【一】初めての言葉
「こちらは、玉子焼きと言います。鶏の卵を割って…」
「ア゙、ヴァ゙…」
「ええ、同じ卵を使ったお料理ですが、伊達巻きとは違う物ですね」
「ア゙ァ゙…」
ことりことりと卓袱台に、料理が乗った器を並べながら、雪緒はその日、その時に食べる物の説明を結にしていた。
結が理解出来るとか、出来ないとか、そんな事を雪緒は考えない。
結は話す事は出来ないが、声を発する事は出来る。
因みに、妖の中には、人の言葉を喋る個体も居たりするし、それ以外にも不思議な能力を持っていたりもする。結が人の目に触れない術を持つ事になったのも、その不思議な能力のせいだ。
それはさておき。
雪緒は根気よく話し掛け、結の声や表情から機微を読み取ろうとしていた。
見た目は黒い毛虫(にしては丸くて、毛の生えたお手玉みたいだが…それは、ここに来て食べまくったせい)だし、目は糸目だし、口は普段は見えないけど。それでも、何かしらの手掛かりは得られる筈だ。
好きな食べ物は何か、嫌いな食べ物は何か。好きな味付けは何か、嫌いな味付けは何か。嫌々食べてはいないか。
でも。
「本当に、結様は美味しそうに食べますね」
結は何でも食べる。
残さず余さず、これでもかと食べる。その身体の何処に入るのだと言わずには居られない程に、食べる。
それもそうだろう。
ここに来るまでは、草に葉っぱに花、木の皮を食べて来たのだ。
自然のままのそれらと比べたら、雪緒が作る物は、ただの塩おにぎりでも、途轍もないご馳走になるのだ。
「好き嫌いが無いのは喜ばしい事なのですが…逆に悩みますね…」
何でも食べてくれるのは嬉しいが、逆を言えば、何でも良いと云う事だ。
特に食に拘りなどなく、ただ出された物を腹に収めるだけ。
それでは勿体無いと、それだけではつまらないと、雪緒は思うのだ。
別に『せっかく腕を揮ったのに』等と、雪緒は思わない。
食事は楽しむ物だ。
行儀や作法等は二の次で、苦しい物であってはならない(だから、結は卓袱台に乗ってご飯を食べている。勿論、箸なんて使わないし、何故か背中から腕を生やして、手づかみで食べて居る)。ただ腹に流す物では無い。嫌々と泣きながら食べる物では、無い。
雪緒は、そう教えられた。
今はもう居ない伴侶や、周りの人達から、そう教えられたのだ。
「うぅん…」
雪緒は軽く唸る。
美味しそうに食べているのだから、不味くはないのだろうし、嫌いでもないのだろうけど。
でも、それでも。
好きだと思う物を食べて欲しい。
伊達巻きは物凄い速さで消えたけれど、あれは特別な物なので、毎日は出せない。そこは、譲れないのだ。
伊達巻きの代わりにと、だし巻き卵を出したけれど、伊達巻きのように、あっと言う間に消えたりはしない。
「…オ゙イ゙、ジ…」
やはり、伊達巻きの方が良かったのかと、自分の拘りなど捨てて伊達巻きを用意するべきだったのかと雪緒が思った処で、頭の上から飛び出た様な、甲高い声が聞こえた。
「え?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す雪緒の視線の先で、細い糸目を三日月の形にして結が口を開く。
「…オ゙、イ゙ジィ…ダ、べル゙…ユ、グリ」
甲高いが少年の様に澄んだ声ではなく、その声には濁りがあった。しかし、それは確かに結が発した言葉だった。
「あ…ああ…。美味しいから…ゆっくりと食べている…そう云う事で宜しいのでしょうか?」
「ヴン゙」
そう云えばと、雪緒には思い当たる節があった。
ほんの数日前だが、結と出逢い、名前を付けた日。
味噌汁を飲む様に、伊達巻きをずんずん飲み込む結に、雪緒は言ったのだ。
『慌てなくても伊達巻きは逃げませんから、ゆっくり落ち着いて食べて下さいね。…ふふ、それほど美味しいと…気に入って戴けたと云う事なのでしょうか』
と。
「そうですか…そうでしたか…」
そっと雪緒は微笑んで、人差し指で結の頭を撫でる。
「そうですよね。結様のお顔を見れば解る事でしたよね」
美味しそうに食べて居ると、自分で言ったばかりなのにと、雪緒は苦笑して肩を竦めた。
細めた目を更に細めて、結は雪緒の指に頭を押し付ける。もっと撫でてと言う様に。
「ええ、これから色々な物を食べて行きましょうね。結様のお好きな物や、お嫌いな物を探して行きましょう。そして、一緒に楽しいお食事をしましょう」
結の頭をもう一撫でしてから、雪緒は自分もと箸を手に取った。
外はちらちらと白い物が舞っていて震える程に寒いけれど、結と雪緒が居る茶の間は、春の陽だまりの様に、ぽかぽかとした空気に包まれていた。




