変にいち早く気付いたのは雪緒だ。
「どうされましたか?」
雪緒は両手で結を掬い上げ胸に抱き、その身体を撫でながら、心配そうに訊ねた。
結が手にした食べ物を落とすなんて初めての事だし、毛を逆立てたのも初めての事だったからだ。
「イ゙ダイ…シロ゙イ゙、イダイ゙…」
「え?」
「ソレ゙、イ゙シノ゙ウエ゙ア゙ダ、ニ゙ン゙ゲン、イ゙シ、ブツケ゚ル゙…」
結はぷるぷると震えながら、高梨家に来る前にあった事を話した。大きな石の前に小さい石があって、そこに白い食べ物があったから、食べようとしたら石をぶつけられた事を。その、白い食べ物が、今、目の前にある物と同じだと云う事を。
その話に、瑞樹と優士は軽く目配せしてから、俯いた。
石を投げられたのは…それは、結が妖だからだ。妖でなければ、怒鳴られるだけで済んだのかも知れない。
(大福に、そんな嫌な思いがあるんじゃ…食べてくれない…よな…)
良い考えだと思ったのになと、正座した膝の上に置いた手をぎゅっと握る瑞樹の手に、優士の片手がそっと置かれた時、静かに雪緒が呟いた。
「…その様な事があったのですか…」
「ヴン゙…ソレ゙、タベル゙、イ゙シ、ブヅゲラレ゙ル゙…」
雪緒に優しく背中を撫でられながら、結が答える。
石が飛んで来るから、怖くて大福は食べられないと。
(ああ、もう確定だ…)
食べて貰えないのは残念だが、心的外傷を呼び起こす物ならば、仕方が無い。石なんて投げないと言っても無理だろう。心に刻まれた傷は、そう簡単に癒える物ではないのだから。
雪緒が結を宥めている間に、この大福を隠してしまおう。そうしようと、瑞樹が重箱に蓋をして、風呂敷で包もうとした、その時。
「…痛かったでしょう? ですが、それは結様も悪いのですよ?」
「ヷル゙…?」
信じられない言葉が雪緒の口から飛び出した。
「雪緒さん!?」
「しっ!」
「いだっ!!」
思わず声を上げた瑞樹の脇腹に、すかさず優士が肘鉄を決めて黙らせる。
「そのお供え物は、そこで眠る方にお渡した物なので、結様が食べて良い物ではないのです。結様は、横取りをしようとしたのです。ですから、怒るのは当然の事なのです」
「ア゙…!」
雪緒に諭されて、結は思い出した。
山から出て来た理由を。
食べられる物を探して探して探し続けて、やっと見つけた木の実や、ブベッとならない草や葉っぱの事を。
そして、それらを口の中に入れようとした、その瞬間に、大きな妖達に奪われていった事を。
「ア゙ア゙…」
そうされた時、結はもにょんとした気持ちになった。
それは怒りと云うよりは、哀しさ。
ただ、哀しかった。
「ア゙ヴ…イダイ゙…」
雪緒の胸にしがみ付いて、結は涙を流す。
そんな事は知らなかった。
横取りだなんて知らなかったし、するつもりもなかった。
それなのに。
あんな意地悪な奴らと同じ事をしていたなんて。